関東ふれあいの道 神奈川県コース14「北条武田合戦場のみち」の紹介です。
関東ふれあいの道 神奈川県コースについては、神奈川県のホームページをご覧ください。
「北条武田合戦場のみち」の解説は、神奈川県のホームページに記載された説明を引用します。
半原越、経ヶ岳の展望を楽しんだあとは、今はのどかな山里になっている古戦場を歩き
戦国時代に思いを馳せるコースです。【16.2キロメートル、所要5時間30分】
「北条武田合戦場のみち」は、全17コース最長の16.2Kmあります。
しかも、その半分は林道を登り、経ヶ岳を登って降りるという行程のため、
2日に分けて歩くことにしました。
今回はその1として、韮尾根バス停~半僧坊までを紹介します。
またしても逆順です。
韮尾根バス停脇の看板と指導標識。
しばらく畑の中を進みます。
背後は雨乞山
ここで、関東ふれあいの道「山里から津久井湖へのみち」と分岐します。
関東ふれあいの道「山里から津久井湖へのみち」はこちらでご覧いただけます。
進む向きが変わると、景色も変わります。
高取山や仏果山が見えます。
動物の気配のない牧場脇を進みます。
荒廃した牛舎(たぶん)
この建物の先を左折して林道に入ります。
舗装された道です。
すぐに東京農大の研究センター入口がありますが、まっすぐ進みます。
途中、蝶に遭遇しました。
アオスジアゲハです。
樹林帯の中を進みます。
前方に小さなピークが見えてきました。
後でわかりましたが、あの小山の上に清正光(朝日寺)がありました。
朝日寺の階段
上が見えません。
登りきったところにある朝日寺
再び階段を下って元の林道をてくてく歩いていくと、志田峠に到着。
韮尾根から1.9Km
ベンチと標識くらいしかありません。
背後に馬頭観世音の石碑がありました。
三増合戦の際に武田軍の山県隊が韮尾根から志田峠をとおり、
北条軍の背後をついたといわれています。
志田峠付近で建設残土処分場の工事?が行われていました。
志田峠から先は細い未舗装路になりますが、その先で様子が少しわかりました。
韮尾根側の道も、以前は細い道だったものの、ダンプを通すために車幅を拡張した
ようで、その痕跡が前の写真にもありました。
しばらく林の中を歩きます。
舗装路になります。
周囲に家が出現します。
愛川町の配水場もあります。
東名厚木カントリークラブの前を通ります。
ここから信玄の旗立松へと行くことができます。
信玄の旗立松の様子はこちらでご覧いただけます。
さらに進むとまたまた愛川町の配水場があります。
配水場の先のこんもりしたところを抜けると、開けたところに出ます。
畑の先に東屋が見えます。
その東屋の脇に、三増合戦場の石碑があります。
石碑の脇には、合戦の陣立図があります。
信玄は鶴翼の陣をひいたようです。
石碑脇には、関東ふれあいの道の石碑もありました。
信玄の旗立松の案内碑もあります。
右のこんもりした峰が旗立松のあるところです。
三増合戦場の石碑から先は、畑の中の道を進んでいきます。
樹林帯になり、下って行きます。
突然住宅地に出ます。
県道54号線に出ます。
左折して橋を目指しますが、すぐ道の向こう側に
弁天社があったので寄ってみました。
弁天社
弁天社の裏手の中津川の淵底は江ノ島の岩屋まで穴で通じていると
言われているそうです。
戻って中津川に架かる橋を渡ります。
景色がいいです。
橋を渡った先は車道脇の歩道を進みます。
しばらく住宅街の中を進むと、半僧坊に到着です。
正面奥に見える道路が国道412号です。
関東ふれあいの道の看板もあります。
国道412号に登った先にある指導標識。
経ヶ岳まで3.2Kmです。
背後の木の間から山門が見えます。
次回は半僧坊を紹介します。
残りの行程(坂尻バス停~経ヶ岳~半僧坊)は踏破後に紹介します。
経ヶ岳や仏果山は、ヤマビルの巣窟となっているため、これからの季節は勇気が必要です。
天候等を考慮して実施したいと思います。
そのためいつ紹介できるかわかりません。
<2015.12.6追記>
ようやく残りの行程を踏破してきました。
半僧坊~経ヶ岳山頂までの様子はこちらでご覧いただけます。
<広告>
この記事はFUJIFILMのプレミアムコンパクトデジタルカメラ XQ1で撮影しました。
後継機のXQ2が発売されています。
関東ふれあいの道 神奈川県コースについては、神奈川県のホームページをご覧ください。
「北条武田合戦場のみち」の解説は、神奈川県のホームページに記載された説明を引用します。
半原越、経ヶ岳の展望を楽しんだあとは、今はのどかな山里になっている古戦場を歩き
戦国時代に思いを馳せるコースです。【16.2キロメートル、所要5時間30分】
「北条武田合戦場のみち」は、全17コース最長の16.2Kmあります。
しかも、その半分は林道を登り、経ヶ岳を登って降りるという行程のため、
2日に分けて歩くことにしました。
今回はその1として、韮尾根バス停~半僧坊までを紹介します。
またしても逆順です。
韮尾根バス停脇の看板と指導標識。
しばらく畑の中を進みます。
背後は雨乞山
ここで、関東ふれあいの道「山里から津久井湖へのみち」と分岐します。
関東ふれあいの道「山里から津久井湖へのみち」はこちらでご覧いただけます。
進む向きが変わると、景色も変わります。
高取山や仏果山が見えます。
動物の気配のない牧場脇を進みます。
荒廃した牛舎(たぶん)
この建物の先を左折して林道に入ります。
舗装された道です。
すぐに東京農大の研究センター入口がありますが、まっすぐ進みます。
途中、蝶に遭遇しました。
アオスジアゲハです。
樹林帯の中を進みます。
前方に小さなピークが見えてきました。
後でわかりましたが、あの小山の上に清正光(朝日寺)がありました。
朝日寺の階段
上が見えません。
登りきったところにある朝日寺
再び階段を下って元の林道をてくてく歩いていくと、志田峠に到着。
韮尾根から1.9Km
ベンチと標識くらいしかありません。
背後に馬頭観世音の石碑がありました。
三増合戦の際に武田軍の山県隊が韮尾根から志田峠をとおり、
北条軍の背後をついたといわれています。
志田峠付近で建設残土処分場の工事?が行われていました。
志田峠から先は細い未舗装路になりますが、その先で様子が少しわかりました。
韮尾根側の道も、以前は細い道だったものの、ダンプを通すために車幅を拡張した
ようで、その痕跡が前の写真にもありました。
しばらく林の中を歩きます。
舗装路になります。
周囲に家が出現します。
愛川町の配水場もあります。
東名厚木カントリークラブの前を通ります。
ここから信玄の旗立松へと行くことができます。
信玄の旗立松の様子はこちらでご覧いただけます。
さらに進むとまたまた愛川町の配水場があります。
配水場の先のこんもりしたところを抜けると、開けたところに出ます。
畑の先に東屋が見えます。
その東屋の脇に、三増合戦場の石碑があります。
石碑の脇には、合戦の陣立図があります。
信玄は鶴翼の陣をひいたようです。
石碑脇には、関東ふれあいの道の石碑もありました。
信玄の旗立松の案内碑もあります。
右のこんもりした峰が旗立松のあるところです。
三増合戦場の石碑から先は、畑の中の道を進んでいきます。
樹林帯になり、下って行きます。
突然住宅地に出ます。
県道54号線に出ます。
左折して橋を目指しますが、すぐ道の向こう側に
弁天社があったので寄ってみました。
弁天社
弁天社の裏手の中津川の淵底は江ノ島の岩屋まで穴で通じていると
言われているそうです。
戻って中津川に架かる橋を渡ります。
景色がいいです。
橋を渡った先は車道脇の歩道を進みます。
しばらく住宅街の中を進むと、半僧坊に到着です。
正面奥に見える道路が国道412号です。
関東ふれあいの道の看板もあります。
国道412号に登った先にある指導標識。
経ヶ岳まで3.2Kmです。
背後の木の間から山門が見えます。
次回は半僧坊を紹介します。
残りの行程(坂尻バス停~経ヶ岳~半僧坊)は踏破後に紹介します。
経ヶ岳や仏果山は、ヤマビルの巣窟となっているため、これからの季節は勇気が必要です。
天候等を考慮して実施したいと思います。
そのためいつ紹介できるかわかりません。
<2015.12.6追記>
ようやく残りの行程を踏破してきました。
半僧坊~経ヶ岳山頂までの様子はこちらでご覧いただけます。
<広告>
この記事はFUJIFILMのプレミアムコンパクトデジタルカメラ XQ1で撮影しました。
後継機のXQ2が発売されています。
FUJIFILM プレミアムコンパクトデジタルカメラ XQ2 シルバー XQ2S | |
クリエーター情報なし | |
富士フイルム |