「社会外之社会」-その11
〈津田きみの事例〉
芳原遊廓を逃れて
汚れし社会を厭ひ、少女我社に来る
我が社会を挙げて腐敗の極に達したり。如何にして之を牧ふべきや。社会は元と『人』より成り、人の世は則ち男女の愛情より或る。故に男女の関係を情浄ならしむるは、世を故ふの第一問題なるに我国に於ては国家自ら遊廓テウ邪淫制度を公設して、其の双手を涜し居るなり。如何で他を正すことを得んや。
故に我が『毎日新聞』は、正面よりは堂々公娼の不義不道を痛論して其の廃止を主張し、裏面よりは此の醜業者間の悪徳を摘発して之を善良なる紳士淑女の同情に訴へつゝあるなり。
コヽに忽ち窮鳥の飛むで懐中に入り来る有り。去る二日の午時、記者が恰も翌日の紙上の為めに、『新法律は不道なる公娼の旧制を否認せり』第一編を起稿しつゝありける時、社員の一人来りて耳語して曰く『看よ、芳原遊廓より一少女逃れ来れり、之を論して帰らしむべきや』。
記者は筆をとゞめて反問せり『何が故に彼女は逃れ来れるや、彼女は既に賤劣稼業に其の身を涜せるに非ざる乎』
社員曰く『否な、彼女は尚ほ十三歳なり。今ま二三年を過ぎなば遂に賤業を営まざるべからざるべし。彼女は幼き身にも此の汚れたる地に起臥するを物憂く思ひ、小いさき胸に心を決めて逃れ出でたるなり。彼女は相知れる何某と言へるを頼みて逃れ来れり、斯くて我が社に投じ来れるなり、如何にかすべき』
記者は彼女に椅子を与へて之を見たり。色白く愛らしき一少女なり。去れど其語る所、明らかにして柔なしく、イト賢しげに見受けられぬ。彼女は名を津田きみと呼べり。美濃国上加納なる津田竹次郎と言へる者の長女にて昨年の夏、父の病中、継母の為めに売られて吉原揚屋町なる玉宝来楼干葉幸吉と言へる妓楼に在りしなり。
記者問ふて曰く『負債は何程なりや』
きみ女曰く『十円にて六年の年期なり』
記者曰く『御身の父は尚ほ健在なりや』
少女は俯して語なし、只だ玉の如き涙の膝に滴たるを見たり。
記者重ねて問へるに、少女は僅かに答へて日へり、昨年の冬、亡き人となりぬ…
記者曰く『御身は吉原へ帰ることを欲せざるや』
少女はウナづきて堅き決意を示しぬ。
記者曰く『心を安んぜよ。吾等必ず御身を救はん御身既に彼の地に帰るを欲せずんば、吾が陋屋に来るべし。御身を教育して淑女たらしむべき道は吾に在り』
斯くて津田きみ女は、未来の娼妓より脱して我が『毎日新聞』の手に移れり。吾人は今や理論に於て廃娼論を唱道し、文筆を以て公娼の弊害を鳴らすと同時に、一歩を進め其実際に於て此憎むべき、貸座敷営業者と戦争を開始せざる可らざるの機会に遭逢したり。吾人が是れより此少女を如何に取扱ふ可き乎は吾人の運動の進むに従ひて読者に報告せん。 記者は此の健気にも人目しげき遊廓を逃れ来れる少女をして、再び其の嫌へる悪地へ帰らしむること能はず。必ず受引きて之を教育せんと決心せり。記者問ふて曰く『未だ午餐をしたゝめまじ、物ほしくはあらずや』
アヽ、きみ女の答こそ断腸の極みなれ。彼女はシトやかに答へて日へり『否な、二食に慣れてはべれば、物欲しうも覚へはべらず』
『二食に慣れたれば物欲しうもなし』、無邪気なる少女の愛らしき唇頭より、何気なしに泄れ出でぬる此の一語の裡にこそ、人面獣心なる別世界の千万の惨状は含まるれ。
記者が与へし菓子などさへ、彼女は嬉しげに押し戴けるのみ、袂に蔵めて食べんともせず。記者が筆執る傍におとなしく座して、編輯の終るを待ちつゝありき。
夜は未れり。街頭には灯火の輝き初めぬ。記者が辞すべき時は到来しぬ。少女は記者の身辺近く従ひて歩めり。
『きみ女よ、今日は多くの道を歩みたれば、定めてイタく疲れつらん、今暫し忍耐せよ』、顧みて斯く慰めぬれば、彼女は只だ頬辺に笑を寄するのみ何をも言はず。勇ましげに急ぎぬ。
『今や遊廓は賑ひそむる時刻ならん、夜深くまで逐ひ使はるべければ寝ぬる閑とてあらざる可し』
『騒々しいから寝られないんです。ソレで、朝が遅いんです』
『御身の如き小さきもの尚ほ他にもありや』
『豆さんがマダ三人あります、豆さんから女郎衆になった人もあるんです』
読者諸君よ、此の少女の語る所を聴け。斯る清浄無垢の少女をば僅かに十円、十五円の金に買ひ取りて牛馬の如くに使ひ廻し、十六の春の来るを待つて、之を娼妓の名簿には上ぼすなり。此時是等の少女は種々の名称の下に数百円の虚偽の借金を負はせらるゝなり。此の重き負債の為めに此等の女子は再び其身躰の自由をさへ得るに及ばずして獣慾の放蕩漢と、虎狼飽くなき楼主との為めに其の一生を犠牲に供する者多きなり。
期る談話の中に軈て記者の家の門に達せり。
夜の具のべて、先づきみ女をして伏戸に入らしめぬ。心配ひにイタく疲れけん。枕に就くとソガ儘直に熟き睡に入りぬ。灯火にすかして笑ましげに眠れる罪なき顔見れば、ゲに天女の面影宿れり。幼き夢は何処にか通ふらん。
今こゝに津田きみ女が生立を記さんに、彼女が父竹次郎と云へるは、美濃国上加納、下金津町に種物を商ふて、豊かならずも又た其日に差支ふることもあらで暮らしけり。彼女が生れて未だ東西も分かざるに、何事のありけん、彼女の母は離縁となりぬ。去れば祖母なる人の老いの手しほにて育てられぬ。
彼女が九歳の秋、祖母なる人は、まだ幼き孫を残して返らぬ旅路に逝けり。代りて未れるは竹次郎の後妻なりき。何処如何なる者とも知らず。不幸なるはきみ女なりけり。彼女は慈悲深き祖母を亡ひて、慳貪なる継母を得たり。
竹次郎の後妻は、先妻の記念なるきみ女を目の敵に虐待せり。おとなしき彼の女は母と云ふ字に是非なくも涙を飲みつゝ従へり。近隣の人達も非道の後妻を怒りて、きみ女を憐みぬ。父竹次郎も心着きては居るものから、後妻の無法を制するに由なく、窃かに小蔭へきみ女を招きて、何処か良き家を捜して養育を頼むべければ、暫し辛棒し呉れよなど、我子に詫びごとせるも数々なりき。一昨三十一年の冬、彼の継母は一男児を生めり。是れより継母かきみ女を虐待すること甚しきを加へぬ。
かゝる時に竹次郎は病の床に打伏しぬ。初めは左せる程にもあらざりしに、兎角捗々しからず。左なきだに気随なる彼の後妻は、日頃邪魔なるきみ女をば、父が医薬の料の為めとて、恰も人員ひに美濃尾張あたりをウロつき居たる、吉原遊廓の玉宝来楼事千葉幸吉と云へるに僅か『十円』と引替に売渡せり。病の床に重き枕に就きたる竹次郎は之を如何ともすること能はざりき。
天にも地にも只一人なる父親の、重き病を見捨てゝ遠き旅路に上らんこと、幼き心にも如何ばかり悲しかりけん。痩せ衰へたる竹次郎の枕頭に小さく俯して、物も得言はで涙に暇を告げゝる時、竹次郎も重き枕を僅かに擡げ、コヽに始めてきみ女が真実の母親のこと物語りぬ。きみ女が生みの親は今京都あたりに嫁ぎ居るとぞ風のたよりに聞きぬ。去れど委しき事は知るに由なし。
無情なる楼主に急立てられつ、きみ女父子は飾かぬ別れを告げぬ。比の生別こそヤガテー生の死別れなりけん。
きみ女が売られて吉原遊廓に来れるは昨年の夏なりき、詐偽淫猥の濁れる渦底に沈みある恐るべく驚くべき罪悪は、幼きながら清き彼女の目には如何と映りけん。
彼女は慈しき祖母の手に育ちたり。小学校をば四年まで修めたり。生れ得たる良心は小さき胸中に輝きてあり。此の遊廓てふ怪天地が悪事を勧め詐りを教へ、人を見ること禽獣にも如かざるの有様に接しては、其の悲痛を思ひやられぬる。
かゝる境界に駆使せられて、また片時だに安き眠を得ることも得ならず。昼夜顛倒の苦をしのぶ間にも、忘るゝ閑なきは故郷に病める父なりけり。我が身居らずなりぬる後は、かの邪樫なる継母の如何に無情あるらん。又た面影に恋ふるは、顔さへ知らで別かれぬる、我が真実の母親なり。若し真実の親子打ち揃ふてありけんには、我が身も斯かる巷に落ち来るにも至るまじく、父の看護も心のまゝになし得し者をなど、意地らしくも人知れぬ涙に、忍びて袂をばしぼりぬ。
夏も過ぎ秋も去りて衣手寒き冬は来りぬ。父の病は如何ならん。
打ち絶へて音信なきは何故ならんと、独り心を痛めつゝありける時、十一月十八日の夕暮一片の端書は継母より来れり。久しく聞かざりける故郷のたよりと心嬉しく裏返へし見ればアゝ何事ぞ、是れ今しも案じわづらひつゝありける父竹次郎の凶音ならんとは、其文言は左の如し。
拝啓陳者早速に申述候扨テ父竹次郎義ハ先達テヨリ加賀国ノ山中ノ湯二行居候処病気ニテ湯ノ所デ十一月六日二病死仕り死ガイハ加賀国デ取カタツキ致シ早速貴女ノ方エモシラセタク候得共彼是ト致シ只今御通知申上候就テハ貴女モ金子ヲ成タケタメテ親様御ハカヘ御参り相成度又御返事ヲ被下度早々
十一月十七日出シ
岐阜市上加納下金津町
津田京女拝
東京市浅草区新吉原
揚屋町千葉幸吉殿方ニテ
津 田 き み 行
何故に竹次郎は加賀へは行きけん。病気の容躰如何なりけん。知るよしもあらず。六日に死去せる父の訃音を十七日に至りて初めて其の一人なる愛女の許へ報知するとは余りに無情の振舞ならずや。其ればかりかは、「金をためて」親の墓詣りせよとは何事ぞ、婦人の性命なる節操を涜がし、不義の金を蓄へたればとて、草葉の陰なる父親は喜ぶべしと思ふや、残忍酷薄もこゝに至りて言語道断の外はあらず。
きみ女は思ひも寄らぬ父の訃音に、生躰もなく泣き伏したり。鬼の如き楼主は如何にか之を見たりけん。苦海の底に沈みて浮む瀬とてあらぬ娼妓等は、きみ女の不幸を聴き、其のイヂらしき有様を見るに付け、ユメ他人の事とのみ思はれず、各々其の故郷には親もあり、兄弟もあり、、ヨシヤ親兄弟の篤き病に臥したりとも、行きて看護し得る身の上ならず。胸中万斛の愁涙を忍びて、虚偽の佞媚を放蕩淫児に呈せざるべからず。今ま此の年端も行かぬきみ女の境遇の骨に徹して哀なるに、何れも真実同情の涙に暮れつ、ヤガて些少ながらも取り集めて香奠のしるしまでにきみ女へ贈りぬ。あたりの人達の慰めくるゝに、きみ女も聊か力を得つ、娼妓等の贈れる香料をば、為替となして之を故郷なる継母が方へ郵送したりき。
其れより後、きみ女は父の病状など委はしき報知の来らんかと、郵便脚夫の影見ゆるを待つばかりなりき。去れど端書一葉だに来らざるなり。『郵便為替』の到着しなば、其の返事と共に、再度の音信来るべしと、指折りて其の日数を算へけるに何日経てども、我が待つ音づれはなし。一と月過ぎ二た月を経て今日に至りぬれど、遂に風の音づれだにあらず。左もありぬべし。継母は元よりきみ女をイタく嫌ひたるものなればなり。去れど若し、きみ女の身辺に聊かだに黄金の光見ゆる時来らば、直に『母の名』を笠に着て立ち現はれ来りぬべし。
きみ女の身辺に黄金の光見ゆる時とは何ぞや。彼女が十六歳の春を迎へて、愈々娼妓の鑑札を受くる時是れなり。此時楼主は重もき虚偽の借金を負はしてきみ女を濁れる泥流に沈むるなり。而して彼の邪樫なる継母は目腐れ金を貪らんが為めに、亡き夫の記念なる一人の愛女を涜がすことをば嬉しがつて承諾するなり。此の事明了にして、鏡にかけて見るが如し。
世に一人の頼なる父親は亡き人となれり、義理ある継母はナカナカに仇敵なり、生みの母は西の都にありとのみにて如何に世を過しあるやさへ知る由なし、六年の年期と云へば我身十八歳までコヽに在らねばならず、而も『六年』と云ふは是れ楼主が魂胆のある所にて、きみ女か十六歳とならんには、否応なしに娼妓の醜業を営ましむるなり。
普通の小間使さへ月に一円や一円五十銭の給金を仕払はざるべからず、然るにきみ女今や六年の長き歳月を十円もて玉宝来なる楼主の手中に買取られぬ、彼の飽くを知らざる楼主は元より情容赭もなく此の幼き人の愛女を駆使するさへあるに、愈よ之を娼妓に押出す時には、無法なる名義に山の如き借金を負はし、血の出づる金を吸ひ取りで夢の如き一時の浮華を楽むなり、故に六年の年期は此時に変更して、遂に浮ぶ瀬なきに終るなり、一点だに良心の光り尚ほ存在する者、如何でか女郎屋稼業のなるべきや。
きみ女が斯る有様を見もし聞きもするにつけて、如何にもして此の魔界を逃れ出でんと決心せるは幼き身には誉むるに余りあり、彼女は一と度逃走を企てぬ不幸にも家人の見咎る所となりて果さゞりしに、一念為めに撓むことなく、去る二日の朝、人目忍びて首尾能く此の廓を立出でたるは、末頼母しき心掛なりかし。
彼女の事一たび本紙に掲載してより、慈愛博愛なる紳士淑女の来状、日々机上に堆きを見るは、記者の感謝に堪へざる所なり。
某豪商よりは養女に貰ひ受けたしとの申込ありき、是れ彼女の為めには幸福の門ならん、然れ共記者に此の幼き女子をして第二の父母を得ることに依りて、将来永久の新拘束に繋がれ、『人』の自由を失はしむるの残酷を思ひ、某君の厚意を謝すると共に、幸に彼女をして身分の自由を得せしめつゝ永く擁護を与へ以て彼女の生長を待ち給はんことを切望するなり。
彼女の為めに人権保護の任に当らんことを中込まれたる博学厚徳の某弁護士君に多謝す、記者は我が文明なる法律の擁護の下に、彼女の権利を伸張せんことを切望し、更に天下に一新判例を与へんと欲するが故に、之を神聖なる法廷に争ふ時の来るべきを信ず、然らん時には記者は必ず之を某君の力に依頼せんと欲するなり。
更に華族女学校教授として学芸に秀で賢徳の名誉高き某嬢に深謝せざるべからず、君が津田きみ女を引受けて必ず之を教養せんとの誠意熱情に対しては、記者は同情の熱涙禁ずること能はざるなり、きみ女が『玉宝来楼、干葉幸吉』の為めに買ひ取られたる者なりとの記事を一覧せられし時某嬢君が如何に悲痛の感に打たれ給ひしかは、記者の能く推察し得る所なり、或は遂に某嬢君の温手を煩はさざるべからざる事あらん、然れ共記者は尚ほ他に少しく考ふる所のものあり、幸に今暫し之を猶予せられよ。(出典 谷川健一編『近代民衆の記録3 娼婦』新人物往来社 1971年6月10日 150-154頁)
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