浅草の「三社様」こと、浅草神社を訪問しました。
推古天皇36年(628年)に、漁師の桧前浜成・竹成兄弟が漁をしていた際に、
網にかかった像を、土師真中知にみせたところ観音像であると教えられ、祈念するようになり、
後に僧となった土師真中知の自宅を改めて寺として、その観音像を祀ったのが浅草寺とのことです。
土師真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、三人を神として祀ったのが三社権現社の始まりとされています。
明治維新の神仏分離令により浅草寺らか分かれ、その後浅草神社に名を改めたそうです。
鳥居
社号標
境内の様子
手前の狛犬(右
手前の狛犬(左
手水舎
拝殿前の狛犬(右
拝殿前の狛犬(左
拝殿
現存の社殿は、徳川家光の寄進で1649年に完成したもので、拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されています。
主祭神は、土師真中知、桧前浜成、竹成、東照宮(徳川家康)と大国主命を合祀しています。
拝殿の扁額
江戸っ子なら皆知っている「三社祭」で有名な神社です。
浅草神社と並んで浅草寺があります。
仲見世
伝法院通から見えるスカイツリー
宝蔵門(仁王門)
仁王像があります。
宝蔵門の大わらじとスカイツリー
宝蔵門の屋根とスカイツリー
本堂
授与所の屋根とスカイツリー
本堂正面から
本堂斜めから
本堂から東の浅草神社の先にある二天門
扁額は三条実美筆とのことです。
東照宮の随身門として建立されたそうですが、東照宮は火事により江戸城内に遷座したそうです。
二天門は、国の重要文化財に指定されています。
持国天(右側)
増長天(左側)
二天門の前にある古い手水鉢
江戸時代から同じところにあるとのことです。
二天門
左の四角い箱のような建物は、現在改修中の五重塔です。
※雷門は訪問時、団体さんでごった返していて後にしようと思ったら、
そのまま忘れて帰ってしまいました。最近こんなことが多くて困ります。
駒形橋のたもとにある、駒形堂
駒形堂のある地は、桧前浜成・竹成兄弟により隅田川から示現した観世音菩薩像を
初めて奉安した場所にあたるそうです。
所用がありゆっくり見ることができなかったので、
機会があれば再訪したいと思います。
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この記事の写真は キヤノンPowerShot G7X Mark2で撮影しました。
推古天皇36年(628年)に、漁師の桧前浜成・竹成兄弟が漁をしていた際に、
網にかかった像を、土師真中知にみせたところ観音像であると教えられ、祈念するようになり、
後に僧となった土師真中知の自宅を改めて寺として、その観音像を祀ったのが浅草寺とのことです。
土師真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、三人を神として祀ったのが三社権現社の始まりとされています。
明治維新の神仏分離令により浅草寺らか分かれ、その後浅草神社に名を改めたそうです。
鳥居
社号標
境内の様子
手前の狛犬(右
手前の狛犬(左
手水舎
拝殿前の狛犬(右
拝殿前の狛犬(左
拝殿
現存の社殿は、徳川家光の寄進で1649年に完成したもので、拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されています。
主祭神は、土師真中知、桧前浜成、竹成、東照宮(徳川家康)と大国主命を合祀しています。
拝殿の扁額
江戸っ子なら皆知っている「三社祭」で有名な神社です。
浅草神社と並んで浅草寺があります。
仲見世
伝法院通から見えるスカイツリー
宝蔵門(仁王門)
仁王像があります。
宝蔵門の大わらじとスカイツリー
宝蔵門の屋根とスカイツリー
本堂
授与所の屋根とスカイツリー
本堂正面から
本堂斜めから
本堂から東の浅草神社の先にある二天門
扁額は三条実美筆とのことです。
東照宮の随身門として建立されたそうですが、東照宮は火事により江戸城内に遷座したそうです。
二天門は、国の重要文化財に指定されています。
持国天(右側)
増長天(左側)
二天門の前にある古い手水鉢
江戸時代から同じところにあるとのことです。
二天門
左の四角い箱のような建物は、現在改修中の五重塔です。
※雷門は訪問時、団体さんでごった返していて後にしようと思ったら、
そのまま忘れて帰ってしまいました。最近こんなことが多くて困ります。
駒形橋のたもとにある、駒形堂
駒形堂のある地は、桧前浜成・竹成兄弟により隅田川から示現した観世音菩薩像を
初めて奉安した場所にあたるそうです。
所用がありゆっくり見ることができなかったので、
機会があれば再訪したいと思います。
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この記事の写真は キヤノンPowerShot G7X Mark2で撮影しました。
Canon デジタルカメラ PowerShot G7 X MarkII 光学4.2倍ズーム 1.0型センサー PSG7X MarkII | |
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