大磯町にある高来神社に行きました。
国道1号線の高来神社入口交差点を曲がると、すぐに鳥居と石碑があります。
石碑の文字は、紀州徳川家第8代藩主徳川頼倫の筆のようです。
さらに進むとすぐに二の鳥居があります。
右の真新しい木造建築は、慶覚院のようです。
慶覚院は高麗寺の末寺でしたが、明治の神仏分離によって高麗寺が廃寺となり、
一部の仏像がこの寺に移されたそうです。
高来神社の狛犬と参道。
参道を進むと燈籠があり、奥に拝殿が見えます。
背後の左側が高麗山です。
横には「力石」があります。
江戸時代に若者たちが力競べで持ち上げたそうです。
大磯町の天念記念物のシイ・ニッケイ。
スダジイとヤブニッケイの2種が一体化した樹木だそうです。
手前のポールが邪魔です。
高来神社の本堂。
高麗寺の旧観音堂だったようです。
本堂の右に、神輿殿があります。
神輿殿脇にある御供水(高麗山霊水)。
本堂と神輿殿の間の奥に階段があり、その奥に平嘉久社という小さな祠があります。
ここは高麗山への登山口となっており、左右に男坂と女坂になっています。
高麗山の山頂には、上宮跡があります。
高麗山の山頂の様子は、過去の記事をご覧ください。
本堂と神輿殿の間の奥の階段脇に、かながわの景勝50選の石碑があります。
とても分かりにくいです。
なんと彫られているかも判読しにくいです。
アップで撮影してかろうじて「湘南平と高麗山」と判読できます。
かながわの景勝50選「湘南平と高麗山」の石碑はここにあったのですね。
湘南平にある石碑は何でしょう?
国道1号線の高来神社入口交差点を曲がると、すぐに鳥居と石碑があります。
石碑の文字は、紀州徳川家第8代藩主徳川頼倫の筆のようです。
さらに進むとすぐに二の鳥居があります。
右の真新しい木造建築は、慶覚院のようです。
慶覚院は高麗寺の末寺でしたが、明治の神仏分離によって高麗寺が廃寺となり、
一部の仏像がこの寺に移されたそうです。
高来神社の狛犬と参道。
参道を進むと燈籠があり、奥に拝殿が見えます。
背後の左側が高麗山です。
横には「力石」があります。
江戸時代に若者たちが力競べで持ち上げたそうです。
大磯町の天念記念物のシイ・ニッケイ。
スダジイとヤブニッケイの2種が一体化した樹木だそうです。
手前のポールが邪魔です。
高来神社の本堂。
高麗寺の旧観音堂だったようです。
本堂の右に、神輿殿があります。
神輿殿脇にある御供水(高麗山霊水)。
本堂と神輿殿の間の奥に階段があり、その奥に平嘉久社という小さな祠があります。
ここは高麗山への登山口となっており、左右に男坂と女坂になっています。
高麗山の山頂には、上宮跡があります。
高麗山の山頂の様子は、過去の記事をご覧ください。
本堂と神輿殿の間の奥の階段脇に、かながわの景勝50選の石碑があります。
とても分かりにくいです。
なんと彫られているかも判読しにくいです。
アップで撮影してかろうじて「湘南平と高麗山」と判読できます。
かながわの景勝50選「湘南平と高麗山」の石碑はここにあったのですね。
湘南平にある石碑は何でしょう?