日中全面戦争以後、慰安所が中国全土へ急速に設置されていくが、
その契機となったのが、永井和京都大学教授が発見した「陸達第四
八号 野戦酒保規程改正」(1937年9月29日)である。(注1)
ここに「野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」
(注2)というものが追加され、その理由として「野戦酒保利用者ノ範囲
ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトモ認ムルヲ要
スルニ依ル」(注3)と述べられている。
では、どのような部隊において「慰安施設」は設置されたのか。第三
条では次のように述べられている。
「野戦酒保ハ所要ニ応シ高等司令部、連隊、大隊、病院及編制定員
五百名以上ノ部隊ニ之ヲ設置ス前項以外ノ部隊部隊ニ在リテハ最寄
部隊ノ野戦酒保ヨリ酒保品ノ供給ヲ受クルヲ本則トス但シ必要アルト
キハ所管長官ノ認可受ケ当該部隊ニ酒保ヲ設置スルコトヲ得前二項ノ
外所要ニ応シ所管長官ノ認可ヲ受ケ二以上ノ部隊ニ共同ノ酒保ヲ設
置スルコトヲ得野戦酒保ハ之ヲ設置シタル部隊長之ヲ管理ス但前項ノ
野戦酒保ニ在リテハ所管長官ノ定ムル所ニ依ル」(注4)とある。
ここで分かるように、「慰安施設」というものが兵站部に設置されてい
ったのは、この法規の改正によってなのである。
では具体的に、兵站部ではどのような立場にある人が「慰安施設」
の設置・指示をしていたのか。それを示すものの一つに、「兵站幹部実
設演習記事送付ノ件」(1937年10月5日)(注5)という史料がある。
この史料のなかに、「宣伝実施機関又実施要領」という表があり、そ
こには次のようにある。「兵站司令官」の施設での任務として「一,娯
楽施設ノ設備、要スレハ性設備ノ許可」とあり、「支部長」の施設での
任務として「一,娯楽施設ノ設備、要スレハ性設備ノ指示」とある。(注
6)
「指示」という言葉の意味は「命令」である。慰安婦問題否定論者
は、業者や女衒が勝手にやったことであり、軍は性病検査などの「良
い関与」をしただけだという。しかしこの史料を見れば、兵站部の支部
長が「性設備」つまり慰安所の設備を「指示」・「命令」していることが分
かるのである。
やはり慰安所や慰安婦問題に関しては、軍によって主導的に行われ
たことは否定できないということであろう。
(注2)アジア歴史資料センター「陸達第四八号 野戦酒保規程改正」前掲 7頁
(注3)アジア歴史資料センター「陸達第四八号 野戦酒保規程改正」前掲同
(注4)アジア歴史資料センター「陸達第四八号 野戦酒保規程改正」前掲 8-9頁
(注5)アジア歴史資料センター「兵站幹部実設演習記事送付ノ件」
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C01004381400?IS_KIND=RefSummary&IS_KEY_S1=C01004381400&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=reference_code
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(注6)アジア歴史資料センター「兵站幹部実設演習記事送付ノ件」前掲 89頁