うさぎとベリーダンスとダラブッカ “KT LOVES Lapin”(セクシー田中さん)

そう言えば私、不登校児だった!



先日、Twitterで、
不登校のお子様がおられる方が
「嘘でもいいから、不登校でも
大丈夫って言ってください」と
悲痛な叫びのツイートをされていた。

多くのいいね、RT、リプライの
反応の多さに世相が反映されてるなぁと
思ったねぇ。
私も、「だいじょうぶだぁ」と
思いながらいいねを押した。


…おっと。
ひとごとのようにツイートを
読んでたけど、ひとごとじゃなかった。

私なんか、不登校という言葉が
できる前から不登校だったことを思い出したわ!


当時は不登校というか、登校拒否って
呼称だったんじゃないかな。なんで
不登校って呼び方になったんだろ。
どうせなら、登校拒否の方が
よくね?って思うけどね。
「受取拒否」とか「着信拒否」と同じで。
まぁね、そういう敢えて違った呼称に
するのって、ちゃんと裏に意図があるんだけどね。

さて、何で私が不登校…否、登校拒否を
していたかというと。

中学受験に失敗したんだよなぁ。
受験すると知られたあたりから
よく嫌味なこと言われてたんだけど、
落ちたと分かった瞬間に、
小学生らしく「落ちた落ちた」と
バカにされてねぇ。
あ〜嫌だ嫌だ。
よく泣いたよ。
味方もいなかったしさ。


そりゃ学校も行きたくなくなるよな。
母は事情を察して、休ませてくれた。
時々自ら登校したりしたけど、
まぁ〜何しか嫌な思いしかしない。

父は厳格な人なので、私を休ませる母に
文句を言ってたけど、母は私を無理に
行かせなかった。
母が、私を自由にさせてくれてたのが
良かったのかな、
“あと少しで卒業だし”と思い直し、
また登校し始めた。
人に何を言われても無視し、逆に
「はぁ?受験すら出来ないのに
文句言うなアホンダラ」と言い返した。
…心の中でな。
(当時、中学受験は珍しかった)


あの時、母が休ませてくれず、
強制的に学校に行かせてたら、
私は死んでたかもしれないね。
学校に行くフリをして、
どこかのマンションから飛び降りて、
三面記事に載ってたかもしれない。


小学生をナメちゃいけないよ。
死ぬことを考えるのって、小学生に
多いのだ。実際、いじめを苦痛に
自殺する小学生って多いでしょ。

そんな私は、受験失敗を中学に
なっても一部に執拗にからかわれたよ。
もうね、無視、無視、オールスルー。
そんなわけで、中学も嫌いだった。
中学の三年間、好きな言葉が
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」
だった。尾崎豊じゃないけど、
早く卒業したかった。

さて、またここで母が登場。
高校受験に合格後、
「もう学校行ってもしゃあないし、
休み休み〜!無罪放免や〜!」
と言ってくれたのだ。
どう思われるかわからないが、
こんなサボローみたいなことを
言ってくれる母親、いるだろうか。


おっと、投稿の時間が差し迫ってきた!
登校拒否児だった私が自信を
持って言う。結論、
不登校でも全然平気!
むしろ、行かなくてよかった。
行かせなかった母に、
今更ながらだけど、感謝。

ではでは、またね!
(そういや、嫌がらせをしていた子の
一人が、交通事故で意識不明になったと
風の便りで知ったことを思い出した。
悪いことはするもんじゃないよ、ほんと。)

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