今回は与太郎様について。 宇喜多与太郎基家。天正9(1581)年に当主直家が逝去。嫡子秀家が当主になるが幼少であったため、叔父の忠家とその嫡子基家が毛利との合戦に参戦 天正10年2月24日 大崎あたりで流れ弾により討ち死。(一説では敗走中足が悪く竹やぶに隠れていたところ毛利軍に殺された。)宇喜多氏の菩提寺が邑久町の大賀島寺とのことで行ってみたら、細い山道を延々車がやっとであった。
宇喜多家の墓(散在していたものを一箇所に集めたそうだ。)
宇喜多家の墓(散在していたものを一箇所に集めたそうだ。)