かながわ いーとこ

神奈川県にはいろいろな景色があり、魅力に溢れています。ぶらぶら散策して見た風景・いいところを少しずつ紹介します。

浦賀散策・東西の叶神社と浦賀の渡し(横須賀市)

2020年01月13日 | 神奈川のいいところ
三浦半島の浦賀に行ってきました。
京急線の浦賀駅からスタートです。


浦賀湾に沿って造船所の脇を歩いていくと浦賀ドックがあるはずですが、塀で見えません。
先の浦賀コミュニティ広場という網のフェンスに囲まれた謎の空間の柵越しに撮影

造船所自体は解体が始まっています

さらに先の浦賀プロムナードから


浦賀プロムナード(遊歩道)


湾の先には房総半島が見えます


浦賀プロムナードの終点から少し戻ったところにある叶神社
社号標


西叶神社といわれることもあるようですが、叶神社が正式名称です。
江戸時代に浦賀村が東西に分村したこともあって東岸にも叶神社を勧請し
東西に叶神社があることから、西岸の叶神社を「西叶神社」と呼ぶこともあるようです。

鳥居と社号標


参道を進んだだ先の二の鳥居


手水舎


銅製の大きな灯籠


拝殿


右手の狛犬

左手の狛犬

ともに、口を開けた“阿形”です

拝殿の彫刻が見事です



木鼻


扁額


本殿

御祭神は、誉田別尊(応神天皇)、比売大神、息長帯比売命です。
文覚上人が、源氏の再興を願って房総半島の鹿野山に修行し、願いが叶えられるなら神社をたてることを誓ったそうです。
源氏再興が叶ったことから、西浦賀のこの地に石清水八幡宮を勧請したことが起源とされています。

背後の樹林


境内社の福寿弁財天


境内社の稲荷神社・三峰神社・大鷲神社・淡島神社(合社)


境内社の金刀比羅神社と武雄神社



参拝を終え、対岸の東叶神社に向かいます。
西岸の叶神社の斜め前、浦賀プロムナードの終点に「浦賀の渡し」の船着き場があります


対岸に係留していたため、ブザーを押して呼ぶとポンポン船がやってきました。


乗り込んみます

200円を支払います(船長さんの目の前のかごのようなところに置きます)

「浦賀の渡し」は、正式には横須賀市の「市道2073号」です。
海の色が鮮やかできれい


のんびりとして気持ちがいいです


千葉側


すぐに対岸に到着


東側の船着き場


船着き場からすぐのところに、吉田松陰と佐久間象山が宿泊し会った徳田屋という旅館跡の碑がありました。

(後ろの建物は、徳田屋ではありません)


船着き場から歩いて10分ほどで東岸の叶神社に到着
社号標


鳥居


拝殿

階段わきに蘇鉄がありますが、頼朝公が伊豆から移植して奉納したとされていようです。

手水舎


右手の狛犬

左手の狛犬

ともに、口を閉じた“吽形”です
西岸の叶神社の狛犬は2体とも“阿形”でしたので、東西で一対となっているとの説もあるようです。

拝殿


拝殿の扁額


拝殿と本殿

御祭神は、誉田別尊(応神天皇)です

拝殿と本殿を恵仁志坂から


東岸の叶神社のある裏山は明神山といい、後北条氏の浦賀城跡でもあります。
また、明神山一帯は、県指定天然記念物(叶神社の社叢林)や、かながわの美林50選にも登録されています。

本殿左手から階段を登ります。

この坂が恵仁志坂だそうです。

さらに急な階段
産霊坂


山頂に到着


奥の院があります

奥の院


勝海舟断食之跡の碑

勝海舟氏は、日米修好通商条約批准交換の随行で太平洋を咸臨丸で渡る前に、境内の井戸水で水垢離を済ませ、
山頂の奥の院の脇で座禅を組み、断食修行を行ったそうです。

山頂の境内社の東照宮


山頂の境内社の神明社


山頂の展望台


浦賀湾の入口西側にある燈明堂も見えます

燈明堂は、慶安元年(1648)に幕府の命で築造された灯台で、観音埼灯台ができるまで約220年間活躍しましたが、明治5年(1872)に廃止されたそうです。
今あるものは復元したものです。

対岸の東京ベイサイドゴルフコース(富津市)


山頂から急な産霊坂を下ります


山頂直下のスダジイ

千手観音のようです

恵仁志坂から

上の写真のところに境内社の湊稲荷社


本殿脇に神輿舎がありました


階段参道の下の社務所の奥にある身代わり弁天社


勝海舟氏が水垢離を済ませた井戸水


拝殿前からの1枚


この後、煌めく浦賀湾をながめつつ

県道209号まで戻り、観音崎行きのバスで観音崎に向かいました。