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伏見の遊廓跡

 かつて伏見には、橦木町と中書島とに遊廓があった。橦木町の方は現在でも入口の門柱や石碑などが残って

 
いるが、中書島の方は町並みが遊廓であった面影を残しているのみで、ここが遊廓であったということを示すも
 
のは何も残っていない。
 
 伏見は「軍都」であったため、これら遊廓には第十六師団管下の将兵も通っていた。
 
 
 
 
場所:伏見区墨染橦木町

最寄り駅:市バス伏見インクライン、近鉄伏見駅
 
「橦木町廓入口」の石柱。「大正八年八月吉日」とある。
 
 
 
 
 
 
橦木町が遊廓であったことを説明する石碑。この遊廓は、近代よりむしろ江戸時代に赤穂浪士で有名な大石内
 
蔵助がまわりを欺くために遊興したことで有名なところ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
場所:伏見税務署

最寄り駅:近鉄伏見駅
 
橦木町遊廓跡の向かいには現在伏見税務署がある。かつてここは京都憲兵隊であったが、その面影はどこに
 
もない。ただあるのは写真の陸軍標柱だけである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
場所:伏見区葭島矢倉町
 
最寄り駅:京阪電鉄「中書島」駅
 
写真は中書島遊廓跡近くにある長建寺内の弁財天を案内する石柱。この弁財天は中書島界隈の守り神とされ、
 
娼妓たちも信仰していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが長建寺内の弁財天。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くにある「御大典記念碑」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちかくにある国旗掲揚台「皇紀二千六百年」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出典:京を語る会『京都遊廓見聞録』(1993年3月10日) 192頁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出典:京を語る会『京都遊廓見聞録』(1993年3月10日) 194頁
 
 
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