ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
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ウォーナー伝説 (3) 心地よいプロパガンダ

2018-05-05 03:43:36 | 書評

ウォーナー伝説 (3) 心地よいプロパガンダ 

 

 大戦末期に京都、奈良、鎌倉が空襲されなかったのは日本びいきのウォーナー博士が日本の文化財を守るためにルーズベルト大統領に進言してくれたおかげだという “ウォーナー恩人説” が、マッカーサーの言う “12歳の子供” 向けの作り話 であって、事実であることはあり得ないことを押さえておく必要がある。これは周到に計算された染脳工作だったのである。

 

 マッカーサー がGHQの総司令官の任を解かれた後にアメリカ本国で開かれた公聴会での(本音)発言:

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ドイツの問題は日本の問題と完全に、そして、全然異なるものでした。ドイツ人は成熟した人種でした。アングロサクソンが科学、芸術、宗教、文化において45歳の年齢に達しているとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいに成熟していました。

 

The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.

しかし日本人は歴史は古いにもかかわらず、非常に教えを受けるべき状態にありました。現代文明を基準とするならば、我々(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して、日本人は12歳の少年のようなものです。

 

Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. They were still close enough to origin to be elastic and acceptable to new concepts.

教えを受けているどんな期間についても言えるように、彼等は新しいモデルや新しい考えに影響されやすい。そういう状況では基本的な概念を植え付ける事ができます。日本人は新しい概念を受容できるくらいに白紙に近く、柔軟性もありました。

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 マッカーサーの炯眼は今日でも無視しがたいものがある。

  

 

1) “ウォーナーリスト” というタイトルの文書は一切存在しない

“ウォーナー伝説” の信奉者たちが口にする “ウォーナーリスト” というタイトルの資料も冊子も実はどこにも存在しない。日本で俗に “ウォーナーリスト” と呼ばれているものはどうやら 「米陸軍動員部隊便覧(M354-17A)民事ハンドブック 日本 17A:文化施設」 というタイトルの冊子のことらしい。たしかにウォーナーは日本の文化財施設をリストアップしたこの冊子の作成を担当している。

 

 

2) 日本の “ウォーナー伝説” の信奉者たちが “ウォーナーリスト” と呼ぶものは、アメリカ軍部の編集によるもので、ウォーナーが自発的に作成したものではない

このリストはアメリカの軍部によって編集された、大戦に関与した40カ国をカバーする膨大な文化財施設のリストのごく一部をウォーナーが依頼を受けて作成したものである。

 

“ウォーナー伝説” の信奉者たち は、これを勝手に “ウォーナーリスト” と呼んで、まるでウォーナーが日本の文化財を守るために率先して作った “文化財施設の爆撃禁止リスト” であるかのように語る。

 

 

3) 実際にはウォーナーは軍の依頼を受けて4カ国分のリストを作成しており、日本はそのうちの1つに過ぎない

水を差して薄めるようで恐縮だが、ウォーナーが文化財施設のリストの作成に関わったのは日本だけではないのだ。中国、朝鮮、日本、タイの合計4カ国である。もしウォーナーが作成したリストをどうしても “ウォーナーリスト” と呼びたいのならば、中国、朝鮮、日本、タイの4カ国の文化財施設をリストアップした4冊の冊子をまとめてそう呼ぶべきであろう。

ウォーナーは何も日本の文化財施設だけをリストアップしたのではなかった。ウォーナーの業績を 一部の日本人の “選民意識” を満足させるために勝手に矮小化してはならないであろう。

 

 

右は映画 「ウォーナーの謎のリスト」 のパンフレット(22p)。

繰り返すが、ウォーナーが作ったリストは4ヶ国分あるのだ。あたかもウォーナーの仕事が日本だけに限定されるかのように、日本人が “ウォーナーリスト” を云々することじたいが、すでに 自己中心的な民族的ナルシシズムで舞い上がっている事実誤認である。

黄河文明だけが文明だと主張する中国人がいるかもしれない。しかし、4大文明を知っている人は笑うであろう。

 

 

4) ウォーナーが担当したリストはアメリカ軍部が編集した全40巻のうち4巻にすぎない

 そもそも、この4カ国分のリストすら、戦時下にアメリカ軍部がロバーツ委員会に作らせた全部で40カ国をカバーする40巻の冊子のうちの4冊にすぎない。ヨーロッパを中心とした40カ国分の文化財施設のリストの作成のうち、ウォーナーはアジアの4カ国を割り当てられたのである。

M354が日本で、M353はイタリヤ、M352はフランスといったふうに第二次大戦に関わった主にヨーロッパの国々の重要な文化財施設を網羅してリストアップしたものである。

アメリカが日本の文化財施設だけを心配していたと思って得心している人間は、民族的ナルシシズムに酔いしれているだけなのである。アメリカは日本だけを考えていたのでなく、世界の大戦関与国40カ国すべてを同等に考慮していたのである。

アメリカは物事を大局的に見ていた “恐ろしいほどに冷徹なオトナ” で、日本は自己中心的にしか物事を見ていなかった、まさに “12歳の子供” だったのである。その違いを謙虚に認めるべきである。 “ウォーナー恩人説” をいまだに信じている日本人は、情けないことだが、いまだに “12歳の子供” ということなのだ。

 

 5) 米軍による40カ国をカバーする文化財施設のリストは、“爆撃禁止リスト” ではなかった

そしてこの40カ国をカバーした膨大な文化施設のリストは、間違っても爆撃禁止リストなどではなかった。この40カ国をカバーした膨大な文化施設のリストが “爆撃禁止リスト” だとあなたは本気で思うであろうか? あなたの年齢相応の常識で考えて頂きたい。

大戦下のナチスドイツによるヨーロッパ各地の貴重な絵画、彫刻などの大規模な略奪、収奪があったことは広く知られている。このアメリカ軍が作った40カ国に及ぶ文化財施設のリストの主目的は、主に枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)によって略奪された文化財の元の場所を明らかにし、回収、返還を容易にするためのものであった。

現に当のウォーナーが、このリストの日本版の冊子の序文でこう書いている。

「日本の図書館一般に関連して、中国の図書館が(日本によって)略奪され、その資料が東京帝国大学図書館やおそらく他の同様の倉庫に運び込まれたことを念頭にとどめるがよい。こういう理由で、失われた資料を発見して中国に返還するために、学者による検査がなされる時に備えて、これらの図書館には厳しい目を向け、その内容がそのまま残っていることを確かめる必要がある。」 出典 「米陸軍動員部隊便覧(M354-17A)民事ハンドブック 日本 17A:文化施設」

ウォーナー自身がこう書いているのである。これが爆撃禁止リストの序文だと思うのはよほどおめでたい人間であろう。本当の事実を何も知らずに、“ウォーナー恩人説” という戦後GHQによってさんざん喧伝された作り話や、最近になって “伝説” を蒸し返そうとするプロパガンダ映画に踊らされているひとたちである。

日本人の民族的ナルシシズムに付け込まれ、不勉強ゆえにまんまと “おだて” に乗っている “12歳の子供” である。 

「比較文化史家で東京大学名誉教授の平川祐弘は、ウォーナーの他にも日本の文化財保護の立役者と言われている人物が複数いるがどれも根拠薄弱であると述べ、「外国人に感謝するのもいいが、するなら根拠のある感謝をしてもらいたい。」 「ウォーナー伝説は日本では美談扱いだが、米国では日本人の感傷的な歪(ゆが)んだ外国認識の実例として研究対象にされた。」 と痛烈に批判している。」  ウィキペディア 「ラングドン・ウォーナー」

 

   右の仏像はウォーナーが大戦以前の1920年代に敦煌から略奪したものである。

 下の2か所の白っぽい四角の部分は、ウォーナーが剥がした壁画の跡。

 

 仏像も剥がした壁画もウォーナーの出身大学のハーバード大の美術館に今でも臆面もなく展示されている。

文化財の盗掘や盗難は20世紀でも多かったが身元の知られた考古学者が略奪していて、しかも本人は事実を認めながらも開き直っているウォーナーのような厚かましいケースは稀である。 

  

 この稀代の文化財泥棒が、中国での自分の略奪の約20年後に、いわゆる “ウォーナーリスト” の序文で、いけしゃーしゃーと以下のように言っているのだ。

日本の図書館一般に関連して、中国の図書館が(日本によって) 略奪されその資料が東京帝国大学図書館やおそらく他の同様の倉庫に 運び込まれたことを念頭にとどめるがよい。

こういう理由で、失われた資料を発見して中国に返還するために、学者による検査がなされる時に備えて、これらの図書館には厳しい目を向け、その内容がそのまま残っていることを確かめる必要がある 出典 「米陸軍動員部隊便覧(M354-17A)民事ハンドブック 日本 17A:文化施設」

 

これをそのままウォーナーが中国でやってきた犯罪行為にさかのぼってあてはめてみると、以下のようになる。 

ウォーナーによって 略奪され た敦煌の仏像も剥がした壁画もウォーナーの出身大学のハーバード大の美術館にすでに 運び込まれたことを念頭にとどめるがよい。

こういう理由で、失われた文化財を発見して中国に返還するために、学者による検査がなされる時に備えて、ハーバード大の美術館 には 厳しい目を向け、その内容がそのまま残っていることを確かめる必要がある。 

 

かつての泥棒が 「泥棒を監視しろ!」 と言っているに等しい。 「盗人猛々しい」 を通り越して、ブラックジョークである。中国ではウォーナーは、もちろん今でも正当に “略奪者扱い” である。

 

 

6)  ウォーナーは、アメリカの軍部がこの膨大なリストを作成するために動員した数百人の学者のうちの一人にすぎない

戦時下のアメリカ軍が多数の大学の教授や研究者を使ってヨーロッパの主な国々を中心とした40カ国分の文化財施設のリストを作成したのである。そして、中国、朝鮮、日本、タイの4カ国を担当したのがウォーナーだったのである。

たしかにウォーナーは日本の美術に通暁したアメリカでは数少ない学者ではあった。しかし、ウォーナーもしょせんアメリカの国策やプロジェクトに動員される一介の学者に過ぎなかった。

つまり、ウォーナーは、ロバーツ委員会が完成した40の大戦関与国を網羅した文化財施設のリスト、「(アメリカ)陸軍動員部隊便覧民事ハンドブック:全40冊」 の作成のために 動員された数百人の学者の一人に過ぎなかったのである。

軍部によって中国、朝鮮、日本、タイの4カ国の文化財施設のリストの作成を依頼されたウォーナーは、大戦前の昔に自分が中国の敦煌でやった “略奪行為” を思うと、心穏やかではなかったはずだ。

 

 

“ウォーナー伝説” は “おだて話” だった

ウォーナーの作った爆撃禁止リストにしたがって京都、奈良、鎌倉を爆撃しないようにしていたという “ウォーナー伝説” には、日本の伝統的文化に対してアメリカも一目置いて敬意を払っていたのだという 日本人の “勝手な前提” が潜んでいる。これは日本人の “自己中心的な選民意識” であり、軍事力ではこてんぱんに負けてしまった日本人の潜在的な “傷ついた自尊心” でもあった。

要するに、“ウォーナー伝説” なるものは、戦後の日本人のこの傷ついた “民族的ナルシシズム” を上手になだめてくすぐり、アメリカになびかせ、日本人を親米的に思想改造するための、よくできた “おだて話” だったのである。日本人が聞いて非常に “心地よい話” だったのである。

しかもこの “おだて話” もしょせんは、アメリカこそ日本を救った恩人であるという基本的な構図の一部として位置づけられているのである。日本人は原爆を2つも落とされていながらもアメリカを “恩人” と見るように、ものの見事に思想改造されたのである。日本人には500年かかっても真似できない実に老獪な染脳工作である。

  

日本        アメリカ

両親を殺した殺人犯が遺児に“先生”のふりをして近づき、自分の正体を隠すためにその子供を巧みにおだて上げ、むしろ自分を“恩人”と思わせてきたようなものである。

 

マッカーサーは、「人類の歴史において占領の統治がうまくいったためしがないが、例外として ジュリアス・シーザーの占領と、マッカーサー自身による日本統治があるとし、その成果により一度民主主義を享受した日本がアメリカ側の陣営から出ていくことはないと強調した」 とウィキペディアにある。要するに日本人ほど従順で操作しやすく、言いなりになる国民はいないということである。

 

GHQは日本人を手なずけ、アメリカという恩人兼先生、つまり “恩師” を手本とした優等生に育てるべく、さまざまな情報操作や染脳工作を組織的にきめ細かく展開しており、“ウォーナー伝説” の流布もその最初期の工作であった。

アメリカは “軍事作戦” だけでなく、“心理作戦” でもはるかに日本を上回っていたし、現在でもこの差は少しも縮まっていない。

 

 

日本人が “ウォーナー伝説” をむさぼるように受け入れた理由

歴史学者吉田守男教授がその著書で明らかにしたように、“ウォーナー伝説” はけっきょくのところ  “アメリカ恩人説” を広めて占領統治を容易にするためのGHQによる染脳工作の一つであった。しかし、それが彼らの予想をはるかに超えて深く日本人の頭脳に吸収されたのには理由がある。

敗戦直後という特殊な時代的背景もさることながら“ウォーナー恩人説” は、日本人の精神構造の基底に備わっている “おかげさま因果律” にみごとに呼応したのではないかと考えられる。

“おかげさま因果律” とは、自分が幸運に恵まれたときに 「おかげさまで・・・」 と言わずにはいられない日本人の説明体系の一部である。幸運に恵まれたのは、誰かの好意や善意が原因であるという、科学とは別の “因果律” であり、日本語表現の体系の中に組み込まれた思考回路である。

この 「おかげさまで・・・」 は実際にお世話になったひと、恩に着るひとが明らかな場合に使われることがある。

「先生、おかげさまで、すっかり腫れがひきました」   「おかげさまで、先日の話、まとまりました」

 

興味深いことに、そういった潜在的な庇護者、救済者が特定できないような場合にこそよく使われる。

「おかげさまで、無事退院できました」 「おかげさまで、天候にも恵まれ、絶好の運動会日和となりました」 

「おかげさまで、家族全員元気にしております」  「おかげさまで、創立20周年を迎えることができました」 

「おかげさまで、昨年は箱根マラソンを完走することができました」 

 基本的に、何か幸運に恵まれた場合、もしくは不幸中の幸いという事態に至った場合、日本人の思考回路ではそれらは自動的に好意や善意の結果と解釈され、そのように理解され、そのように伝えられる。その幸運な結果をもたらしたのが現実の庇護者、救済者として特定できるかどうかは別問題である。

 

これは未開人の因果律と非常に共通している。未開社会では、不幸や災いはすべて悪意の結果であり、幸運はすべて善意の結果であると理解される。“単なる偶然”というものは未開人の説明体系には存在しない。

「おかげさまで、鎌倉は爆撃されませんでした」 「おかげさまで、法隆寺は無事でした」 「おかげさまで、京都は最後まで戦災を免れました」 

こうして、“ウォーナー伝説” の場合は、日本の文化財施設の実際の庇護者兼救済者として “恩人ウォーナー” を称える朝日の新聞記事 が出ると、この “美談” はたちどころに日本人の頭脳に根を張ってしまったのである。

ずっと見つからずにいた、“空襲の不在” という謎を説明すべき最後のピースが、“恩人ウォーナー” として現れるや、ピタッとジグソーパズルの最後の空隙にはまり、絵が完成したのである。「なるほど、そういうことだったのか」 と多くの日本人は得心すると同時に、アメリカに対する疑心暗鬼をたちどころに好意と信頼に替えたのである。

つまり、戦時下の日本人にとっても謎だった、古都における “空襲の不在” の理由が “種明かし” されたので、戦後の日本人はいささかの警戒心もないまま “ウォーナー伝説” というそのエサに喰いつき、GHQの狙い通りに世界一の “親米国民” になったのである。

 

ウォーナーの作った爆撃禁止リストにしたがって京都、奈良、鎌倉を爆撃しないようにしていたという “ウォーナーの美談” には、日本の伝統的文化に対してアメリカも一目置いて敬意を払っていたのだという 日本人の “勝手な前提” が潜んでいる。これは日本人の “自己中心的な選民意識” であり、軍事力ではこてんぱんに負けてしまった日本人の潜在的な “傷ついた自尊心” でもあった。

 

“ウォーナーの美談” なるものは、戦後の日本人のこの傷ついた “民族的ナルシシズム” を上手になだめてくすぐり、アメリカになびかせ、日本人を親米的に思想改造するための、よくできた “おだて話” だったのである。日本人が聞いて非常に “心地よい話” だったのである。

当時の日本人を誰が笑えようか?

2018年現在でも 映画「ウォーナーの謎のリスト」 という “ウォーナー伝説” 蒸し返しの映画 をそのまま真に受ける人間は無数にいるのだ“ウォーナー伝説” はかつてはアメリカの国益のためにGHQやCIAによって利用されたが、今や日本の “反戦平和” 信者によって “心地よいプロパガンダ” として再利用されている。

 

疑い得ない客観的な証拠に基づいた “本当” の事実 よりも、よくできた “心地よい” 作り話 の方が信じられてしまうという例である。

 

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(2) 1955年にウォーナーが死去すると、政府は勲二等瑞宝章(外国人への最高の栄誉)を授与。地方では奈良県議会がいち早く弔問決議(55年)。鎌倉では吉田茂元首相らが発起人となって追悼法要。その他各地で追悼行事が行われた。

その結果、ウォーナー伝説は瞬く間に全国に広がっていった。ウォーナー顕彰碑も各地で作られた。製作順にあげると、法隆寺境内(1958)、安倍文殊院(59)、茨城大学五浦美術研究所敷地内(70)、京都霊山歴史館(70)、福島県湯川村(81)、鎌倉駅西口広場(1987)など。 

ウォーナー伝説 (1) 目の前にある “歴史偽造”   より

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上記のような日本各地での “既成事実化” が官民一体となって40年以上にわたってさんざんなされてしまった。そうして1990 年代になってはじめて一歴史学者の地道な調査によって “ウォーナー伝説”のでっちあげが米軍側の豊富な資料を元に証明されたわけである。

朝日新聞の記事、勲二等瑞宝章、ウォーナー顕彰碑のような 目の前に物理的に実在するウソ” があり、

 

 

年中行事として恒例化したウォーナーの慰霊祭、追悼法要や、映画上映会などの目の前に社会的に実在するウソ” があり、

 

 

 これらによって、 “GHQの染脳工作”、“歴史偽造”、“心地よいプロパガンダ” が構造的に再生産され、永遠化されている。 

 

 

ウォーナー伝説 (1) 目の前にある “歴史偽造”

ウォーナー伝説 (2) 「ウォーナーの謎のリスト」 というヘタレ映画

 “歴史偽造”の現場: ウォーナー博士の法要 6月9日鎌倉で

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6 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-05-06 10:48:28
日本人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ!調子に乗るなよ!
学校で教わりました (日本人)
2018-05-06 11:22:53
京都、奈良、鎌倉といった日本の古都はアメリカが遠慮して爆撃しなかったんだと昔学校で教わりました。ウォーナーの名前は出てきませんでしたが、アメリカさんはさすがだなあと思っていました。自分の子供にも何度か語って聞かせましたし、50年以上ずっとそう思ってきました。ちょっとショックです。
Unknown さま (ザウルス)
2018-05-06 11:45:36
だいぶご立腹のようですが、そうした反応こそご自分がいまだに “12歳の少年” のレベルであることを示しているのではないでしょうか?
日本人 さま (ザウルス)
2018-05-06 12:01:13
お気持ちはよくわかります。ただ、あなたのすごいところは、「ちょっとショックです。」 と言葉に出して正直に認めているところです。これは誰にでもできることではありません。あなたは誠実に真実を正面から受け止めているのです。脱染脳への大きな一歩です。
染脳された人間の多くはそれができず、怒ったり、目をそむけたりするものです。
Unknown (kura)
2018-05-11 16:57:09
興味深く読ませていただきました。ウォーナー伝説よりもザウルスさんが言っていることのほうが納得がいきます。
話は変わりますが海底考古学の記事を触りだけ拝見しました。これらの動画は他の動画サイトでも投稿される予定はあるのでしょうか?
kura さま (ザウルス)
2018-05-11 20:41:13
ご納得いただき、ありがとうございます。

「海底考古学」 はYouTube 運営者による一方的閉鎖のため中断していましたが、すでに作ってある新しいザウルス・アライブのチャンネルで遅くとも来月には再開します。        
https://www.youtube.com/watch?v=MTNRispqKt4   
今度の作品は 第25巻になります。乞うご期待。

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