場所:京都会館内
最寄り駅:京都市バス京都会館美術館前
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被差別では、江戸時代には刑吏や警備、革製品の製造や履き物産業などの特権により生活をしていた
が、明治時代となり「四民平等」ということでそれらの特権がなくなり生活手段の消滅による貧困化と蔑視観とに
よりあえいでいた。
その後、融和運動が起こるが、それに満足できない人々により全国が結成される。中心人物は西光万
吉。という名称は、ピューリタン革命時の「水平派」にならったともされる。
そして1922(大正11)年3月、全国から約3000人の被差別の民衆が岡崎公園に集まり、全国創立大
会を開催。日本で最初の人権宣言といわれる「平社創立宣言」を提唱する。
その後は、被差別差別解消のために活動するが、アナ・ボル論争などの影響により分裂。日中全面戦争
以後は国策に協力することにより差別を解消しようとする動きも現れさらに弱体化する。
最終的には、全国自体は翼賛体制に取り込まれることを拒否し結社の届出をせず、1942(昭和17)年1
月20日自然消滅となる。
全国綱領
一、特殊民は民自身の行動によって絶対の解放を期す
一、吾々特殊民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以て獲得を期す
一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って突進す
創立宣言
全国に散在する吾が特殊民よ団結せよ。
長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた吾等の為め
の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事実は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎
に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕
落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せる
は、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男ら
しき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂
く代價として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢の
うちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間がにかわら
うとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝される時
が来たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして
人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何んであるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱
と光を願求礼賛するものである。
は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
大正十一年三月三日