東京都江東区にある清澄庭園を訪問しました。
清澄庭園は、泉水、築山、名石などを配置した回遊式林泉庭園で、東京都指定名勝に指定されています。
元禄年間には紀伊國屋文左衛門の屋敷があったとされ、享保年間に下総関宿藩の久世氏の下屋敷となり、
明治に岩崎弥太郎氏が買い取り庭園を造成し、社用の「深川親睦園」を開園したそうです。
関東大震災で大きな被害を受けたものの、避難場所として多くの人命を救ったそうです。このことから、
今の庭園部分(東半分)を東京都に寄付し、昭和7年に公園として公開しました。
公園正面
案内板
三菱財閥で保有していた時の写真等が掲載された案内板
入園料150円(良心的)を支払って入園です。
園内には無数の全国から集められた名石が配置されています。
伊豆式根島石
大正記念館
菰巻きされた樹木
松などは「お腹」に巻きますが、寒さに弱い木はこのように全身巻くようです。
雪吊りされた松
中央の池「大泉水」が見えてきました。
生駒石
石灯籠と御影石の水鉢
紅梅も咲いていました。
思っていたよりも大きな池(大泉水)
中の島に渡る橋
島もいろいろな石で囲まれています。
鶴島と涼亭
大泉水(池)をぐるっと周遊する散策路に戻ります。
春日燈籠
南側から見た鶴島
南側の山の麓に石が組まれたところがあります
その一部の立派な石
これは離れてみるとわかりますが、枯滝になっています。
背後の山は富士山を模しています。
真鶴石
苔
石と苔
池には鯉もたくさんいます。
磯渡りから
磯渡りは、池の端に石を置き歩けるようにした道です。
松島の多層塔
松島と数寄屋造りの涼亭(集会場として借りることができるようです)
島にかかる飛び石の橋
山燈籠(讃岐御影石)
石の橋
右にも磯渡りがのびています
よく見ると少し隙間があります
立派な1枚石を2枚使った石橋
別の角度から
北側のこの石橋がある辺りは長瀞峡というそうです
園内の南側には石仏群も残っています。
最初の説明で、三菱財閥で保有していた「深川親睦園」の東側半分を寄付して
今の清澄庭園となった旨説明しましたが、残りの西側半分は
今は清澄公園として整備されています。
公園入口から
周囲は高いマンションやビルが建っていますが、都心にあって今なお
このような空間を保存しているのは素晴らしいと思いました。
清澄庭園は、泉水、築山、名石などを配置した回遊式林泉庭園で、東京都指定名勝に指定されています。
元禄年間には紀伊國屋文左衛門の屋敷があったとされ、享保年間に下総関宿藩の久世氏の下屋敷となり、
明治に岩崎弥太郎氏が買い取り庭園を造成し、社用の「深川親睦園」を開園したそうです。
関東大震災で大きな被害を受けたものの、避難場所として多くの人命を救ったそうです。このことから、
今の庭園部分(東半分)を東京都に寄付し、昭和7年に公園として公開しました。
公園正面
案内板
三菱財閥で保有していた時の写真等が掲載された案内板
入園料150円(良心的)を支払って入園です。
園内には無数の全国から集められた名石が配置されています。
伊豆式根島石
大正記念館
菰巻きされた樹木
松などは「お腹」に巻きますが、寒さに弱い木はこのように全身巻くようです。
雪吊りされた松
中央の池「大泉水」が見えてきました。
生駒石
石灯籠と御影石の水鉢
紅梅も咲いていました。
思っていたよりも大きな池(大泉水)
中の島に渡る橋
島もいろいろな石で囲まれています。
鶴島と涼亭
大泉水(池)をぐるっと周遊する散策路に戻ります。
春日燈籠
南側から見た鶴島
南側の山の麓に石が組まれたところがあります
その一部の立派な石
これは離れてみるとわかりますが、枯滝になっています。
背後の山は富士山を模しています。
真鶴石
苔
石と苔
池には鯉もたくさんいます。
磯渡りから
磯渡りは、池の端に石を置き歩けるようにした道です。
松島の多層塔
松島と数寄屋造りの涼亭(集会場として借りることができるようです)
島にかかる飛び石の橋
山燈籠(讃岐御影石)
石の橋
右にも磯渡りがのびています
よく見ると少し隙間があります
立派な1枚石を2枚使った石橋
別の角度から
北側のこの石橋がある辺りは長瀞峡というそうです
園内の南側には石仏群も残っています。
最初の説明で、三菱財閥で保有していた「深川親睦園」の東側半分を寄付して
今の清澄庭園となった旨説明しましたが、残りの西側半分は
今は清澄公園として整備されています。
公園入口から
周囲は高いマンションやビルが建っていますが、都心にあって今なお
このような空間を保存しているのは素晴らしいと思いました。