Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

決断する勇気

2024-01-31 06:00:00 | エッセイ

 

 

何かを「決断」する時、事の大小にかかわらず「勇気」がいる。

「決断」と「勇気」は重なり合っていると言ってもよく、

それ次第で人生が大きく転換することもあるし、

日々の暮らしにちょっとした色彩を添えることもある。

 

新聞の投書欄に、見出しに「勇気」とついた男子中学生の投書があった。

この中学生、小学生の頃は授業中先生に問われても

まったく手を挙げなかったそうだ。

もし答えが間違ったら、とても恥ずかしい、そう思ったからだという。

それが昨年、担任の先生に励まされ、

「国語の授業で思い切って手を挙げ、自分の考えを発表したところ、

クラスのみんなも聞いてくれて、自信がつきました。

だから今年、様々なことに対して勇気を持って行動することにします」

そう力強く宣言している。

なるほど、先生の励ましに手を挙げる勇気をもらったわけだ。

 

こんな人もいた。53歳の女性。

5年ほど前、テレビで同年代の女性がドラムをたたく姿に触発された。

だが自分の年齢を考えれば、何とも面映ゆかったに違いない。

やはり勇気がいった。そして、昨春思い切って決断した。

音楽教室に通い始めたのだ。

だが、若い人に交じって頑張ってはいるが、

やはり手と足の動きが若い人のようにはうまくいかない。

そこに、先生からの励ましだ。

「間違ってもいいから堂々とたたきなさい」と。

「演奏後のスッキリとした気持ちは、この上なく心地よい。

今年はもっと自信を持って演奏したい」

勇気から得た爽やかさを満喫されていることだろう。

 

   

 

80歳男性。この人の話は、わが身と重なるものだ。

加齢による敏捷性の低下を自覚するようになった。

さて、これからも車の運転を続けるかどうか。

買い物に外食、旅行、趣味のゴルフにと、車を利用しているとあれば、

何とも悩ましい問題だ。決断を迫られる。

ふいと考えれば、今春には車検、秋には運転免許証の更新を迎える。

ついに1年がかりの迷いに決着をつけた。

「3月には免許証を返納しよう。返納後は電動自転車で買い物に行こう。

ゴルフに使っていたお金で、鉄道旅行もしたい。返納後の生き方が見えてきた。

こうして文字に書くことで決意も固まった」

そう勇気を奮ったのである。

 

僕にしても随分と迷った。

車から離れると何かと不便になるだろうし、寂しい気もする。

しかし、人様を傷つけるようなことがあってはならない。

免許証を見れば、あと2年は乗れる。

一方、今年9月には車検となる。それが機ではないか。

随分と迷いはしたが、何とか決断した。

もう運転することはよそう。

 

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指先の嘆き

2024-01-27 06:00:00 | エッセイ

 

 

バカバカしく、それでもちょっぴり切なくて……爺さんが一人つぶやく。

 

昼時になると順番待ちの列が店外まで延び、またSNSによるのだろう、

外国人客が結構多い評判のトンカツ屋。

僕のひいきの店であり、天神でのランチは決まってここになる。

定番のランチメニューは『トンカツ膳』だ。

大きさによって『中』『大』『ジャンボ』に分かれている。

年相応に無理をせず『中』を注文する。

すぐにゴマを入れた小さなすり鉢、箸、それにお茶が運ばれてくるから、

まずはゴマをすり、それに壺の形をした陶器製の容器から

移し取ったタレを混ぜ合わせておいて、トンカツが来るのを待つ。

そう思い、容器の蓋の突起部分を親指と人差し指でつまんで開けようとしたら、

するりと滑り落ちてしまった。

幸い、テーブル上を2、3度転がっただけで床に落ちることはなかったが、

それでもガチャンという衝撃音は

周囲の客、店員の視線を集めるのに十分だった。

 

      

 

年を取ると指先が乾燥し滑りやすくなる。

これだけではない。たとえば、新聞も本もうまくめくれず、

スマホのタッチパネルの反応も悪くなる。

それで指先を舌で湿らせて……と、あまり見られたくない仕草を繰り返す。

空気が乾燥する冬は特にひどくなる。

 

顔のかさつきもそうだ。

誕生日が同じで一歳下のAさんとの喫茶タイム。

どうしても互いの体調を気遣う会話になるのだが、

ある時「あなたはクリーム派? 乳液派? それとも化粧水派ですか」の

やり取りになった。

ひげ剃り後、あるいは洗顔後は何を付けるかの問答なのだ。

顔の乾燥度がひどいほどに、クリーム—乳液—化粧水の順になるのだが、

2人とも「冬はクリーム、春・秋は乳液、夏は化粧水と使い分けている」

と同じで、顔のかさつき度は似たようなものだった。

後期高齢者同士のバカバカしくも切ない会話である。

 

若い頃の古傷、椎間板ヘルニアは普通に生活するには格別の支障はないが、

ゴルフは腰をひねるせいであろう、必ず痛みが出る。

それであっさりやめた。

長年プレーしたものの100を切ったのは一度だけという腕前だったから、

さしたる未練はないが、ただ皆さんが元気にプレーされているのを見ると、

何だか取り残されたような寂しさを感じる。

鏡を覗けば長く伸びた眉が垂れ、いかにも爺さんといった面相が映る。

おまけに指先、顔のかさつきといった話である。

お~い トンカツはまだか——食欲だけが慰めだ。

 

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誇らしく頼もしい同級生

2024-01-24 14:18:01 | エッセイ

 

こんな誇らしいような、頼もしいような〝再会〟もあるのだなあ──

新聞の書籍広告を見て、そんな思いにさせられた。

『80歳。いよいよこれから私の人生』との本のタイトル、

それ以上に心惹かれたのが著者名だった。

『多良久美子』。

本の表紙にご本人の写真があるが、顔をしっかり覚えているわけではない。

だが、この名前には確かに覚えがある。

小学生の時の同級生、あの多良さんではないのか。

 

とにかく本を読んでみようと書店へ急いだ。

そして、まず開いたのが巻末の著者紹介欄。

そこには『昭和17年(1942年)長崎生まれ。2歳のとき被爆』とあった。

そっくり同じだ。

さらに本文中には、中華街に隣接する『新地町に住んでいた』とあった。

僕も新地町で生まれ、小学3年生までここで育っている。

確信した。間違いなく同級生の多良さんだ。

 

そして思い出した。新地に住んでいた時、

多良さんの家に1、2度遊びに行ったことがある。

さらに15年、いや20年ほども前になるか、

小学校の同窓会が福岡で行われ時、長崎からやって来た同級生と一緒に

福岡県内に住んでおられる多良さん宅を訪問、

ご主人も交え和やかに団らんしたことも思い出した。

 

だが、正直なところ多良さんの記憶はこの程度である。

だが、顔は定かではないにしても

『隣近所に住む頭の良い同級生の多良さん』

との記憶はまったく消えることがなく、残っていたのだ。

 

 

本はするすると3時間程度で読み終えた。

「私の元気は『気持ちが先』で、体は後からついてくる」

「『明日の用事』を考えて、前向きな気分で眠りにつく」

「『昔はよかった』とは思わない。いつでも今が一番いい」など、

非常に前向きな生き方と思えるが、振り返れば現在55歳になる長男は、

4歳の時麻疹により最重度知的障がい者となっている。

さらに長女も40歳代で亡くしているのだ。

辛い年月があったはずだ。

さらに決して「安泰な老後」とも言えない。

85歳の夫はいつ介護が必要になってもおかしくなく、

頼れる子どもや孫もいないのだから…とも。

 

だが多良さんはこんな風に前を向いている。

「『お墓に行くまでのルート』はちゃんと用意したし、

するべきことは全部やり終わった。

忙しい人生だったが、今やっと自分のしたいことに使える時間がたっぷりできた。

こんな大チャンスは、この年になったからこそ。

自分だって、いつ要介護になるかわからない。

1日1日を大いに楽しまなければ!」

何とも頼もしいではないか。

 

同窓会で会えることがあったら何と問おうか。

「その強さ、分けてくれないか」と言えば、

「何よ、しっかりしなさい。私の本をしっかり読み込みなさい」

そうやり返されるに違いない。もう1度読んでみることにしよう。

 

 

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香しき誘惑

2024-01-22 06:00:00 | エッセイ

 

昔の映画やドラマでは劇中、ごく普通にたばこをスパスパやった。

それは、今はない。

3期にわたる「がん対策推進基本計画」で、がん予防のため

すぐに思い浮かぶのは肺がんだが、

ついでに言えば僕が再三悩まされた膀胱がんも喫煙が危険因子らしい、

ともかくこれらのがん予防のため

成人の喫煙率を2022年度には12%にまで減少させることが打ち出され、

これを機に喫煙率は減少の一途をたどっている。

かつては室内の喫煙も許されていたが、それも今はダメで

喫煙者には屋外の特定の場所があてがわれるなど

こんなことが、ごく普通のことになっている。

これらの策により、2022年の調査では目標には届かなかったものの

喫煙率は男性25.4%、女性7.7%まで低下してきているようだ。

 

 

僕もこの「基本計画」に促されて禁煙した一人であろう。

直接的にはかかりつけ医の女医さんの厳しい警告の結果だ。

「心筋肥大による不整脈が出ているし、血圧は高い、

コレステロール値も基準値をオーバーしている。

それなのに、たばこですか……」母親のごとく諭し、

それでいてきっぱりと「たばこは、おやめなさい」と宣ったのだ。

それほど強く言われなくとも、たばこが体に良くないことは自覚していた。

朝の歯磨き時に、必ず「うぇっ」となるのは、たばこのせいなのだと分かっていた。

「こりゃ、いかんぞ」と思っていたところに、女医さんからのきつい警告だったのだ。

今更……という思いもしたが、毎朝の不快さを思えば、潮時であろうと諦めた。

「お医者さんと一緒に禁煙」は2カ月半ほど続いた。

そして、ようやく50余年もの〝付き合い〟を清算することが出来たのである。

 

あれからもう15年ほどになる。

だが、時として未練の火はいまだに悩ましくくすぶり続ける。

公園の片隅に10人ほどの男女がたむろして、

唇に、指に、その香しい誘惑をちらつかせる。

側を通れば、ほんわりと近寄る、紫をまとったその香しさ。

あれは、自らを懸命になだめての決断だった。

なのに、手を差し伸べたくなる切なさが、ふつふつと沸いてくる。

ふらりと身を委ねそうになる。

誘惑の香しさを懸命に振り切りつつ、足を速める。

 

 

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あくび&いびき

2024-01-18 08:59:08 | エッセイ

 

喉の奥まで見えたかもしれない。大きなあくびを一つ。

この時間、10時に近くなると、いつも眠くなる。

 

なぜ、あくびというのは出るのか。よく「酸欠になるから」と言う。

そう答えると、NHKの人気番組チコちゃんから

「ボーっと生きてるんじゃないよ!」と叱られるだろう。そうではないらしい。

 

人は眠くても眠ってはいけないと考えることがある。

「おい、そこの君。あてつけがましく僕を向いてあくびをすることはあるまい」

大昔、大学の講義で、先生から指さされたことが何度かある。

講義が退屈で、あくびが出てしまったのだが、

これなんか講義なのだから眠くても眠ってはいけない

との意識が懸命に働いたわけだ。

 

実は、人は眠ってはいけないと考えると無理やり脳の温度を上げようとするそうだ。

ところが脳細胞は39度以上になると死んでしまう。

今度は冷やさなければならない。その方法があくびなのだという。

つまり、吸い込んだ空気が喉付近の血管や血液を冷やし、それで脳の温度を下げる。

こんな理屈になるのだ。

なるほど。眠いけど懸命にこらえようとする行為があくびというわけか。

退屈な講義を聞いたり、つまらないテレビドラマなどはそうだろう。

それから極度に緊張した時には、よく「生あくび」というやつが出る。

ただ、僕の10時というのは純粋に眠気のせいだ。

退屈なテレビドラマも途中でやめ、ベッドに入った。

ベッドを並べる妻は、必ず時間をずらす。

「あなたのいびきで寝られはしない」というのが理由だ。

いびきというのは、

自分ではかいているのかどうかは普通分からない。

たまに「があっ」と身を震わせ、一つだけかく大きないびきに

自身驚かされることがあるが、普通は人から言われ「そうなのか」と気付く。

 

寝ている時には、舌や喉の周りの筋肉が緩むため、気道が狭くなる。

その結果、空気が通るたびに周囲の粘膜が震えて音を出す。

これがいびきというわけだ。

特に口呼吸だと、舌が落ち込み粘膜の震えが一段と大きくなるらしい。

僕は、寝ている時は口が開いている。これは自分でも分かっている。

空気が乾燥する冬なんか、朝起きると口の中がカラカラなっていることがよくある。

 

そういうわけで、僕のいびきは結構ひどいらしい。

もっとも、けたたましいのは寝始めからしばらくの間だけだそうで、

「すやすや」と可愛げに小さくなってくる。

そう証言する妻はそのタイミングを見計らっているのだ。

必然的に、僕より寝始めるのが遅くなる。

わざとではないにしても、相すまぬことだ。

 

あくびをしてからいびきをかき出すまで、どれほどだろう。

10分か20分? 寝つきは極めて良い。

 

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