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週刊誌のライターに矜持は無いのですか?

2018-11-08 12:46:50 | 日記

皇室記事を書かれるライターの皆さん、あなた方が書かれる記事に少しでも自分の記事であるという自信はお有りですか?

取材ソースに出てくる「宮内庁関係者」や「皇室記者」「皇室ジャーナリスト」が誰であるかはっきりと明言出来ますか?

私自身も色々な雑誌で面白おかしく記事を書き飛ばしていた時代があります。

ゲラ1枚数千円の時代で「◯◯の感動秘話」のような連載ノンフィクションもどきの記事を書きなぐっていました。

私はフリーライターという弱い立場では無く、社内の編集にいてライターのあげてくる記事の低レベルさにうんざりして自分で全部書き直した事が最初にしたライターとしての仕事です。

その文章力を培ったのは他社で、月刊の特定読者しか読まない小説を1年ほど連載した事が大きかったと思っています。月35枚という制約がある中で起承転まで書き、次号への期待をもたせる引きと言われる書き方でした。

私の文章力を評価してくれたのは当時のラジオ局の方で、「面白い文章を書く学生がいるよ」というな紹介を新興出版社の社長に繋げてくれたことが、小説連載の切っかけでした。何故ラジオだったかというのは私が投稿職人のような常連投稿者だったからです。

お題をラジオのDJ二人が発表し、そのお題でショートストーリーを作るという他愛ない投稿でしたが、当時中学生だった私は何回も採用されて、そのラジオの本にも掲載されていつの間にかに常連投稿者という感じになっていました。

その頃の方が私を推薦してくれて、全くのド素人の大学生なのに副業で雑誌小説連載をするということになりました。

私が強く望んで書くという仕事を始めたのでは無く、流されて気がついたら物書きになっていたというのが正解です。

その後大学3年時に出版社、新聞社、広告代理店を中心に就職活動して、内定を戴いたのが5社。その中で一番昔から読んでいた雑誌社に入りました。

実際編集部というところに入ると週刊誌などの記事は営業筋からの圧力も多く、知っていても書いてはいけないことや、絶対に名称を出してはいけない団体が数多くあることを知りました。今の各誌の編集長の姿勢も、昔とさほど変わらないかもっと酷くなっているような気がします。

新潮社に対しては非常に温かい助けをして貰ったことは今でも感謝しています。私が過労で大病し、日本に居たくないと思ったとき、それを助けてくれるように海外発の埋め記事(時間に追われる重要なニュース記事ではなく、いつどこに挿入しても問題ない記事)をたくさん回してくれました。それも通常のギャラに現地取材手当まで付けて。適当に書きなぐった記事で海外の生活費は余裕でクリア出来ました。それをしてくださったのは週刊新潮の名物記者だった故Kさんです。

Kさんの口癖は「どんな取材記事であっても120%で書け。それを削ぎ落として100%にするのが編集部の仕事だ」と。

私はまだ若かったので、その意味を理解できたかは自信がありませんでした。しかしものを書いて読者に伝える気概のようなものは感じました。

さて、誰かに媚びるような小室圭婚約騒動の記事で、秋篠宮様や真子さんを下げて貶める記事を書かれているライターの皆さんは、これは自分で書いた記事であると胸を張って自慢できますか?

天皇皇后の慈愛記事を書いていて、本当にそれをあなたは読者に対し、自分の意志で伝えたいのだと思って書かれていますか?

靖国神社の宮司の会話を、誰かが無断で録音して出版社に持ち込み、情報を売って、バッシング記事にしたことは報道の正義を貫くためでしたか? 天皇皇后両陛下や東宮、雅子さんに何も反省することがない宮司さんの暴言でしたか?あの魂の叫びは。

愛子さんを偏差値72の才女だと書き、ほぼ間違いなく代筆であろう、愛子さんの中学の卒業論文の内容を持ち上げ、それは報道関係者としてやっても構わないことなのですか?本当の愛子さんを記事にできないから理想像の愛子さんを作っているのですか?

あなた方のペンは正義のペンでは無いことを私は哀れに思います。いつか恥じることがあれば懺悔をしてください。