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三宅八幡宮

場所:京都市左京区上高野三宅町

最寄り駅:叡山電鉄八幡前駅、京都市バス八幡前駅
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「韓国合併奉告祭碑」。
 
1910年の韓国併合を祝して同年の9月19日にこの地(愛宕郡高野村)で行われた奉告祭を記念して作られた約3
 
メートルある巨大な石碑。しかし、どのような経緯で建てられたのかは不明。
 
この石碑は「合併」となっているが、「併合」という言葉の意味については、この言葉を作った倉知鉄吉が「朝鮮総
 
督府外事局長小松緑宛前外務次官倉知鉄吉覚書」(1913年3月10日)のなかで次のように述べている。
 
「因に日ふ、当時我官民間に韓国併合の論少からざりしも、併合の思想未だ十分明確ならず、或は日韓両国
 
 
対等にて合一するが如き思想あり、又或は墺匈国の如き種類の国家を作るの意味に解する者あり、従て文字も
 
 
亦合邦或は合併等の字を用ひたりしが、自分は韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となるの意を明らか
 
 
にすると同時に、其語調の余りに過激ならざる文字を選ばんと欲し、種々苦慮したるも遂に適当の文字を発見す
 
 
ること能はず、因て当時未だ一般に用ひられ居らざる文字を選ぶ方得策と認め、併合なる文字を前記文書に用
 
 
ひたり。之より以後公文書には常に併合なる文字を用ふることゝなれり、乍序附記す。」(春畝公追頌会『伊藤博
 
文伝』下巻 統正社 1940年10月16日 1013-1014頁)
 
つまり韓国は「全然廃滅に帰して帝国領土の一部とな」ったのであるが、あまり過激な言葉であれば朝鮮人のナ
 
ショナリズムを刺激してしまうため、それまでになかった「併合」という言葉にしたというのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは「戦利兵器奉納ノ記」というもので、日露戦争の勝利を祝してここに奉納された戦利兵器。石碑には「明治
 
四十年三月 陸軍大臣寺内正毅」とある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上記写真は「大楠公之像」。つまり楠木正成の像。馬の台座のところにかかれている文字は「七生報国」。
 
 
 
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