場所:宇治市宇治山田(宇治神社)
最寄り駅:京阪電鉄、JR宇治駅
解説:「我が工兵第百十六連隊は、昭和十三年五月伏見桃山に於て編成され、直ちに中支に歩武を進めて安慶に駐留し長江沿岸地域の作戦警備の任に当った。その後、太平洋戦争の進展に伴い、大陸の昿野を転戦し、浙コウ、常徳、湘桂、湘西の各作戦に常に第一線で活躍し赫々の武勲を樹てた。 昭和廿年八月、終戦により武装を解除し、翌廿一年六月、戦友の遺骨を抱いて内地に帰還し、光輝ある連隊の歴史に終焉を告げた。 この間八年有余、壮烈な戦死をとげ、或は病魔に冒されて戦歿した者は五百余名に達した。 今茲に、生存者相集い原隊にゆかりの深い当神社に碑を建立して往時を偲び、亡き戦友の冥福を祈るものである。 昭和四十八年十一月吉日 生存者有志一同」
解説-石碑の裏。
解説:馬の供養のために建立された「愛馬之碑」。石碑には「戦いの 日もはるかなり 愛馬の碑 もの言えぬ 愛馬が眠る 宇治の社 今はなき 友を背にした 愛馬かな 香山」。裏には「水は尽き糧は空しうして秋風冷かなり 馬は殪れ兵は傷いて泥濘に没す 鞍聲踏み破る幾山河 愛馬の嘶号猶耳にあり 恒治詠 昭和四十八年十一月吉日 生存者有志一同」とある。
解説-工兵第百十六連隊戦歿者招魂碑と愛馬之碑についての説明看板。「この碑は、もと中支派遣工兵第百十六連隊(嵐第六二二五部隊)の生存者が、全国各地の現存戦友に呼びかけて浄財を集め、約四百八十名よりの寄金により、第二次大戦に於て、中支の昿野を転戦活躍し、今日の平和の礎となって、異郷に散った五百余名の戦歿勇士と愛馬の霊を慰め、その慰烈をたたえる為に建立したのである。 当宇治神社は、原隊であった伏見工兵隊とのゆかりが深く、今は亡き戦友と共に、かつて此の宇治川の急流に挑んで、渡河架橋などの訓練に心血を注いだ思出の地であり又、宮司の花房昇氏が元第二中隊長であった関係上、格別のご厚意により、此処を英霊の安住の場所に出来たことは真に幸いである。 十一月十八日、紅葉色映え白菊の香る中で、宇治市長(代理)、市会議長、総代会、遺族代表など、各地より約三百名が参列して盛大かつ厳かに除幕、鎮魂式を挙行して、亡き戦友と愛馬の霊をねんごろに弔った。 因みに、この碑の本体は、各石、能勢黒づくりで、御影石の台座に安置し、碑の前部には、五百余名の戦歿勇士の名簿が埋蔵されている。 招魂碑の題字は花房宮司の揮毫によるものである。 以上 昭和四十八年十一月 工兵第百十六連隊 建碑委員会」とある。
解説-紀元二千六百年記念樹の碑。紀元2600年を記念して植えられた木の横にある石碑。
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