こんにちはこんばんは1192296です。
「皆さん今無職ですか?」
という少し唐突な問いかけをしてみましたが
自分は無職、障害年金受給、実家暮らしです。
今、大変恵まれた環境にいるのは自負しています。
好きな時間に起きて、仕事はしてなくて、ご飯は自分で作ったり作らなかったりしますが家賃はゼロです。
障害年金の数万円を家の生活費には入れてはいますが
こんな恵まれた暮らしができるのはある意味ニートの特権だったりします。
もちろん自分が人より優れているとか
仕事してる人よりニートの方が優れているとか
そういう事を言いたいのではなく
仕事やニートしてる人の生活には一長一短あるよねという事実がただあるだけだと思います。
ましてや仕事してる人は皆んな同じではないように
ニートだからと言って皆んな同じとも限らない訳です。
ニートでも色々な環境の人がいると思います。
少し本筋に戻しますと。
自分は恵まれた環境にいると自負しつつも
理由のない「心のしこり」のようなものが胸の奥にある時があります。
自分は統合失調症なので自分でも日中で頻繁にプチ鬱のような気分の波、気分の変動があるよな〜とは思っています。
でもそれとは別に、寝る前や楽しかった後にやってくる「この漠然とした心の隙間にある不安は何なのだろう」
その”自分の人生にそのものに対する疑問のような感情”
例えば仕事してない事への罪悪感など
まるで陰のように大きくなった時に自分の人生を少し理論的に考えた事があります。
その時の話を今回紹介させていただきます。
メモに自分の感情を残していましたが
その”疑問のような不安な感情”は
「虚像」のような一時的なものだとその時把握していました。
そこで”それ”を真剣に考えるにあたって不安でふわふわしていたので考えに一貫性のある「軸」のようなものを作っておこうと思いました。
自分の自論で生きる意義は「有意義な時間を過ごす事」だと自分でしているので
意味→意義→有意義→生きる意味→有意義に過ごす
生きる意味って何だろうって人は「有意義な時間を過ごして増やす」
それが自分の答えです。
でもこの段階ではまだ心の奥の隙間を不安な気持ちが蝕んでるような感覚でした。
▷「人生暇つぶし論」
人生は暇つぶしという言葉がありますが
要するに全ての事柄は「暇」の上に存在していると解釈できます。
「本来」全て暇な時間=どう時間を潰すか
簡単に言うと全ての予定がなければ「本来全て暇な時間」ですよね。
「予定」とは「全ての暇な時間」に
やらなければいけない「義務」が
乗っかっている訳ですよね。
義務は例えるなら
仕事とか学校とか集まりとか家事とか買い出しとか
ある程度やらないといけない事なので、義務はどうするでもなく生活の一部なのでもうどうしようもないです。
人生の「義務」以外の全ての暇な時間(人生)をどうやって有意義に過ごすか。
極論のように聞こえるかもしれませんが本人が有意義だと思える時間を過ごせれば「幸せ」だと言えると思います。
有意義とはそんなに大それたものじゃなくても
アニメ観て楽しい
ご飯美味しい
散歩気持ちいい
↓
これらも充分に有意義と言えると思います。
つまり有意義で生きてる意味になります。
自分の好きな心理学の人が言うには
「好きな事や楽しいと思えてる瞬間こそが幸せ」
と言っていました。
もちろん生きてたらマイナスな瞬間も普通にあります
「有意義なんて余裕ない」「四六時中有意義なんてムリ」
そんな人も居ると思います。
その通りで、四六時中有意義な時間を過ごせなくてもいいと思います。
自分も気分変動があるので1日で度々マイナスな気分になってます。
あくまで人生は暇つぶしなので
暇な時間は有意義な時間を少し増やしていきましょう
それが生きる意味にもなります。
もちろんできない時も全然あります。
と言う事でした。
とここまでが「軸」のお話で
次は自分の「マイナスな感情」にポイントを当てて考えてみました。
▷「一般論」
自分は何に不安に思っているのか追求して考えると
・仕事してない
・結婚できない
・お金がない
・何歳だから〇〇
・当たり前って?
・常識とは
こういった自分の年齢や社会的な状態が心の奥で不安として蝕んでいました。
まあニートなので当然といえば当然です。
30歳なのに今の自分って(大丈夫?)みたいな感情が特に強かったです。
▷結論から言いますとこれ全部「一般論が義務のように自分に押し付けられている」
のです。
これだけだとよく分からないかもしれませんが続けてみます。
たぶんですが自分の場合は誰かにそれらの一般論を強要された経験はまだ少ない方だと思います。
人によっては誰かに直接言われた経験のある方もいらっしゃると思います。
好きな心理学の人が言うには
そういった言葉の複合体のような「心の声」つまりマインドが
人間にはあるんだって言ってました。
健全な人も同じようにあるようです。
皆さんは誰のどんな声で一般論を押し付けられていますか?
特に理由もないのに人と比べて社会的に大丈夫かな?
みたいな人はこういった要素があるかもしれません。
▷一般論は所詮曖昧な平均値
一般論=「普通とは何か論」だと思います。
でも「普通」って皆んな違うんですよね。
だから「曖昧」で人の言う平均って凄くアバウトなんですよね。
一般論って元々悪い言葉ではないと思いますが今回はこういった形で使わせてもらっています。
そして人の言う常識や平均=万人の正解ではない
平均のパラメーターがアンバランスな人が世の中に居ても
世間が多様性を目指してる方向から見てもアンバランスで別に良いんじゃないかと思います。
▷自分は心のそれの解消に近づける為に一つずつ出てきた不安にアンサーを出していく事しました。
心理学でも「再評価」と言うらしい作業です。
・仕事してない
・結婚できない
・お金がない
・何歳だから〇〇しないといけない
・当たり前って?
・常識とは
具体的にはこんな感じです。
→まず「常識」とは押し付ける押し付けられるものではないはず
人の普通は皆んな違うはず。
→精神の病気は「当たり前じゃない」状態なので一般論の常識と言われる中で語るのがそもそも間違いかもしれない。
→何歳だから〇〇しないといけないもバランスも大事だけど「個人は尊重されてない」と感じる。
この疑問にそもそも「幸せ」は含まれてないかもしれない。
→お金は使う事ばかり考えていたけど
「貯金、節約、つみたて投資」も考えよう。
ミニマリスト的な人も少し参考にしてみよう。
→「結婚より」前に自分の人生をまず良くしたい。
→自分が一般的な「当たり前」の状態ではなくアンバランスな人間である。
仕事という「義務」ではない部分で有意義に幸せに過ごす。
できる生活をする。
▷勿論このアンサーが正しいかは分かりませんが悩みに答えが出ると少し解消された気持ちになります。
そして解決できなかったら悩みはまたそのうちアンサーを出せばいいです。
少しまとめますと
・人生に悩んだらその根底にあるのが「一般論」を心のマインドに押し付けられてる。
・この場合「この心のモヤモヤの正体は一般論なんだな」と思えばいいと思います。
・自分の悩みにアンサーを出していく方法もあります。再評価という方法です。
▷つまり心の隙間の不安は
過去の集合体のような心の声の「一般論」で
▷再評価でアンサーを出して解消しつつ
▷軸として暇な時間は有意義に過ごそう
と言う事でした。
特に「うつで休職中の人」なんかは暇な時間も「義務」で頭がいっぱいで
楽しい余裕とかないと思いますが
暇つぶし論は「有意義に過ごす事」
つまり「遊ぶ事、楽しむ事、好きな事は正義」ですから
ぜひ「休職中に遊ぶ事」目指して欲しいなと思います。
これは精神科医の樺沢紫苑氏も言っていた「遊べ」という事です。
つまりそう言う事なのです。
あなたは「義務や一般論を必要以上に押し付けられているのです。」
遊び大事ですよ!
生きる意味=遊ぶ事
です。
なのでニートの方で日々色々と不安になる方もいると思いますが
普段暇つぶしされてると思いますが
「遊ぶ事」は意味のない事ではないと思います。
これが「人生は暇つぶし論」です。
同じような悩みの人が「次どうやって遊ぼう」にシフトできるように祈っています。