徒然日記風に・・・

つれづれに記憶と記録を綴ってみたい

カツ丼の恩返し

2012-06-27 10:16:44 | Weblog

カツ丼の恩返し

 

人の縁なんて不思議なものだね。どこでどんな縁が働いて、何処で誰に助けられるか分からないよ。

計算してできるものではない。シナリオどおりに物事が起きる訳でもないよ。

 

俺も青春時代に不思議な縁に出会ったよ。腐れ縁のおかげで助けられた。そんな不思議な気持ちを感じずにはいられなかった。ある出来事で、人の縁とはこんな形で繋がるものなんだなとつくづく感じさせられたよ。

 

人情とは相手に見返りを期待して施すものではないよ。人として、困っている人が居れば人として情けをかける。リスクはあってもメリットはない、それを覚悟の人情だろ。面倒な事には見て見ぬふりをしたくなるものだよ。でも、人に人情を与えるということは人としての美学でもあった。恐いこともあれば痛い思いをすることもある。勇気のいる行動でもあったね。人間の美学として感じていたよ。でも、なかなか実行できるものではない。君子危うきに近寄らずの名訓もあるからね。面倒くさいことには関わらないってことが現代の風潮だろう。殺伐とした人間関係の現われだね。いざとなれば誰も助けてはくれない、人に情けをかけても何も返ってはこない、損をするばかりだよ。自分は自分で守る、人の助けは期待できないと思ってしまうね。したがって、人情なんて捨てたほうが良い、割り切って、ドライに、クールに生きたほうが良いってことになるだろう。

自己中心主義の現れは、自己責任で生きるということでもあるけどね。昔の人にはよく言われたよ「人は一人では生きてはいかれないよ、どこで人様の世話になるか分からないよ、だから、自分にできることがあったら、人情をもって人に接することが必要だよ。明日はわが身だよ」って言われたもんだよ。子供心にしつこく言われても「ふーん」って感じでピンとはこなかったけどね。「人の縁なんてどこでどう繋がってるか分からないよ」って言われたもんだよ。

 

そんな不思議な縁を感じさせられることが俺にはあったよ。そのとき初めて実感したよ。不思議な縁をね。

 

俺が23歳の頃の出来事だよ。友達とスナックで飲んでいたときのことだった。俺がトイレに行って帰ってくると、仲間が言うんだよ。「お前、あの連中を知っているのか」とそっと指を指して聞くんだ。うっすらと暗闇でよくは見えないけどね、風体の悪い連中で、もろヤクザって感じのグループだった。

「知らないよ」って言ったら、さっきお前のことを聞きにきたぞ、お前の名前を確認して「やっぱり○○か、俺の知り合いだよ」って言われたよ。

そのうちに、グループの一人が俺たちのテーブルの方に寄ってきた。「おい、俺だよ ○○だよ。覚えているか、○○だろ」って俺の名前を呼ぶんだよ。

風体はレスラーのような体格をして金バッチを付けている。もろヤクザだよ。よく分からない、じっと見ていると昔の面影が見えてきた。中学生のときの同級生だった。なるべくしてなったヤクザの姿だった。

 

そいつは不運な男で、俺は中学の頃に同情して、励ましたり、相談相手になったりしたことがあった。奴は転校生だった。俺の中学校は市内でも有名な番長グループができていて、中学校の名前を出すだけでも、誰も手を出さない程の有名校だった。他校に行っては喧嘩をして制圧していく番長がいた。そんな環境に来た転校生で、チョットとっぽい感じの男だから、度々、番長グループに呼び出されては、殴られたりしていたらしい。

 

放課後、偶然に、校庭のトイレでそいつと一緒になった。泣き顔で様子が変なので「どうした、何かあったのか」と聞いたら、番長グループの一部に脅されて、殴られたと言っていた。俺は見るに見かねて「頑張れ、負けるんじゃないぞ、いざとなったら、俺が先生に話してやる。そんなことは続けさせないから、我慢できなくなったら俺に言え」と言って励ましたんだ。誰もが恐れる番長グループに文句を言うなんて危ない話だけどね。

俺は進学組みで不良グループではない。一年生の頃は柔道部にいて番長とは同期だったからいがみ合う関係ではなかった。柔道部は進学のため一年で止めてしまったけど、話せば分かるとの自信もあったからね。

 

それと、番長が他校と揉めて、50人くらいの不良グループに乗り込まれたことがあった。俺は帰宅途中でその群れに偶然出っくわしてしまった、番長が他校の50人くらいの群れに対して一人で対峙しているんだ。当校の不良連中は誰もいない。「どうした」と声を掛けたら「これから決闘をする」と言うんだよ。「一人でか」と言うと「そうだ」と言うので、俺はそこから離れられなくなった。元柔道部の仲間意識が働いて、知らん振りはできなくなった。決闘場の小学校のグラウンドまでお供することになった。2対50数名では勝ち目はない、ボコボコにやられる覚悟で付き合ってしまった。ところが、うちの番長は肝が据わっていたよ。遠巻きに囲まれても相手が手を出せない。タイマン勝負を要求したら相手がビビッタよ、誤解もあったようで話し合いが上手くいって、乱闘にもならずにその場を治めたよ。俺はそのまま巻き込まれずに「良かった」とほっとしたけどね。見てみぬふりはできなかったけど、振り返れば自爆行為だった。おそらく、番長はそのときの事を覚えていたんだろう。頼りない俺でも側にいたことが嬉しかったんだろう。俺は不良グループともめることはあまり無かったからね。そんな自信が俺にはあったのかもしれない。いざとなれば表ざたにしてでもクラスメイトを助けてやるとの思いがあった。「男は逃げるな、決して背中は見せるな!」が親の教訓だったからね。

 

虐められていたクラスメイトをそのまま帰すのも可哀相だから、飯でも食いに行こう、俺が驕るよと言って誘ったよ。知り合いの寿司屋に行って、カツ丼を食べた。そこのカツ丼は美味くて、よく食べていたんだけどね、そいつも美味いと言って喜んでいた。俺に声を掛けられたのが嬉しかったらしく、恩義を感じたらしい。元気を取り戻して帰ったよ。

その後、そいつは俺に相談することもなく、自分で事態の解決を図っていたようだ。俺に迷惑は掛けられないとでも思っていたようだ。不良グループに虐められながらも、一人で不良としての道を歩き続けていたよ。やがて、中学校も卒業となった。別々の高校に進学したけどね。あいつは、高校で恐喝をして一年生で退学になった。その後の消息は分からない。悪さをして少年院に入ったとの噂を聞いた程度だった。

 

成人してから数年が経ち、偶然にも、スナックでの再会となったわけで、奴は、嬉しそうに、懐かしそうに、俺に話しかけてきた。

堰を切ったように話し出し、お前には世話になった等の言葉を繰り返しては、中学校の頃の悔しさを語り、少年院を出てから、ヤクザになり、中学校時代の虐めたグループに仕返しをした話をした。元番長の足をナイフで刺して、どぶ川に投げ込んでやったと話していた。殺しはしないけど「2度と俺の目に入るんじゃねえ!と脅したよ。もう地元にはいないよ、東京に逃げたよ」と言っていた。

今や金バッチを付けてヤクザ社会では出世したらしい。なるべくしてなった極道の道だけど、新陳代謝の激しい世界だからね。お前も人生を大事にしろよと言って別れた。

懐かしい思い出にふけった夜だったよ。気持ちは何故か爽やかだった。仕返しをした話はリアルで、そこまでやったのかって感じで抵抗感があったけどね。こいつはこいつで自分の悔しさを晴らしたんだな、自分の力で果たしたんだな、いつか仕返ししてやるとの思いで生きてきたんだなと感じたよ。ヤクザの世界ではろくな人生は送れないなと思ったけどね、あのときの悔しさを晴らすために生きてきたんだな、それが奴の人生の証なんだなと思ったよ。その後、あいつとは会ったことはない。たった一度の偶然の出会いだった。

 

あいつに出会ってから数ヶ月経った頃、俺は交通事故を起こしてしまった。小学生を車でぶっつけて怪我をさせてしまったんだ。信号を右折して、アクセルを踏み込んだ瞬間に、右側車線に停止中の車の車列の間から子供が飛び出してきた。一瞬の出来事だった。ハット!感じた瞬間に、車のボンネットの上にはいきなり子供の顔が見えた、ブレーキを踏む間も無い、ハンドルも切れない、正に一瞬の出来事だった。慌ててブレーキを踏んだよ。車が止まるまでの時間が異様に長かった。走馬灯のようにシーンが見える。ボンネットの上の子供の顔がすべり落ちていく、このままでは車で轢いてしまう、車はスリップしたまま止まらない、子供はボンネットからすり落ちて姿が見えなくなった。車はしばらくして止まったが、子供を引いてしまったと思い込み激しいショックを受けた。絶望感がみなぎっていたが、慌てて車を降りて子供を確認しにいった。奇跡が起きていた、信じられない偶然が重なっていた、子供は無事だった。昔の車には左前部バンバーに車幅灯が付いていた、子供は車幅灯に挟まって地面に落ちてはいなかった。左前輪で轢かずに済んだのである。しかも車とガードレールの隙間は50センチ程度開いていた。ハンドルを切る間もなかったことが良い結果になった。車は真っ直ぐにスリップしてガードレールに接触しなかった。もしもガードレールにぶつかっていたら、子供の頭は潰れていたと思う。間違いなく殺してしまうところだった。信じられないほどの幸運が重なっていたよ。車のボンネットはベコリと凹んで生々しい傷跡が残っていた。頭を強く打ったかもしれないと心配したけどね、幸いにも意識は明瞭で軽傷だった。

 

一言で言えば運が良かったと言うことかもしれない。一瞬の間に数々の運の良さが連動した結果だった。子供は打撲程度の怪我にはなったけど、翌日は元気に部屋の中を走り回っている程度だった。被害者に丁寧にお詫びをして、幸いにも許してもらったが、事故の責任は重大な問題を抱えていた。若気の至りで俺の人身事故は二度目だった。過去に3重衝突による事故を起こし、重軽傷者20数名の大事故を起こした加害者だった。過失による事故で悪質なものではないが、運悪く大事故になってしまった前科があった。禁固刑を受けたが、運良く罰金で済んだけど、2度と事故は起こせない窮地に立っていた。この事故で交通刑務所入りは避けられないと覚悟した。

 

事故の当日、被害者を救急車に乗せ、病院へ搬送したが、現場検証では、事故の内容は子供の飛び出しであったとしても、俺は無免許運転だった。免許証を取り消されて、一年の謹慎期間中の事故だったのである。全面的に俺が悪かった。子供が軽傷だったことだけが唯一の幸運だった。

慎ましくまじめに謹慎していたのは事実だが、期間満了が近づき、もう少しで免許を取り直せると思いきや、魔が差したのである。用事を手っ取り早く終らせるためにも、昼間ならチョットぐらい大丈夫だろうと思い車を乗り出してしまったのである。しかし、たった一度の甘い考えでも、天は俺を許さなかった。この事故は正に天罰が下ったと思っている。一瞬の迷いを許しては貰えなかった。

 

車の運転には自信がある、事故さえ起こさなければ問題は無いと勝手に判断して、気をつけて運転していたにもかかわらず、人身事故を起こしてしまった。災いは天から降ってくる、正に子供は降ってきた、走って飛び込んできたのである。コントロール不能状態でなす術が無かった。これが事故なんだ、防ぎたくても防げない事故がある。車は急に止まれない、この意味が身に沁みたよ。

 

悪いことをしたから天罰が下った。災いは俺を目掛けて降り注いできた。これでも懲りないのかと執拗に覆いかぶさってきた。それでも、運が良かったから、子供の命が救われた、そして、俺の人生が救われた。この事故は、俺の人生を左右する重大な事故になった。幸いにも子供は軽傷で、被害者の理解も得られたため、交通刑務所に入ることもなく済んだ。今では許されない事だろう。数年は謹慎して車の運転はしなかったが、生活上不便でもあり、免許は取り直したけどね。物事を慎重に考えるようになったよ。

 

そんな状況下での人身事故だった。事故の当日、俺は逮捕された。パトカーに載せられて警察署に向かっていた。警察官には「今夜は帰せないぞ、身内に連絡をして来てもらえ、しばらく拘置所にお泊りだな」と言われていたところだった。走りだして数分経った時だった。

突然、パン、パン、パーンと無線から音が飛び出してきた。警察官が無線で緊急のやり取りをしている。何が起きたのか良くわからない。警察官が俺に向かって言った。「運が良いな、お前はここで降りろ、明日連絡するから、そのとき出頭しろ」と言った。「ヤクザの抗争で乱射事件が起きた、緊急出動になった」と言うことで、俺をここで降ろすということになったらしい。俺はその場で解放された。家に帰りニュースを見れば、乱射事件が報道されていた。翌日、新聞で犯人の名前を見て驚いたよ。打ち込んだ鉄砲弾の犯人は中学校時代の俺の同級生だった。スナックで再会した金バッチの男だった。まさか、あのときのパン、パン、パーンがあいつの打った銃声だったとはね、俺は驚いたよ。偶然の重なりとは言え、俺はあの銃声で解放された。ジャストタイミングだった。後、5分遅ければ警察署に到着していた距離だった。おそらく拘留されていたと思う。

 

おかげで俺は拘置所に入らずに済んだ。幸いにも交通刑務所にも入らずに済んだ。あの時、拘留されていたら俺の人生は変わっていたかもしれない。どん底に落ちる一歩手前で救われたような気がした。偶然とはいえ不思議な感覚で受け止めたよ。あいつの銃弾が俺を救った。あいつは何も知らない、俺も新聞を見て初めて知った、運命の悪戯か、これが縁というものなのか、人情というものが縁を結び、こんな形で繋がるなんて、不思議なもんだろ。これを俺は「カツ丼の恩返し」と思ったんだよ。あいつがこんな形で俺に恩を返したんだなとね。「刑務所は俺の行く所だよ、お前が行く所じゃないよ」と言われたような気持ちになったよ。

 

「縁は異なもの不思議なもの」「情けは人のためならず」だろ。単なる偶然かもしれないけどね。義理人情を感じる世代では、偶然でも偶然とは思えない縁を感じるってことだね。恩を返してくれと思うのはあさましい事だと思うけどね。恩は感じないとね。人としての生き様は見失いたくないね。これが俺の体験談だよ。俺にとってはカツ丼の恩返しだよ。災いが山ほど降り注いできた時代はこの事故で終了したよ。以後、運の悪さを感じたことも、悲観したことも無い。運命を真正面から受け止める人生観が生まれたよ。


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