最近理由もなく、体に
痛みが走ることがある。
その時は突然の痛みに、
「何でだろう?」と
首をかしげているのだが、
数日経ってからその痛みが、
その何日か前に玄関の扉で
打撲した箇所だったり、
その何日か前にやった
運動の疲れだったり、
ということを思い出す。
痛みの伝わり方が遅いのは
仕方ないのかもしれないが、
打撲や運動のことがすぐに
出てこないことが気にかかる。
最近理由もなく、体に
痛みが走ることがある。
その時は突然の痛みに、
「何でだろう?」と
首をかしげているのだが、
数日経ってからその痛みが、
その何日か前に玄関の扉で
打撲した箇所だったり、
その何日か前にやった
運動の疲れだったり、
ということを思い出す。
痛みの伝わり方が遅いのは
仕方ないのかもしれないが、
打撲や運動のことがすぐに
出てこないことが気にかかる。
1,
トイレに関して、過去にいろいろ事件があった。
一番多かったのは、トイレの電気を消されたことだ。心地よく座っていると、突然真っ暗になる。これほど不安で情けなくなることはない。
前にいた会社は部署横に、大一つ小一つという少人数用のトイレが設置されていたのだが、そこでよくこの被害にあっていた。入口に
“節約のため、使用後は電気を消しましょう”
と書いていたため、みんな自分の使用後に電気を消すくせがついてしまっていた。男子トイレの場合、個室の扉が閉まっていることはめったにないので、たまに閉まっていても、つい見逃してしまうのだ。
「おーい」と叫んでも、その人はもう立ち去ってしまっている。今なら携帯電話を持っているので、外部と連絡を取れば何とかなるのだが、以前はそんな手段はなかった。
そんな時どうしたかというと、とりあえず納得いくまで拭きあげ、耳を澄まし、誰も来てないことを確認してから、おもむろに立ち上がり、中途半端にパンツをあげ、鍵を開け、ダッシュで電気をつけに行く。この時、がに股で走ることが肝要であることは言うまでもない。その後、再び個室に戻り、最後の仕上げをするのだ。
2,
次に多かったのが、紙事件だ。ひととおりの作業をして、さて仕上げ、という時に紙がないことに気づく。これはショックだ。
この場合は、冷静にならないと事は解決しない。焦ったら大変なことになるだろう。
まず、周りを見渡して、利用できるものはないかよく確かめる。それで対処できない場合は、所持品をチェックする。紙系を持っていたらしめたものである。その意味でも、手帳というのは必需品だというのがよくわかる。
もし紙系を持ってなかったら・・・
・・・よく手を洗おう。
3,
他にも、個室に入って「さて今から始めよう♪」という時に、掃除のおばちゃんが入ってきて、掃除を始めたとか、中途半端な状態で鍵をかけていて、他の人が開けた ― この場合、不思議とおたがいに目を合わせ笑顔になる ― とかいろいろな事件に巻き込まれた。
これから先も、また新たなトイレ事件は起こるだろう。これは、生きてく上で避けては通れない、人間の宿命なのだ。 (2001年9月15日)
小学生の頃までは人と競争することなんて、まったく興味がなかった。ただその日が面白ければ、それでよかった。かけっこで負けたって、ヒットが打てなくたって、悔しいなどとは少しも思わず、『これをどう笑い話に持って行こうか?』なんて考えている、変な少年だった。
ところが青春という時期に入ると、なぜか人目を気にするようになり、それが負けん気につながった。勝手に他人をライバル視しては、「こいつには負けたくない」なんて思うようになったのだ。成長ホルモンでも関係していたのだろうか、とにかく人に負けるのが、いや、イヤ、嫌なのだ。
それゆえ意地を張るようにもなった。「こいつらと同じ運命を歩いて行けるか」と、一人孤独を装ったり、意味なく部活を辞めたりしたものだ。果ては同じような理由で会社を辞めて、今なお続く波瀾万丈に繋がっていく。
ぼくのおかしな人生はきっと、青春時代から始まっているに違いない。
先日読んだ本に面白いことが書いてあった。
日本人は、猫が好きな国民だということだ。その証拠に、猫を使った言葉が実に多い、ということだった。
はたしてそうだろうか、とぼくは辞書で調べてみた。なるほど確かに多い。
「猫に小判」「猫の手も借りたい」「猫も杓子も」「借りてきた猫」「猫の額」「ねこばば」「猫をかぶる」「猫背」「猫舌」「猫にかつおぶし」「猫なで声」「猫足」「猫目」「猫いらず」「猫かわいがり」などなど。
ペットの対抗馬である犬のほうを見てみると、
「犬猿の仲」「犬も食わぬ」「犬も歩けば棒に当たる」「犬畜生」「犬死に」「犬釘」くらいのものだった。
まあ、言葉が多いというだけで、猫好きの国民だと片付けることは出来ないかもしれないが、どちらかというと猫好きなぼくは、ちょっと嬉しい。
44年前の自分、聞こえてますか?
今、あのS上司から非常に嫌われている時期だと思う。
これから君はその上司から、
帰れとか、辞めろとか言われ
あげくに今の居場所から異動させられるだろう。
しかし、決して切れてはいけない。
そのS上司がそれから一ヶ月後に、君の
最大の理解者になるのだから。
さらにその異動が、その後、今もなお
続けている仕事のいしずえになるのだから。
今辞めてしまうと、君のその性格だから
いくつも職をかえてしまい、腰の入った
人生を送ることが出来なくなるだろう。
その44年間に縁を持つことになる、
数々のすばらしい友にも出会えなくなるだろう。
44年前の自分、聞こえてますか?
今、あのS上司から非常に嫌われている時期だと思う。
だけど決して切れてはならない。
君の人生は、そこから始まるのだから。
あの女こっちを見てるじゃないか。
もしかしたら気があるんだろうか。
新たな恋が芽生えたりして。
だって気持ちは17歳なんだから。
50メートル6秒台だって?
ちょっと本気を出せば
そのくらいの記録は出せるよ
だって気持ちは17歳なんだから。
駅までたったの2キロだろう。
多少出遅れたとしても
ダッシュで走れば間に合うさ。
だって気持ちは17歳なんだから。
あの学生、何こちらを見てるんだ。
何ならインネンふっかけて来いよ。
ボコボコにしてやるぜ。
だって気持ちは17歳なんだから。
あっ、またニキビが出来ている。
シンを出したら跡が残るし
何かいい薬はないものかな。
だって気持ちは17歳なんだから。
ロックをやりたい。
ガンガン、ロックをやりたい。
そして奴らの嘘を訴えたい。
だって気持ちは17歳なんだから。
ぼくが二十歳の頃の話です。
昼食後通りを歩いていると、
自販機の前で、コーヒーを
買っている男がおりました。
ポケットに手を突っ込んで
小銭をさぐっておりました。
その男がそのポケットから
手を出した時でした。手の
甲に何かついておりました。
それは足もとに落ちました。
よく見てみると何とナマの
コンドームじゃないですか。
男は慌てもせずナマを拾い
こちらを向いてニヤニヤと
笑っていたのでありました。
どんな反応をしていいのか
若いぼくはわからずにただ
笑い返したのでありました。
中々その記憶が消えません。
あれは使用済みだったのか。
それともあの後使ったのか。
何せナマだったんですから。
ビヨンとなってましたから。
いつも男が笑っております。
この間道を歩いていると、猫にリードをつけて散歩している人がいた。基本二次元を動く犬にリードをつけて歩いている人は普通にいるが、三次元を動き回る猫にリードをつけて歩いている人を見たのは初めてだ。きっと大変だろうな。
猫を連れているといえば、前に勤めていた会社でこんなことがあった。
ある若い男性客が飼い猫を抱いて買い物にきていた。そのお客が、ぼくの売場の前を通りかかった時である。手が疲れたのか、猫を床におろした。その瞬間だった。猫が小便をしたのだ。
その客がポケットの中を探っていたので、てっきりポケットティッシュを出して、後始末をするものだと思っていた。ところがだ。何とそのお客は何もせずに、素速くその猫を抱えその場を立ち去って行った。
ぼくは、追いかけて行って一言言ってやろうと思ったが、そのまま濡れた床を放っておくわけにもいかず、キッチンペーパーを持ってきて、拭き上げた。
後でその客を探してみたが、そのまま出て行ったようで、もう店の中にはいなかった。
まあ、ペットを連れてくる人のほとんどは、こんなマナーのない人ではない。中には、
「すいません。犬がおしっこをしたので、何か拭く物を貸して下さい」と言ってくる人もいる。
そういう人は、こちらから「手伝いましょうか」と言っても、「いいえ、うちの犬がやったことですから」と、ちゃんと自分で後始末をやる。
ペットは人間性を映す鏡だとも言われるが、ペットに己のマナーの悪さを語ってもらうのも、寂しいものである。
現実ばかり見ていると理想が追えなくなってくる。理想ばかり追っていると現実が見えなくなってくる。せめては中庸のところに心を留めておきたいと思うのだが、バランスを崩してつっ走り、いつも失笑を買っている。
こういうぼくをO型人間だと人は言う。
「きっとO型だ」
「O型でしょ?」
「O型らしい」
「典型的なO型ですね」
毎回毎回口を開けばO型だ、O型だ。
実はそう言う人たちもぼくと同じく、バランスを崩した失笑人間なんだな。だってぼくはA型なんだから。
川辺を歩いていると、何羽かの鴨が向こう岸近くで泳いでいた。カメラに収めておこうと思い、スマホを取り出して彼らに向けた。その瞬間、すべての鴨が飛び去ってしまった。
ぼくから鴨までの距離は10メートルくらい。川面と道の段差は2メールくらいあるし、さらに鴨は向こう岸を泳いでいるのだ。そのため、10メートルでもぼくにはけっこう遠くに感じた。だが、鴨の感覚ではそうではなかったようだ。
そういえば、以前鷺を写真に収めようとした時に、今回の鴨と同じように逃げて行ったことがある。鳥というのはそこまで臆病なのだろうか。ハトやカラスを見る限りでは、そうは思えないのだが。