ある日の気づき

数学での必ずしも適切でない「エポニム」の例

エポニム (eponym) とは人名に由来した名称のこと。
数学の場合、定理の証明者や概念の創案者にちなんで、定理や概念が後人によって命名
される場合が多いが、概念の名称の場合は、創案者が「その道の先達」への敬意を示す
意味で、先達の名から命名する場合も多い。(e.g. 飯高茂が定義した「小平次元」や
ブッフベルガーが定義した「グレブナー基底」)。
命名時の「最初の証明者」や「創案者」についての認識が事実とずれていたため、下記に
例示するような、再発見者の名を冠している場合、単なる紹介者/公表者としか言えない
人物の名を冠している場合なども存在する。
# グレブナー基底と同等の概念は、広中平祐が「特異点解消定理」を証明した論文で
# 既に定義されていた…といった事例もある(広中は単に「標準基底」と呼んでいたし、
# かの大論文を読み通す数学者自体そう多くはないので、事実認識が遅れた)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ライプニッツの公式
「この公式を名付けたのはライプニッツであるが、これはすでに15世紀のインドの数学者
マーダヴァがライプニッツより300年ほど前に発見していたものである。
公式の発見がマーダヴァの功績であることを示すためにマーダヴァ-ライプニッツ級数と
呼ばれることもある。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/高速フーリエ変換
「高速フーリエ変換といえば一般的には1965年、ジェイムズ・クーリー (J. W. Cooley) と
ジョン・テューキー (J. W. Tukey) が発見したとされている」
# ↑高速フーリエ変換は様々な変種があるので、特に「クーリー=テューキー型」と呼ばれる。
「しかし、1805年頃に既にガウスが同様のアルゴリズムを独自に発見していた」
# ↑つまり、クーリーとテューキーのしたことは、実際は「再発見」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/メーソン・ストーサーズの定理
多項式でのABC予想に相当する定理。「ABC予想入門(黒川 信重/小山 信也【著】)
によれば、小平邦彦がメーソンらより十数年前に証明していた事が判明済。
https://ja.wikipedia.org/wiki/三次方程式
「カルダノが著書『アルス・マグナ』によって三次方程式と四次方程式の代数的解法を公表
した1545年は、その影響の大きさから現代数学の始まりの年とされることもある。 」
「カルダノの公式」
「三次方程式の代数的解法は、16世紀頃にボローニャ大学のシピオーネ・デル・フェッロに
よって発見されたとされる。デル・フェロの解いた三次方程式は
    x³ + a1x = a0 (a1 および a0は正)
という形の物である。当時はまだ、負の数はあまり認められていなかったため、係数を正に
限った形をしている。
この方程式自体は特殊な形であるものの、一般の三次方程式はこの形に変形できるため、
本質的には三次方程式はデル・フェロが解いたといっても過言ではない。また、この方程式の
場合は係数の符号の制約から還元不能にはならない。」
「三次方程式の解法があるという噂を元にタルタリアは、独力かどうかは分からないが
    x³ + a2x² = a0 (a2および a0 は正)
の形の三次方程式を解くことに成功し、さらにはデル・フェロの三次方程式の解法にも辿り
着いた。」
2023-01-15: 上記Wikipediaの記述はタルタリアに対して公正さを欠いている。
(1) カルダノがタルタリアとの約束を破った嘘付きであることは、否定しようがない事実。
(2) 「タルタリアが三次方程式を解いた最初の人ではないことを知った」などと言う説明は、
約束を破って良い理由にはならない。公表したいなら、タルタリアに相談すべきだった。
(3) 通常はカルダノに帰せられるため「カルダノ変換」と呼ばれる「一般の三次方程式から
二次の項を消去する操作」も、タルタリアからアイデアを得ていると推定すべきだろう。
∵タルタリアは、二次の項を含む方程式を解くことが出来たのだから。そして、「一般の
三次方程式をこの形に変形」する操作は、当時の数学の水準では決して自明ではなかった。
(4) タルタリアの解法に対してのみ、「噂をもとに」とか「独力かどうかは分からないが」
などという注釈を付けている記述は「中立的」ではない。
バランスを取るため、今野一宏「代数方程式のはなし」の P.29 から引用しておこう。
「デル・フェッロから秘術「3次方程式の解法」を授かった弟子フィオル(Antonio
Maria Fior)と独自に解法を見つけたタルターリャとの数学勝負は、タルターリャの完勝
となり、大いに名声を高めたという。独創と模倣では、独創が勝る。自明の理である。」
(5) 「デル・フェロとタルタリアの功績について賞賛」などと書いてあるが、「アイデアの
どの部分がタルタリアから得たもので、どの部分がデル・フェロから得たものかを明らか
にしてはいない。というか、タルタリアの解法は、デル・フェロの解法を含んでいるので、
結局、本質的なアイデアは全てタルタリアから得ていたと推定すべきだろう。アイデアの
帰属まで明記されていないからこそ、三次方程式の解法が「カルダノの解法」と呼ばれて
しまっているわけだ。「解の導出方法までは聞いておらず」とあるが、聞いた事に基いて
「出版したい」と思うようになったということは、*本質的なアイデア*は、タルタリア
から得ていたということに他ならない。ちなみに、数論が専門の数学者である黒川信重は、
「アイデアの出所を明示しないことは、アイデアの盗用に他ならない」という立場から、
ハーディリトルウッドが、彼等の論文中でラマヌジャンの寄与に言及していない事を、
しばしば批判している。つまり、ハーディやリトルウッドの「ラマヌジャンへの賞賛」は
アイデアの盗用を償えるものではないという見解を明確に述べている。これは、モラルの
しっかりした数学者の発表した文献では、きちんとアイデアの出所が明記されている事で
客観性が裏付けられている見解である。例えば、幾何学に由来する「ホモロジー」という
概念を代数的な「」として定義するというアイデアがエミー・ネーターに由来する事は。
20世紀前半の幾何学者たちの著書や論文に明記されている。

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