Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

寂しげな人

2024-02-29 07:00:00 | エッセイ

 

誰しも4人の祖父母がいる。

孫にとり4人すべてに可愛がってもらえれば、

これほど嬉しいことはない。

でも、おじいちゃん、おばあちゃんが早くに亡くなるなど、

いろんな理由でまったく知らない子もいるだろう。

とても寂しいことである。

 

僕もそれに近い。

父方の祖父母はまったく知らない。一度でも会ったことがあったろうか。

その記憶さえない。

わずかに母方の祖母だけが、

幼い日一緒に住んでいたという記憶があるだけだ。

とは言っても、祖母としてのはっきりとした記憶を持っているわけではない。

半ば強引に手繰り寄せようとしても、

確かな思い出はなかなか浮かんでこない。

祖母が孫を猫かわいがりするような、

逆に孫が「おばあちゃん、おばあちゃん」と慣れ親しむ、

そんな普通にあるはずの祖母と孫との

睦まじい光景さえも浮かんで来はしないのである。

正直なところ、祖母というより

「どこかのお婆ちゃん」との思いの方が強かった。

そんな寂しい思いさえさせる存在だった。

 

       

 

この「原田のばあちゃん」について、

ただ一つ、よく覚えていることがある。墓掃除だ。

祖母にとっては自分の連れ合いだった人、

つまり僕にはまったく記憶のない祖父となる人が眠る

原田家代々の墓へ小学生になるかならないかの僕を連れて行き、

掃除の手伝いをさせたのである。

西洋映画にでも出てきそうな鉄柵をぐるり巡らせた

広くて立派な墓だったようだが、原爆爆心地に近かったため、

その熱光線を浴びた鉄棒はぐにゃりと曲がり、

石壁に垂れ下がるようにして残されていた。

そんな有様をばあちゃんは、ため息交じりにじっと眺めていた。

 

原田家は代々のキリスト教である。

キリスト教では、当時はまだ土葬と決められていたから、

地面は今みたいにコンクリートではなく土だった。

そうとあって、ちょっと油断すると雑草に覆われてしまう。

ばあちゃんが繁く通ったのは、そんな理由もあった。

僕はもっぱら雑草を取り除くのを手伝う役なのだが、

手伝いになったかどうか。

そして、そんなことをしながらどんな話をしていたのだろうか、

まったく思い出せない。

そもそも、ちゃんと話なんかしたことがあったのか。 

 

今は火葬が許され、立派にコンクリート面となった、

その墓に原田のばあちゃんも祖父と一緒に眠っている。

そして墓は僕の父、と言うより母に引き継がれて

今は当家の墓所となっている。

本来なら、僕が守り継がなければならないのだが、

今は長崎に在住している3人の姪たちがその役を担ってくれている。

原田のばあちゃんも守られているはずだ。

ただ、姪には見も知らぬ人である。

原田のばあちゃんは、どこか寂しく、悲しい。

 

 

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喪失

2024-02-18 06:00:00 | エッセイ

 

年を取ると、「喪失」という言葉が一層身に染みてくる。

まず、「健康」である。

同年輩の知人、友人と顔を合わせると、

「体調はどうだ」というのがあいさつ代わりとなる。

何事につけ経年劣化は避けがたく、

人の体も、たとえば足腰の関節は長年の〝勤続疲労〟で歪んで痛み、

目の焦点は合いにくくなり、夜の運転は危なっかしい。

また、五臓六腑のあちこちもやはり〝勤続疲労〟が現れてきて、

医師は「加齢のせいですな」の一言で片づける。

その程度で済めばまだしもであろう。

                                       

そして、身辺から人が喪失していく。

仕事上知り合い、互いに一線を退いた後も

親交を続けていた方に久しぶりに電話したところ

「今、入院していましてね。いや大したことはありません。

間もなく退院する予定です。また食事にでも行きましょう。

こちらから連絡しますよ」口調もいつもと変りなく元気そうだったので、

すっかり安心していたら突然訃報が届いたのである。

確かに病状は回復し、いったん退院されたそうだが、

再び悪化して再入院、治療を続けた挙句のことだった。

死去を知った時には、すでに近親者のみで葬儀も終えられていた。

お別れの言葉一つかけられぬまま、

深い慙愧の念に沈むばかりである。

 

  

 

定年退職すると、言うまでもなく仕事を失くす。

伴って人との関わりが薄れていき、ついには人さえ失くす。

一人また一人と失くしていった挙げ句、

人との関わりがなくなってしまう人生。

そんな残酷な残りの人生をどう生きていけばよいのか。

ひどく悩ましい問題が突き付けられる。

 

実は、多くの人が同様の悩みを抱えているようだ。

そのためか定年後の人生をどう送ればよいか、

その方策を示してくれる本が、書店にさまざまに並んでいる。

そして、一様に「自らの役割を自ら探し求めよ」とし、

「まず何らかの『目標』を設定することから始めたがよい」とする。

個人の趣味でもよいし、できればそれによって仲間の輪が広がり、

さらにそれが社会的活動につながっていければ

社会に貢献することにもなるから、さらに良し。

こういうことが書かれている。

 

「人生100年時代」と言われれば、

まだ20年ほどの残余の時間がある。率直なところ長い。

どうすれば、残りの時間を悔いなく送ることができようか。

そうそう簡単な話ではないように思えてくる。

 

 

 

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用心なされよ!

2024-02-15 06:00:00 | エッセイ

 

その昔。ごく普通の家庭において亭主は絶対的存在として君臨した。

「このように、お前たちが何不自由なく暮らせるのは、

俺が懸命に働いてやっているからだ。ありがたく思え」

こう言えば、妻も子供たちも「はいお陰様で……ありがとうございます」と、

胸のうちでベロをしながら従った。

 

その昔と言っても、現在でもそのような家庭は結構多いという。

特に中年以降の男性は「仕事優先。家庭は二の次」思考になりやすく、

たまの休日も、やれゴルフだ何だと言って家事には見向きもしない。

そうやって年月を重ねていくと奥方にとっては、

亭主は金を運んできてくれる存在でしかなくなっていく。

むしろ、家では何もしないくせに、何だかだと偉そうなことを言う

モラハラ亭主に不満を募らせていく。不満をため込んでいく。

 

      

 

そんな世の亭主族は用心したがよい。

強烈な仕返しが待っている。

定年──これは亭主はもう金を運んではこないことを意味するわけで、

まさに「金の切れ目が縁の切れ目」とばかり、いきなり離婚を突き付けられる。

よく言う定年離婚だ。

長年にわたり不満を貯めこんできた奥方にとり、

金を運んでこない亭主には何の存在価値もない。

「もう我慢しないわ」とばかり一気に攻勢に出てくるのだ。

攻撃することしか能のなかった亭主は、守りはからっきしで、

オロオロするばかりなのだ。

 

もっと壮絶な仕返しは、亭主の健康寿命が尽きるのを待っている奥方である。

ベッドに横たわる亭主の枕元で、こうつぶやく。

「これからは私がいじめ抜いてやる」

ああ怖い、怖い。

 

ここまでのことではなくとも、やれ「掃除機をかけろ」「風呂掃除をしろ」

などと命令されることになる。

知人が定年になったので、ご機嫌伺いの電話をしたら

「妻の部下になっております」と言うので大笑いした。

これくらいの仕返しは「よし」としておかねばならない。

 

 

 

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涙もろくなった

2024-02-12 06:00:00 | エッセイ

 

我ながら涙もろくなったなあと思う。

若い頃は、鼻でせせら笑ったテレビドラマ、

そのシーンと似たような場面に、今は涙がボロボロと流れ落ちてくる。

ちょっと恥ずかしいから、妻に気付かれぬよう流れるにままにするが、

見れば、その妻だって同じように涙を流している。

 

2、3年前だったか、右目がいつも、いわゆる涙目になるものだから、

それを指で拭っていたらヒリヒリと痛むようになってしまった。

慌てて眼科クリニックに駆け込むと、「流涙症」という診断だった。

涙腺から出た涙は外へ流れ出るか、あるいは目頭にある涙点という孔に吸い込まれ、

鼻涙管というものを通って鼻腔に排泄されるそうだ。

小さい頃、わんわん泣くと鼻がぐすぐすしたのは、そのせいだったのか。

さて、この鼻涙管、これにはポンプ機能があるのだそうだ。

ところが、年を取るとその機能が弱まり、鼻涙管が狭窄・閉鎖してしまうという。

 

クリニックで涙点から細くて長い針のようなものを差し込み調べてみると、

やはり鼻涙管が詰まっていた。それで鼻腔に流れず、いつも涙目の状態になっていたわけだ。

「治療には手術という方法がありますが、正直なところ、これは痛いですよ」

医師にすっかり脅され、「先生、何とか手術しないで済みませんか」

と哀願するような表情をしたら、「では点眼薬を出しておきましょう」と、

いともあっさり処方箋を書いてくれた。

おかげで、しばらくしたら涙目状態は収まったが、

時々同じような症状が起きることがある。年のせい──半ば諦めている。

 

     

 

この「流涙症」は加齢によって出てくる、まさに目の疾患であり、

「涙もろくなる」とは、ちょっと意味合いが違う。

そもそも涙には、2種類ある。

目を乾燥やゴミから保護してくれる涙、それに感動して気持ちが動いて出る涙だ。

「涙もろくなる」のは、喜怒哀楽いずれかの感動による。

高齢になるほど、その感動に敏感になり、結果「涙もろくなる」のだ。

 

なぜ、年を取るとそうなるのか。ある大学教授がこんなふうに説明している。

「年を取れば取るほど、それだけ多くの人生経験を積みますよね。

それで共感できるポイントが増えるわけです。若い時は共感ポイントが少なく、

したがって感動することも少ない。そういうことです」

「加えますと、年を取ることによって脳のブレーキが緩みやすくなる。

これが涙もろくなる決定的な理由だと思います」

 

なるほど、長く生きていれば喜怒哀楽さまざまに多く経験する。

朝ドラを見ていて、嫁に出した娘を亡くした両親の嘆き悲しむシーンがあった。

自分が親となり、娘を育ててみれば、テレビのシーンは我がことのように思えるはずだ。

つまり、親になり娘を育てた経験を積んだからこそ、

ドラマの中で嘆き悲しむ親の気持ちに共感できるわけだ。

挙句、みっともないほどに声を殺して涙を流す。

おそらく独身時代だと、それほどの感動を覚えないだろう。

 

      

ここで、気を付けなければならないこともある。

そんな感情にいったん陥ると脳のブレーキが利かなくなる、これが怖い。

涙もろくなること自体は、別に問題ではない。

「ブレーキがきかず、キレる老人が多くなっている」というのだ。

そんなことを何かで読んだ記憶がある。

年を取ると、何とも厄介なことが次々と出てくるものだ。

 

 

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子が選んだ親

2024-02-09 16:14:17 | エッセイ

 

 

70年ほども前になる。小学生になったばかりの頃だっただろう。

真夏の昼下がり、遊び疲れ倒れるように畳に寝そべっていると、

母が傍らに座り、うちわで風を送りながらこう言った。

「子どもはね、親を選んで生まれてくるのだそうよ。

あなたは私を選んでくれたのだね。ありがとう」

はっきりと残る、もう数えるほどしかなくなった母の記憶である。

 

似たような話が、宮崎中央新聞社発刊の

『日本一心を揺るがす新聞の社説』第4巻に収載されている。

小さな新聞社ながら、全国に1万7000人もの愛読者を持つ、

れっきとした〝全国紙〟である。

ただ、ニュース記事を配信するといった一般的な新聞とはちょっと違い、

いろんな講演会を取材した中から、ためになることや心温まる話を

講師の許可を得て活字にしている『いい話だけの新聞』なのだ。

令和2年からは新聞名も「日本講演新聞」と改めている。

そこの社長兼編集長の水谷もりひとさんが執筆する

社説が多くの人の共感を呼び、それらをまとめて本にしたのが、

この『日本一心を揺るがす新聞の社説』である。

これまで発刊した4巻は、合わせて十12万部を超すベストセラーになっているという。

 

      

 

その一編に、全国紙の読者欄に載っていた母と娘の話から拾ったものがある。

「数か月後に出産を控えた娘から電話があった」という書き出しで、

大筋このような話である。

「お医者さんから、胎児に異常があると言われたの。

でも、画像に映る赤ちゃんの鼓動にいとおしさがこみ上げてきて…。

ねえ、お母さん、産んでもいいでしょう」

電話の向こうで娘が泣いていた。

それを聞いた母は、娘を不憫に思い中絶することを勧めた。

それから1週間後、里帰りしてきた娘は吹ききれたように晴れ晴れとした笑顔だった。

 

「お腹の子はね、親を選んで生まれてくるんだって。

私たち夫婦は優しいから選ばれたんだよ。

お父さん、お母さん、初孫が障がいをもっていてごめんなさい」

 

産んで育てる—娘の覚悟を知った母は、安易に中絶を勧めた自分を恥じ、

そして「私も腹をくくった」のだった。

 

水谷さんはこの投稿に触れ、

「(子を産み育てるには)つらくても、怖くても、貧しくても、

自分の命に代えてでも守り抜くという覚悟が必要なのだ」

ということを改めて訴えている。

世には選んでくれたはずの我が子を虐待し、命さえ奪ってしまう親たちが絶えない。

なぜだ、なぜだと問うばかり……我が身の無力さが心を覆う。

 

 

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