幽霊って、何で
ううぅぅ…ぅぅ…
とか
あぁぁ…ぁぁぁ…
とか
ミシ…ミシ…
ズル…ズル…
とかいうオドロオドロシイ唸り声や擬音(擬態)と共に
出てくるんでしょうか?
別に、存在を知らしめたいなら咳払いでも良いワケやないですか。
ヤンキーの舌鳴らし(ターンターンって鳴らすやつ)でもいいし、
古き良き昭和のドラマ風に、窓に石を投げて到着を知らせるとか色々ありますやんか。
分かりやすい「うぅ…」「あぁ…」より、あれは一体何だったんだろう…と
思わせる方が、いつまでも怖さが残るってモンです。
こんばんは、KTです。
さてさて、今日は依怙贔屓の話。
…の前に、えこひいきの「えこ」って、こんな字なんだね。
あなたは、先生なり上司なり顧客なり異性なり何なりに贔屓された事、または
生徒なり部下なり何なりを贔屓した事はあるだろうか?
私は両方とも経験がある。
高校ん時、優等生(自称)だったワイは、担任の先生に
あからさまに贔屓されたねぇ。特に、担任が教える教科の
成績が良かったからかもしれない。
自分&周囲からでも目に見えて分かる典型的な贔屓だったんですが、
クラスメイトに忌み嫌われなかったのは、全てに於いて
優等ではなかったからかも。数学と理科の教科書表紙を剥がし、
それぞれ交換して貼り付けて使ったり、国語の表紙を剥がしてひっくり返して
貼り付けて使ったりと、優等生にあるまじきとんでもない事をしてたねぇ。
きちんと出席してるのに、体育の成績は常に「1」。
ま、そんなところもあってか、クラスメイトには可愛がってもらえました。
今でいうところの「愛すべきバカ」とか「愛されキャラ」に値するのかな。
自分では、そんな計算や役作りは一切していなかったのだが。
自分が贔屓される事を経験した事なかった時は、
“先生は贔屓してはいけない”とか“贔屓は不平等だから良くない!”とか
思ってました。えこ贔屓に無縁だった小中学時代は、
贔屓する先生を嫌ったモンですが、自分が贔屓される立場になった時、
贔屓されなかった頃の自分を冷静に振り返ると、
全然頑張ってなかったし、先生に歩み寄りもしなかったし、
学校嫌いだったし、成績も悪かったし、そんなんじゃ贔屓も
何もないわな。贔屓される側は、それなりの理由があるわな、と思ったワケです。
私も今は教える仕事をしている立場ですが、
どの子も教え子は可愛いし個性があって宝だけど、
自分にまっしぐらに付いて来てくれ、よく頑張り、成績を伸ばしてくれる子は
素直に一目置いてしまう。これは、贔屓というか、人間なら
当然の感情ではないかなと思います。本人も、認めてほしくて
頑張ってんやろから、高く評価するのもこれまた当然の話。
業績のいい社員の給料上げてあげるのと一緒。
他の生徒さんの前では露骨に贔屓目にはしないけど、1人の時とかに
存分に褒めてあげてま。
とか言いながら。うちの生徒さん、どの子もめっちゃ頑張るんで、
それぞれ個人的に褒めてあげてるんですけどね。
不思議なモンでねぇ、君は十分出来てるから頑張らんでエエでって子ほど
もっと上を目指そうとするんですわ。どの世界でもそうですね。
本日、ダンススタジオの受付の女性が、
「娘が作ったお菓子をどうぞ」と生徒に手作りクラッカーを配っていたんですが、
着替えが遅い私はいつも最後に1人で出てくると知ってる彼女は、
「KTさんだけちょっと多め!いつも頑張ってるから!」と
多めと思しきクラッカーをくださいました。
あぁ、何て幸せ。「だけ」というこの優越感…。
彼女に、「めっちゃ嬉しいです!皆に言いふらします!」と
言うと、「ダメダメダメダメダメ!!内緒!」とおっしゃってました。
いや~、何歳になっても嬉しいモンです、えこひいき。
多感な年齢の児童・生徒を教える学校の先生の「露骨なまでの
えこ贔屓」は流石の私もアカンと思うけど、人間なので多少なり贔屓してしまう
気持ちは分かるねぇ。「贔屓しません、みんな平等」なんて、
表面上はアリでも、本音は有り得ない事だと思います。人間だからな。
社会に出たら、もっと学校以上に露骨に「えこ贔屓」渦巻く世界が待っとるど。
それでも平等平等言うとったら生きていかれへんのちゃうかな。
そもそも、
優があれば劣がある。
美があれば醜がある。
貧があれば富がある。
勝があれば負がある。
男運の悪いS田さんもいれば、男運の良い私もいる。
全てに於いて、私は「太古の昔から、公平はあっても平等などない」と思っています。
ではでは、またね
(いつもしょうもない独り言の記事を読んでくださってる方々、
ありがとうございます。)