飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

成子天神社(成子富士)へようこそ (再びその後)

2016-01-29 01:50:56 | スポットなたしなみ

以前、このブログで幾度か取り上げていた都区内にある富士塚の一つ、成子富士。

西新宿という大都会の真ん中に富士塚が今も残っているということと
素晴らしい狛犬があるということで、気になるスポットとして自分の記憶に
残っていました。


2012年04月30日
東京都区内富士塚巡り(3):成子天神社(なるこてんじんじゃ)


2012年07月09日
成子天神社(成子富士) その後


この時は、債権者間で色々とあったようで、どうなることかと思われましたが、最終的には、
マンション建設で取り壊しということにならず、富士塚との共存という新しい形の都市計画に
組み込まれ、生き残ることとなりました。当時は、建設途中までしか見ておりませんので、
果たして今はどうなっているのかと、再びやってまいりました。



場所は、地下鉄丸ノ内線 西新宿駅から徒歩2分という好立地
地図にもきちんと掲載されております



出口の表記も変わりないまま



以前の記事と比べてみると、どのように変わったかが分かります
参道は、ほぼそのままのようですが、鳥居がなくなってしまいました



参道のアスファルト部分が、モダンな仕上がりに変化しています



と、入口を見てびっくりしたのは、七福神の像が綺麗になって境内に移動していたこと
以前は、富士塚の山中で檻に入れられていたのを見ていたので、こちらの方がよほど良いですね



境内のあちらこちらに配置される七福神
何だか、笑顔も輝いているように見えます



以前と比べると重厚感が足りないかなという鳥居



道路端に置かれているこの額は何かと思いましたが
そうです、参道入口にあった鳥居のものでした。何故ここに?!



楼門(?)もできましたが
その奥のマンションがこれまた立派なもので・・・



神楽殿も作られておりました
敷地も広くとっていますし、思っていたよりも凄い改修です



拝殿と本殿、大きさは以前と同じくらいありそうです



気になっていた文化財の行方ですが、力石は、7個とも残されておりました
説明書きもアップデートされています



新宿区指定有形民俗文化財  成子天神社の力石

力石は、祭礼などで余興として行われた力くらべに使われた卵型の大きな石です。成子天神社には、
七個が残っており、社殿前に並べられています。
七個すべてに銘文が刻まれていますが、このうち二個は判読でません。残りの五個には、
四十貫(約150キログラム)から五十八貫余(約二一八キログラム)に及ぶ重量や、
虎松・喜太郎・亀治郎・市蔵という人名が刻まれています。人名は奉納者または持ち上げることが
できた人物の名であると思われます。
製作時期は記されておらず不明ですが、江戸時代末から明治時代頃のものと推定され、人名が重複
していることから、ほぼ同時期に奉納されたものと考えられます。

平成二十六年十二月 東京都新宿区教育委員会




ま、まさかあの銘品の狛犬まで残してくれ・・・もとい、くださるとは・・・感激です



新しい環境でも神社を護ることが出来て良かったです



なんと、神社奥にあった旧狛犬(役目を終えたものでしょうか)も、メインの通りに置かれています

このあたりで、嬉しさのあまりマンションの方に通報されても致し方ないと思える位に
テンションがおかしなことになっていました



そして気になる富士塚は・・・以前と同じまま残されているではありませんか?!



新宿区登録文化財 史跡  成子天神社の富士塚

大正九年(1920)八月に、成子天神社境内にあった天神山という小山に富士塚の溶岩を配して
築かれたもので、区内で最後に築かれた富士塚です。高さは約十二メートルあり、区内では最大規模
となっています。塚の北側には浅間神社の小祠があります。
富士塚は、江戸時代中期より、江戸庶民の間で盛んになった富士信仰の遺跡です。同業者を中心に
富士講が組織され、神社の境内に模造富士を築いて崇拝しました。
成子天神の富士塚は、柏木・角筈地域(現在の北新宿・西新宿)の人々を中心に組織された丸藤成子講が
奉祀していたもので、最盛期には約二〇〇名の講員がいましたが、現在は活動していません。

平成二十六年十二月 東京都新宿区教育委員会


である調からですます調にと、上品な変更がされていました。



裏手の浅間神社は、以前と変わりなくそのままの様子



山頂にいらっしゃった木花咲耶姫命は、震災後に下界に降りられ
現在は、こちらの神社を護られているようです



入口は以前のまま



参道は、草が刈り取られ、歩き易くなったように思います



山頂に向かう階段は、以前のままに険しく



これも前からあったものですね



最後の階段を上ると



山頂に到着です



もっと高度感があったイメージでしたが、
周囲のビルがもっと高いためか、思ったよりも高さを感じません



それでも、大都会の中のある富士山、面白いですね



裏手からの富士塚
十二メートルといえば、かなり大きな印象となるはずですが
後方にそびえるマンションの大きさたるや・・・



昔の記事を読み返してみると、建設が開始された際には、あまり良い印象を持っていなかったことが
よくわかる内容となっておりましたが、いやいやどうして、もう感謝の言葉しかありません。
マンションの中庭か公園のようなコンセプトにしたものと分かりますが、これだけ昔の遺構を
上手く活かしてくるとは、感心してしまいます。
以前の一番の心配事であった狛犬がメインで神社を守っておりますし。


残すことが難しくなっていく大都会の遺跡に関して、今後もこういった、現代との融合により、
上手い共存を目指す場所が増えてくれることを願っております。

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