ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

大戦中に投下された“米国式地震”予告ビラ

2013-02-28 10:11:51 | 地震、大災害

 大戦中に投下された“米国式地震”予告ビラ

日本人に読ませるための宣伝ビラの制作には多くの日系人が関わっていた。彼らは日本にとって勝ち目のない無益な戦争を早く終わらせようと心底善意から対日心理作戦に協力した。

典拠: 「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」P187 一ノ瀬俊也著 柏書房株式会社 2008年
 

「“米国式地震”を注目せよ!」 という文面

  

(裏表両面印刷のビラ)

逐文解説

1. 「一九二三年諸君の国に大損害を及ぼした彼の大地震を記憶しているか」 
もちろん当時から20年か21年前に起きた関東大震災のことである。
 
2. 「米国はこれに千倍する損害を生ぜしめる地震をつくりうる」
マンハッタン計画は当時すでに終盤に入っていた。
 
3. 「かくの如き地震は2トン半ないし4トンの包みにして持って来られる」
地震を誘発できるほどの莫大な威力のある爆弾ということになるだろう。ちなみに広島・長崎に投下した原爆の重量は4.5トン前後である。「持って来られる」 場所であるが、当時の米国は日本のアキレス腱とも言うべき南海トラフの存在を知り尽くしていた。
 
4. 「これらの包みはいずれも数年間をかけた苦心惨憺のたまものを2,3秒間内に破壊しうるのである」
破壊力についてはすでに実験済みであるかのようであるが、実際ネバダ州ですでに地下実験は行われていた。
 
5. 「米国式地震を注目して、この威力が放たれた際に大地の震動を感知せよ」
「米国式地震」ということは、アメリカが引き起こす “人工地震” ということであろう。
 
6. 「諸君の家屋は崩壊し、工場は消失し、諸君の家族は死滅するのである」
特に 「工場は消失し・・・」 を見過ごしてはならない。東南海地震では航空機の製造工場が集中していた中京工業地帯が壊滅し、中でも最大の犠牲者を出したのは中島飛行機半田製作所だった。
 
7. 「米国式地震を注目せよ - 諸君はそれが発生するときを知るであろう」
あいにくこのビラが投下された日付は不明であるが、少なくとも東南海地震以前であろうと推測される。
 
 

1940年代に米国中央情報局(CIA)の前身である戦略事務局OSS (Office of Strategic Services)によって起草された機密文書 「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」 から一部を引用する。上の“米国式地震”予告ビラと照らし合わせてお読みいただきたい。

「日本国民の間に社会的なヒステリー状態とパニック状態をもたらすことにおいて、二つの顕著な要因が歴史的に大きな役割を演じてきた。それは火事と地震である。

・・・・・・ 火事という要因はわれわれの焼夷弾による広範囲の爆撃によって供給されつつある。さてここに、われわれが利用すべきもう一つの別の要因が残っている。それは地震という要因である。

・・・・・・ 地震学者達は日本が 「地質学的な地雷」 であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。

・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」 と 「人間に引き起こせるトリガーの力」 との類似性が実証されている。

これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」

 

この“米国式地震”の予告ビラは、戦時下の日本国民に動揺を与える心理作戦のための “実体のないただの脅し” だったのか、それとも当時の米国の技術的能力も戦略的意図も前提とした “本当の予告” だったのか。
“はったり” だけで何も起きなかったのか、それとも予告されたことが実際に起きたのか?
 
 
敗戦前後の日本の4大地震

4年連続、毎年、M8近くの地震が日本の中部を襲った。日本の地震の歴史上極めて稀な集中である。

____昭和_____西暦______名称_____震源____M____死者・行方不明

1回目_昭和18年_1943.09.10__鳥取地震___野坂川___7.2__1,083人

2回目_昭和19年_1944.12.07 _東南海地震___熊野灘____7.9__1,223人

3回目_昭和20年_1945.01.13__三河地震___三河湾___6.8__2,306人

4回目_昭和21年_1946.12.21__南海地震___紀伊半島沖_8.0__1,330人

_______________3年3カ月の期間__________合計5,942人


1944.12.07  : この日は、日本側の資料では、「翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)」とされているが、アメリカ時間では“12月7日”がまさに真珠湾攻撃を受けた日付である。
 
これは単なる偶然であろうか?
 
アメリカでは、この“リメンバー・パールハーバーの日” に大地震が日本を襲い、航空機の製造工場が集中していた中京工業地帯が壊滅的被害を被ったことが新聞で大きく報じられ、アメリカ国民は歓喜に沸いた。多くのアメリカ人は神が日本に罰を下したたと思ったに違いない。
 
これらの地震がアメリカ自身が予告ビラで豪語していた “米国式地震” であったと考えることに何か無理があるだろうか?このアメリカにとって意味ある12月7日に密かに合わせて人工地震を起こした可能性は皆無であろうか?
 
 

機密文書 「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」 から再度引用する。

「・・・・・・ 地震学者達は日本が 「地質学的な地雷」 であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。

・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」 と 「人間に引き起こせるトリガーの力」 との類似性が実証されている。

これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」   OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (2) 本文全訳

 
 
ちなみに当時米軍は日本の都市に対する空襲にも事前に小まめに空襲予告ビラを投下散布し、ほぼその通り空襲している。そうしたビラは敵国の謀略だとされ、拾ったり持っていたりすれば憲兵に捕まったが、当時の人々はそれらの内容が日本政府の発表よりも正確であることを知っていた。以下のビラも参考にされたい。
 
 
 
伝単(ビラ)を積み込む米空軍兵士
 
 
(裏表両面印刷のビラ)
 
 
 

 

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