鎮魂の月である8月が今年も終わった。
日本近代史や戦争体験者からの聞き取り書きなどをしている管理人としては、何も1年の内の8月だけではなく、「先の大戦」に関わることは1年中何かの形で触れていってほしいと思っている。
この鎮魂の8月にはいるとよく聞かれるのが、大戦での戦没者のことを「英霊」と捉えるのか、「犬死に」と捉えるかというものである。
過去のこのような戦没者たちがいたからこそ、現在の日本の平和と発展があるのだ、という人たちは彼らを「英霊」とし、感謝すべきだという。
一方、兵站や補給なども考えず、「無謀な戦争」による被害者であると捉える人は、本来なら死ななくてもいい命が死んでしまったということで、「犬死に」であったと言う。
しかし、この両者の考えの中に本当に死んだ当の戦没者たちのことがどれだけ入っているだろうか。
管理人には、生きている人たちが自分の主張を正当化するために戦没者を「英霊」や「犬死に」にしているとしか見えない。つまり、生きている人が「自分はこう思いたい」という「思い」という「感情」をただぶつけ合っているとしか思えない。そこには当の本人である戦没者のことが抜け落ちている。
「死人に口なし」というが、戦没者たちがどのような思いで死んでいったのかは、本当のことはわからない。それを生きている人間が勝手に定義づけてしまうなどおこがましいと思ってしまう。
「戦没者」は「戦没者」にすぎない。それ以上何か付け加えてしまうことは、生きている人間の「思いこみ」や「傲慢」でしかないと思う。
戦争体験者の聞き取り書きを長年やっていて、体験は人それぞれであり、体験者の数だけ体験談があるといっても過言ではない。だから聞き取り書きをする際にも、体験者に思いの丈を好きにしゃべってもらう。こちらから何か誘導するような質問や、一方的な価値観を入れての質問などはしてはならない。それは単なる「聞く側の人間」の自己満足でしか無く、本当の「聞き取り書き」ではない。
戦没者に対しても常に同様のことを思う。
戦没者や戦争体験者の聞き取り書きを行う私たちがやらなければならないことは、それを自分の一方的な価値観にあてはめていくことではなく、近代史、あるいは戦争の中でその人たちの歩んできた道を位置づけることであり、様々な史料によりその歩んできた道をより明瞭にしていくことだと思う。
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