(4月11日)ロームシアター京都、沢田研二LIVE「甲辰 静かなる岩」続きです。🌸
1974年の夏のロックンツアーに初参加してから、今年でちょうど50年!!半世紀もたったのかと先ほど気が付いて、ちょっと感慨深いです(^-^)
京都会館の桜🌸の咲く時期のジュリーライブに来たのは、私は初めての経験です。
この会館に欠かせず来るようになったのは、ジュリーが還暦ライブを行った2008年からで、その時は客席はものスゴイ熱気が立ち込めているようで、超満員でした。
それ以前の京都会館には、実はたまにしか来たことは無い。1996年の「あんじょうやりや」の京都会館の席は1列でしたが、2階席に4人しか観客はおらず、もちろん3階は0。何が地元や、京都のファンは冷たいとその時に思ったの。結局、京都は大阪とは違ってローカな街よね! その時以来、醒めた眼で見てたのよ。ジュリーは都会派の歌手ですからね。
もちろん、京都はいまや聖地✨ 昨日のライブはジュリーもファンも熱かった~!✨✨
席は、自力で取れた席が左の端ながら3列(1列の席が無いので実質2列)50年通っているのに、神席なんぞとは、いつも全く縁がないのに、ごくごくごくタマには神席も来るんやな!と有難かったです~ 初めての自力で1列は、あのドタキャン後の初のライブでした。
登場したジュリーは、縁のない眼鏡に短くさっぱりとした髪の毛。お髭も口周りは薄くて、短い顎鬚が有りました。ジュリ~♪(*゚´Д)ノ。゚キャ~♪゚。ヽ(Д`゚*)ノ゚ 本物や、動いてる~(六本木でも見たけどね)
渋谷に参加のジュリ友さんから、お聞きしていたとうり衣装が.少し変わっていました。クリケット姿は変わらないけれど、英国風ベストに、派手な柄のシャツ。満開の桜のもとでのライブに、テンションが上がっていたようです(^^♪
MC、桜満開の京都です、有難う 京都~!!🌸
まいど おいど まいど おいど
いややわ(笑)
心はいつも被災地に有ります、被災地にエネルギーを送ってください!よろしくお願いします!
日本全国の被災地にエナジーを送ってください、よろしくお願いします。私にもエナジーを
(低い声で)まいど。有難う、こんなに沢山来ていただいて、ありがとさんです。有難う、満開です、満開!嬉しい!!🌸🌸
「渚のラブレター」と「明日は晴れる」が、お正月とは曲目が変わっていました。「渚のラブレター」は、キーが高い曲ですが、いまでも高いキーが出るんだよと、見せつけるかのような熱唱。すごいな~と驚いていたら、つづく「明日は晴れる」も声も枯れるような、また熱唱。
こんなに熱唱系の曲だった?
2曲も続けて、そんなに渾身の力を込めて歌ったら、次は大丈夫?と、マジに心配になりました。ところが、次からの曲も軽々と疲れを見せずに歌い続けるジュリー、さすがです~
私の心配など、全然いりませんでした。そこいらの歌手とは一緒にスナ!という感じ。
いや、ほんとにスゴ過ぎる!! しかし、
ストリッパー
TOKIO
あなたに今夜はワインをふりかけ
おまえにチェックイン
カサブランカ・ダンディ
追憶
渚のラブレター・・
全盛期のヒット曲の連打に、こんなにヒット曲ばかりが続いていいの?と昔のジュリーのセトリを思い出して、そう思ってしまいました。
90年代から21世紀の初めは、ヒット曲はせいぜい3~4曲程度だったかな。ヒット曲を歌わないジュリーと、一般のファンには知らない曲ばかりだと、ガッカリさせていた時もありました。
それが、相次ぐヒット曲ばかりが続くセトリに、いまさらですが、タマにはアルバム曲も聴きたいなと、戸惑う自分がいて・・21世紀になってからの曲も少ないし (^^;
ファンの希望よりも自分の歌いたい曲を歌うという、肩ひじを張るのは止めたのかな。キャリアの終盤を見据えた振り返りの選曲なのかもと、少しだけ淋しい気持ちになりました。
A・C・Bを歌うジュリーは、1960年代当時のあのジャズ喫茶の頃の自分に戻っているに違いない。パントマイムのように、身振り手振りで歌の情景を伝える姿に、ザ・タイガース時代から中身はさして変わらないと言っているジュリーを見たような気がしました。
続きます。