武弘・Takehiroの部屋

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最も美しいもの・・・異性への愛

2024年05月16日 15時13分19秒 | 人生

<以下の記事を復刻します>

1) 人生において、最も美しく麗しいものは異性への愛ではなかろうか。 私の場合は男性だから、女性への愛ということになる。 異性への愛というのは、もともと本能的なものである。生殖本能、つまり種の保存本能から発しているものだ。だから、本来は「美しさ」とは無縁のように思われる。
しかし、古来幾多の詩人・歌人らによって、異性への愛は高らかに、麗しく歌われてきた。 それは夢見るような、また崇高で尊く美しいものである。それが“恋愛感情”というものなのだろう。 異性への愛は、なぜこのように美しいのだろうか。
本来は生殖本能、つまり性欲(肉欲)から発しているというのに、人間の場合、異性への愛はいろいろな想像によって高められ、純化されていくようだ。 特に若い頃は、その傾向が強く激しく現われるのではないか。年を重ねるとともに、それは穏やかなものになっていく。
絵画の世界を見ていると、美しい女性のものが圧倒的に多い。それは男性からの愛と憧れの証しだ。 ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のように、女性の美しさと魅力を描き出した絵画は無数にある。 画家(男性)も一心不乱に描くだろうが、見る方もうっとりとして女性美に陶酔する。女性への愛が満ちあふれる一時だ。

2) 恋をすると、女性への想い(想像)が絶え間なく湧き上がってくる。 これは無限に続くように感じられる。非常に美しく輝かしいものだ。 いつ果てることもなく想いがつのってくる。女性への想いが、これほど新鮮で生き生きとする時はない。
ある有名な作家が「愛とは、炎への憧れだ」と言ったが、心の奥底から火が燃え上がり火群(ほむら)となっていくのだ。 これは実に美しいものだ。恋する人間が光り輝くのはそのためだ。 そういう状態の時は、恋する人間には何も怖いものはない。全世界が自分に敵対しようとも少しも恐れないのだ。 真実の恋に燃え上がる時、その人間は全能となりヘラクレスのような超人になってしまう。

 恋愛は、その人間を世界で最も献身的な、自己犠牲を厭わない勇者にしてしまう。 彼の前にいかなる障害があろうとも、彼はなんの障害とも思わないだろう。 彼の身体中に力がみなぎり、どんな苦難をも乗り越えようとするだろう。それは実に力強く、また輝かしいものである。 古来、どれだけ多くの恋する男達が、愛する女性のために生命を賭けて闘ってきたことか。 恋はその男達に全ての能力を賦与するのだ。
恋はまた“夢”でもある。これほど美しく切ない夢は他にない。 恋をする者はみんな詩人になってしまう。汲めども尽きぬ夢が湧き上がってくるだろう。 夢を見ながら、恋する者はおののき涙にくれるだろう。絶え間なく、美しくやるせない想いがこみ上がってくるのだ。 恋をする男は愛する女性に生命を捧げようとするだろう。

3) こうして考えてくると、女性への真実の愛というものは“神性”に近い。 もちろん本来は、男性対女性という生殖本能から発しているから、情欲(性欲)が原点であるに違いない。 しかし、人間の場合その情欲が“昇華”されていくのだ。人間の想像力が更にそれを高める。 スタンダールの有名な『恋愛論』に出てくる“結晶作用”というものだ。
真実の愛では、男性から見れば女性は「女神(めがみ)」となる。それは正に想像力の賜物であろう。 女性から男性を見る場合は、それほど相手を神格化しないのではないか。 私は、男性の方が想像力が豊かだと思っているから、そのように考える。
「永遠に女性的なるもの」という表現を、ドイツの有名な文豪が記した。 これは、男性の憧れが何かということを、最も見事に表わしたものと思える。 男は、永遠に女性的なるものを求めているのだ。 これを現実生活の中で、ある女性に求めるのだ。それが真実になった時、恋愛は完成する。

 ただし、至高・至純・至愛という感情は、ある場合壊れやすいこともある。 なぜなら崇高な恋愛感情というものは、極致に達しているからである。極致に達しているということは、限界ぎりぎりということである。それ以上、前に進むことが不可能な状態とも言える。 従って、なにかの拍子でその恋愛が壊れると、人間は絶望して自殺したり、逆上してとんでもない事をしでかすことがある。
至高・至純でなくとも強い恋愛感情の場合、時たま暗転することがある。 一瞬にして、愛が激しい嫉妬になったり憎悪に転化することがある。その場合は、真実の愛とは言えないが、ちょっと前までは愛していたことには違いない。 人間は生き物だから、愛が嫉妬や憎しみに転化しても不思議ではない。(不肖・不徳の私は、若い頃そういう体験をニ、三度している)

4) しかし、“崇高な愛”とは永遠にして不滅のものだろう。それは人間を浄化する。人間を限りなく純粋にさせる。天国に至るまで久しく続くものだ。 こういう愛を抱く人は、持たない人より幸せだろう。 仮に現世において結ばれれば真の夫婦愛となる。現世において結ばれなければ“永遠の愛”ということになろう。 相手が生存していようがいまいが、それはあまり問題ではない。愛を抱く人間が、浄化されるかどうかということである。
本当に美しい愛は祈りと同じようなものだ。これは個人的な愛だけでなく、人類愛・同胞愛にもつながる。信仰と同じようなものだ。 男性における女性への愛(逆も然り)は、そうなった時こそ最も美しいものとなろう。
男女間の真実の愛は個人的なものだが、それが美しいと感じられるのは「普遍性」を持つからである。 普遍性とはあまねく全ての人に共通するものだから尊いのだ。人類共通のものだから永遠性を持つ。 従って、どんなに個人的な恋愛でも、人々を感動させたり涙をさそうことになるのだ。

 先日、あるCS放送を見ていたら『愛と死をみつめて』という古い映画をやっていた(1964年・日活製作。吉永小百合、浜田光夫主演)。 軟骨肉腫という不治の病に侵されて死んでゆく若い女性と、彼女を愛し続ける青年の純愛物語だ。 実話をもとにしたマコとミコの物語として、古い世代では知っている人も多いと思う。
この場合、恋人は若くして死ぬが、彼女は青年の心の中に永遠に残る。青年がどのような人生を送ったとしても、彼女は永遠にして不滅である。 まったく個人的な話でも、男女の恋愛とはどうしてこんなに美しいのだろうか。 この世に男性と女性がいる限り、こうした純粋で美しい恋愛は無限に繰り返されていくだろう。 そして、人々はそれを美しく語り続けるだろう。(2002年4月30日)


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19 コメント

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アガペーの方が (希土暁宣)
2012-11-01 01:02:48
先輩はお若いですね(笑)。
私の場合、バツイチのせいか、エロスよりアガペーの方を美しく感じます。それでなかったら、亡き母への愛です。ストルゲー(家族愛)です。
もはや、恋愛の可能性はないと感じています。1人で生きていくつもりです。仲の良い姉もいますし。
エロスの昇華 (矢嶋武弘)
2012-11-01 05:01:11
若いですよ(笑)。私の出発点はエロスのようです。
アガペーはキリスト教的な愛ですか。一つの理想だと思いますが、美しいですね。
私にも家族愛はありますが、それほどではありません。兄たちとよく喧嘩もしました。いろいろ鍛えられた方です(笑)。
そうですか。 (希土暁宣)
2012-11-02 00:08:32
我が家は貧乏でしたが、本当に仲が良かったです。あっというまに、父、母、兄が亡くなり、寂しいです。
アガペーは、「無私の愛」と訳されるようです。
アガペー (矢嶋武弘)
2012-11-02 05:55:52
アガペーは「無私の愛」ですか。美しいですね。
小生のブログで良ければ、いつでもご訪問、コメントをしてください。こちらも勉強になります。
いま少し風邪気味で、おかしいですが(笑)
風邪にお気をつけて。 (希土暁宣)
2012-11-02 17:56:53
自薦記事が書いてないので、この記事を選ばせていただきますね。
寝る前に、またおじゃまします。
宜しくどうぞ。 (矢嶋武弘)
2012-11-02 20:39:44
希土さん、どうぞそうして下さい。
急に寒くなったので風邪をひいてしまいました。明日は良くなっている予定です(笑)。
ゲーテ (Peterpan)
2012-11-02 21:35:21
「若きヴェルテルの悩み」をあげます。しかし、完成に至った「愛」は下り道を行くようです。完成されざる愛はAufhebenして年齢とともに美しさを増します。
 1944年卒業、田園調布在住のNakatani akikoさんをご存知の方連絡待ちます。
キリスト教の愛の4分類 (希土暁宣)
2012-11-02 22:13:34
せっかくですから、解説しておきますね。
キリスト教では愛を4つに分類しています。
神学上の定義は難しいのでしょうが、私は簡単に、次のように覚えています。
①アガペー(無私の愛)
②エロス(男女の愛)
③ストルゲー(家族の愛)
④フィリア(友愛)
私に欠けているものと溢れているもの (トンビ母)
2012-11-04 04:31:33
私には、家族愛が良く分かりません。特に、親兄弟については。だって、私、親も兄弟姉妹も選んだ覚えはないですし。子供は、半分だけ選べました=父親の方。母親=自分ですので選ベませんでした。

友は選べます。
異性も選べます。
しかも、血縁者以外から!

だからというわけではないんでしょうが、私は、友(同性)や異性が大切です。父祖⇒親⇒子供⇒孫は、財産相続が主な目的だと感じます。

アガぺーって何なんでしょうねぇ、具体的には?
 (矢嶋武弘)
2012-11-04 09:57:34
トンビ母さん、愛にもいろいろあるようですね。
子供や孫を考えると、家族愛というのはごく自然なものでしょう。あるいは「愛以前」のものかも。血縁ということですか。
愛というと、男女の愛や友愛が基本でしょう。
アガペーは無私の愛なので、自己犠牲のきわめて純粋なものだと思います。愛と言うより、信仰心を感じますね。
自己犠牲なら、上記のエロスでもストルゲーでもフィリアでも可能ですから。

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