美味しいもの」って、何ですか? 私は食に対するこだわりが全くありません。嫌いな食べ物はたくさんありますが、好きな食べ物は無いです。故に毎日同じものを続けて食べても何も感じません。1か月毎日毎食カレーを味も何も変えず食べ続けたことがありましたが、特に苦痛ではありませんでした。(同じメーカーのレトルトカレーです) 子供のころ家で出される食事は物凄く不味かったです。祖母が支度して野菜を醤油で「煮ただけ」とか、「茹でただけ」、魚を「焼いただけ」というのが殆どで、子供向けのメニューやおやつは一切出ませんでした。肉を食べると頭が悪くなると言われて、小学校で給食が始まるまで「肉料理」というのを食べたことがなかったと思います。 子供って味の濃いもの(はっきりした味付け)やこってりしたものを好むと思いますが、そういう類のものは全く食べさせてもらえず、ふりかけご飯が唯一のごちそうでした。 満足感がないので食べた気がしなくて、おなかがいっぱいになるまでふりかけご飯だけを食べ続けたのが原因で、子供のころ物凄く太っていました。実際そのせいで病院の先生に親が呼ばれて食事改善指導を受けたことがあります。 現在は摂食障害です。急にドカ食いをしたかと思えば2日くらい何も食べなかったりという生活で、一時期標準だった体重も今は肥満です。 テレビの肥満特集などで目にするのは欲望のままに好きなものを好きなだけ食べすぎた人が、カロリーオーバーで太ったというパターンですが、私の場合食に対する接し方(絶食と加速の繰り返し)がおかしくて太っています。 最近カウンセリングの先生に 「美味しいものを食べて満足感が得られれば、普通の食事ができるようになるのではないか?食事が楽しいと思えるようになれるといいね」 と、言われました。でも、私にとって食事は苦痛で怖いものです。何が美味しいのかも分かりません。 長くなりましたが・・・ 美味しいもの の、見つけ方、食事の楽しみ方を教えてほしいです。 太っていたので、普通に食事をしている姿でさえ「やっぱり食ってるからデブなんだ!!!」と、罵られたり、食べ方について文句を言われたりしたのが苦痛で、人前で食事をするのが物凄く苦手です。 皆さんはどんな時に美味しいと感じたり、食事が楽しいと思いますか?
美味しいもの」って、何ですか? 私は食に対するこだわりが全くありません。嫌いな食べ物はたくさんありますが、好きな食べ物は無いです。故に毎日同じものを続けて食べても何も感じません。1か月毎日毎食カレーを味も何も変えず食べ続けたことがありましたが、特に苦痛ではありませんでした。(同じメーカーのレトルトカレーです) 子供のころ家で出される食事は物凄く不味かったです。祖母が支度して野菜を醤油で「煮ただけ」とか、「茹でただけ」、魚を「焼いただけ」というのが殆どで、子供向けのメニューやおやつは一切出ませんでした。肉を食べると頭が悪くなると言われて、小学校で給食が始まるまで「肉料理」というのを食べたことがなかったと思います。 子供って味の濃いもの(はっきりした味付け)やこってりしたものを好むと思いますが、そういう類のものは全く食べさせてもらえず、ふりかけご飯が唯一のごちそうでした。 満足感がないので食べた気がしなくて、おなかがいっぱいになるまでふりかけご飯だけを食べ続けたのが原因で、子供のころ物凄く太っていました。実際そのせいで病院の先生に親が呼ばれて食事改善指導を受けたことがあります。 現在は摂食障害です。急にドカ食いをしたかと思えば2日くらい何も食べなかったりという生活で、一時期標準だった体重も今は肥満です。 テレビの肥満特集などで目にするのは欲望のままに好きなものを好きなだけ食べすぎた人が、カロリーオーバーで太ったというパターンですが、私の場合食に対する接し方(絶食と加速の繰り返し)がおかしくて太っています。 最近カウンセリングの先生に 「美味しいものを食べて満足感が得られれば、普通の食事ができるようになるのではないか?食事が楽しいと思えるようになれるといいね」 と、言われました。でも、私にとって食事は苦痛で怖いものです。何が美味しいのかも分かりません。 長くなりましたが・・・ 美味しいもの の、見つけ方、食事の楽しみ方を教えてほしいです。 太っていたので、普通に食事をしている姿でさえ「やっぱり食ってるからデブなんだ!!!」と、罵られたり、食べ方について文句を言われたりしたのが苦痛で、人前で食事をするのが物凄く苦手です。 皆さんはどんな時に美味しいと感じたり、食事が楽しいと思いますか?
感謝の念、「ありがとう」の気持ちがあると、相手に何かをして差し上げたくなります。そんな「ありがとう」を、あなたはどう伝えていらっしゃいますか? 親しいがゆえに恥ずかしかったり、照れくさかったりで、素直に感謝を伝えられないときも、あるでしょう。
上司や先輩、何かとお世話になっている方には、かしこまってどう感謝を伝えたら失礼にならないかと、考えてしまう場合もありますね。そうこうしているうちに、「ありがとう」を伝えるタイミングを逸してしまう。
「改めて言わなくても、相手は感謝していると、分かっているはずだ……」。そんな風に、考えたことは誰しもあるでしょう。
しかし、心の中だけで感謝をしていても、相手には伝わりません。感謝は言葉にしてこそ、初めて伝わるのです。
感謝を伝えるちょっとしたコツを、ご紹介していきます。何かをしていただいたり、お世話になった時にどのように感謝を伝えたら喜んでいただけるかを一緒に、考えていきましょう。
感謝を伝えるコツ~
きちんとできているようで、怠りがちなのが、
1.すぐに「ありがとう」と伝えるです。
何かをしていただいたら、すぐにお礼を伝えましょう。
笑顔で相手の目を見ながら、明るい声で、語尾まではっきりと、「ありがとう」あるいは「ありがとうございます!」としっかり伝えるのがポイントです。
その際、「おかげさまで助かりました」や「お力添えに感激しました」「うれしいです」「光栄です」などを、「ありがとう」とセットにして使うと、より感謝の気持ちが伝わります。
そんなことは当たり前、できているという方が、ほとんどだと思いますが、背中越しに「ありがとう」と言われる。うつむきながら消え入りそうな声で、「ありがとぅ……」など。伝えられた経験をお持ちの方も、いらっしゃるでしょう。
誰しも、そういう態度にでてしまう危険性を秘めているととらえた方が、感謝の意味を考えることにつながります。そんな「ありがとう」には、心が感じられませんでしょう。義務感でしかたなく伝えている。感謝ができない人と、受け取られても仕方がありません。
2.「ありがとう」の出し惜しみはしない
単に、「ありがとう」と伝えるよりも、「ありがとう、本当に助かりました。ありがとうございます!」などと感謝の言葉は、ダブルで伝える。出し惜しみをしない。その方が、より感謝が伝わります。
また何かをしていただいたらすぐに「ありがとうございます」と伝えてから、別れ際にも、そのことを話題にして「本当にありがとうございました」と伝えると、相手にもお礼を言われたという印象が残ります。「感謝の余韻」を残すことは、あなたに好印象を抱かせるポイントでも、あるのです。
また、相手が帰社する頃合いを見計らい、メールで「先ほどはありがとうございました」「●●様のおかげで△△がはかどりました」など、具体的に感謝を伝えるのも良いでしょう。
3「ありがとう」は、多少しつこく伝えてもいい
お中元に銘菓を送っていただいたとしましょう。その際、品物が届くやいなや
「このたびは結構なお品を頂きありがとうございます」などと、お礼状を出す方もいらっしゃいますが、手紙であろうと対面で「ありがとう」を伝える場合でも、食べてみてから、感想を伝えるほうが、相手もうれしいものです。
たとえばお会いした時でしたら、いの一番に「この前は、ありがとうございました! 甘さが控えめで上品なお味ですね。甘いものが苦手な主人も喜んでおりました」と伝えるようにしましょう。
私は何かをしていただいた後、お会いする際には「ありがとう」の感謝から会話を始めるように、しています。
最初なので印象に残りますし、相手にとっては「お礼を言われた」ことで、コミュニュケーションが始まるのはうれしいものです。
ミスやトラブルを解決に導いてくださったり、貴重な知恵を授けて頂いたり、大変な事態に支えていただいた。人生の節目にかかわるような感謝しても感謝しきれない場合には、ことあるごとに、その折の思い「感謝」を言葉にするのもいいでしょう。
「照れるよ」「たいしたことを、していないから」などと、相手は言うかもしれませんが、感謝は多少しつこくても内心はうれしいものです。
感謝は、実際にお会いして伝えるのが基本ですが、遠隔地にいらっしゃる方やどうしてもスケジュールが合わず、感謝のタイミングを逸してしまいそうな時には、別の形で伝える方法もあります。
1.プチプレゼントに「ひと言」を添える
お世話になっている人には、何かの記念日や誕生日などに、プチプレゼントを贈りましょう。相手との関係にもよりますが、
●価格の張らないもの
相手が恐縮してしまうようなプレゼントは、お返しやお礼など、余計な気を使わせる。迷惑をかけるばかりです。
●お菓子やワイン、お花など形が残らないもの
お菓子は日持ちがする、ワインでしたら白と赤をセットにしておめでたい感を演出する、花でしたら、そのまま飾れるアレンジメントもお勧めです。
●文房具やシューズクリーナー、携帯電話やパソコン周りのグッズ
仕事に役立つものを視点に選ぶといいでしょう。
「●●できるのも○○さんのおかげです」「私で役に立つことは遠慮なくおっしゃってくださいね」など、「ありがとうございます」にプラスして言葉を添えると、感謝の思いは、確かに深く相手に届きます。
2.ギフトカードや一筆箋のお手紙を贈る
手紙を書いたり、カードを添えるのは苦手と言う方もいらっしゃると思いますが、その分気持ちが伝わります。
気軽に素直な思いをかわいらしいカードや一筆箋にしたためましょう。その際、お礼の言葉と共に「あの時、●●していただき、とても助かりました」などと具体的な事柄を示すほうが、単なる「ありがとう」の言葉よりも響きます。
第三者を介して伝えるのは究極の感謝の方法
お世話になったことの感謝を本人にしっかり伝えた上で、共通の友人や知人にも「あの時、○○さんに助けていただいた」「お世話になった」と話題にします。すると、相手の印象が良くなりますし、自然と伝わっていきます。
自分を陰でほめていたと知ると、その方はあなたの気持ちをうれしく思い人間関係はより円滑になります。
感謝の気持ちを伝えるときには、素直で身の丈に合ったシンプルな言葉が基本です。
そして必ず、
●お礼の言葉「ありがとうございます」「ありがとう」
●相手の具体的な行動「●●をして下さって」「●●のおかげで」
●自分がどのようにうれしかったのか? 「難題を解決でき安堵した」「前向きに考えられるようになった」など
3つのポイントを伝えるようにしましょう。
「ありがとう」を期待して、行動する方はいないですが、感謝されるとうれしいですしもっと役に立ちたいと思うものです。特にビジネスの場での人間関係では、「感謝をきちんと伝える」のは、大切なことです。
一年前の今頃、妹が突然電話をかけてきた。
家を出てからあまり交流がなかったので少し驚いた。
「病院に行って検査をしたら、家族を呼べって言われたから来て。両親には内緒で」
嫌な話だということは簡単に想像できた。
妹は胃癌だった。
初期の段階だが、すぐ手術をしなければいけないということだった。
「お父さんとお母さんに言ったら、びっくりすると思うからお兄ちゃんを呼んだ。迷惑かけてゴメン」
親父は二ヶ月前に胃潰瘍を患っている。
お袋は神経が細かいので、こういった話には耐えられないだろう。
だから妹は俺を呼んだのだと言う。
妹は少し優秀なプログラマーで、手術の費用などは心配するなと笑っていた。
高額医療保障制度もあるし、大丈夫。
でも、お父さんとお母さんにだけは内緒にしておいて。
手術が終わったら言うから。
迷惑かけてゴメンね。 迷惑かけてゴメンね、
と、何回も繰り返す妹に、俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。
医者に話を聞いたら、本当は初期じゃなかった。
だいぶ進行していて既に末期だという。
手術中に死ぬかもしれないとも言われた。
手術しても助からないかもしれないとも言われた。
俺は両親に言ってしまった。
親父は絶句して、お袋は精神的なショックで一時的に左耳が聴こえなくなった。
でも、二人ともすぐに入院した妹に会いに行った。
妹が俺を責めた。
「何で言ったの。言わないでって言ったじゃない」
俺は「ゴメン」しか言えなかった。
死ぬかもしれない妹に、とにかく両親を会わせてやりたかった。
でも本当は、妹の死を一人で背負う事が辛かったんだと思う。
俺は弱い卑怯者だと思う。
手術の日、手術室に移される前に、妹が俺に言った。
「迷惑かけてゴメンね」
俺はやっぱり、「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。
手術は腹を開いただけだった。
検査で分かっていたが、手術をしても無駄なほど癌が進行していた。
それから二ヵ月後、妹は死んだ。
27歳だった。
死ぬまで、俺は毎日病院に通った。
仕事の合間にも顔を出した。
周囲にはいい兄貴に見えたと思う。
そんなに仲がいい兄妹じゃなかったと思うが、それでも毎日病院に通った。
妹は何度も、「迷惑かけてゴメンね」と謝った。
意識がなくなる二日前、俺に
「お父さんとお母さんに教えたって、責めてゴメンね。 迷惑かけてゴメンね」
と言った。
俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなくて、自分が死にたくなった。
もうすぐ妹の命日だが、今でも後悔している事がたくさんある。
もっと気の利いたことを言ってやりたかった。
調べればもっといい病院があったかもしれない。探してやりたかった。
今まで全然甘えなかった妹が最後に俺を頼ったのに、俺は何もしてやれなかった。
27年間、もしやり直せるんだったら、俺はもっと強くていい兄貴になりたい。
でもそれはできない。
立ち直るまでまだもう少し時間がかかりそうだが(一年も経ってまだ立ち直ってないのかと自分でも思うが)、
妹の分までしっかり生きていってやろうと思ってる。
もっと強くていい兄貴になって、天国の妹が自慢に思ってくれるような人間になりたい。
私が中学3年生になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分は受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なのだろうか、お金は大丈夫なのだろうかなどと、そのようなことしか考えていませんでした。
5月、母は病院に入院しました。偶に家にも帰って来ていたので、治るものだと思っていました。
そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。部活がなくなったので当然時間も増えました。
それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。
それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。
すぐ傍で看取る事が出来ました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのは何て呆気ないものなのだろうと。
その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えで何とか生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することが出来ました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も、受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。
そして先日学年末のテストが終わり、家でパソコンをいじっていて、ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったのです。
面白いスパムでもないかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。
その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。
スパムメールに紛れて何通も何通も。
開いてみると、
『誕生日おめでとう』
『東北大会出場おめでとう』
『ちゃんとご飯食べた?』
『父のことを手伝ってあげてね』
など、そのような内容のメールが何通も届いていました。
泣きました。泣いて、そして後悔しました。何で新しいメールアドレスを教えなかったのかと。
もうありがとうって言えない。
母がいないということと、母が死んだということがイコールになったのはその時なのだと思います。
返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。
障害者差別解消法について、私が身の回りで経験した光と影を2回にわたってお伝えしている後編です。障害者差別解消法の2本柱は、「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」であることは、前回お伝えしました。今回は、その前者にまつわる「光」のお話です。想像もしなかったようなトラブルが起きました。でも、お伝えしたいのは、その後に起きたことなのです。
以前、ある病院に入院をしたときの話です。1度目の入院は何事もなく終え、2年後にふたたび同じ治療で同じ病院に入院することになりました。今回は突発的なものではなく、数カ月前から予定していた計画入院です。
入院当日の朝、事務的な手続きを済ませると、病室に通されました。ベッドで受け持ち看護師の到着を待っていると、次の言葉に耳を疑いました。
「この病棟は、電動車いす禁止なので降りてください。」
一瞬、私の聞き間違いか、何かの冗談かと思いましたが、そうではなく真面目に言っているようです。歩けないから電動車いすが必要だと伝えると、困った様子で「でも、規則なので」の一点張り。病院の車いすに乗り換えてもいいと言われたけれど、そういうわけにもいかない事情があります。
骨盤がもろく折れやすい私は、きちんと自分の身体に合わせてシーティングを施した車いすでないと座ることができません。ましてや、車いすを自分でこぐことができないから電動に乗っているのであって、病院の自走式車いすでは移動もままならず、ベッド上軟禁に近い生活が予想されること必至です。
そもそも、私が電動車いすに乗っているのは、今に始まった話ではありません。2年前の入院時もそうだし、今回の入院計画に携わっている医療者にも周知の事実です。どうして急にそんなことを言われるのか、意味がわかりませんでした。
ただひとつ前回と違うのは、病棟の階が異なるという点です。退院して電動車いすOKの病棟が空くのを待つか、骨折リスクを覚悟して病院の車いすに乗り換えて1人で身動きのとれない入院生活を送るかの二択を迫られることになりました。結局は、電動車いすNGのA病棟ではなく、以前お世話になったB病棟の師長さんが、「電動車いすNGなんて有り得ない、うちのベッドを空けて引き取ります」と総師長を説得してくださり事なきを得ました。
菓子博でも入場拒否 今回の件は、「電動車いすは危険」という考えから派生しました。ここ数年、根幹が同じ問題を耳にすることが増えたような気がします。「広島菓子博」で電動車いすの入場が拒否されたことがありました。昨年は、電動車いすの人が、ビール工場で試飲を断られた、という報道もありました。いずれも根っこは同じではないでしょうか。 当事者からしたら、危険なものではないし、電動車いすに乗っているというだけで様々な制約を強いられることは納得できないけれど、よく知らない人から見れば怖い乗り物という風に映っているのかもしれないと思うと、やるせない気持ちです。
「電動車いすの入院はお断り」という今回の件。