S山のどうしようもないこと・北海道犬添え

北海道犬のコイチと飼い主「S山」のどうしようもないあれこれ。主に田舎暮らし。

台風10号による豪雨災害をまのあたりにして、なお、どうしようもないことばかり考えているという現実2

2016-10-23 | 雑文
 記憶はあいにまいに、そして美化されていく。その前に

 すでに水位は増していた
 事務所への帰路、私は仕事で使っている中里地区イチゴ栽培実証ハウスと乙茂地区のハウスを状況確認するために向かった。どちらのハウスにも管理担当者が張り付いているので、台風への備えはよく整っていた。中里ハウスは連棟化しての増築工事を翌日に控え、資材搬入が完了し、増築面の側面ビニールは撤去されており、強風に弱い状態にはなっていたが、ハウスバンドでの固定などはしっかりされており、そこまで不安な気持ちは湧いてこなかった。中里から乙茂地区への道中、赤鹿橋には水位計があったが、これもまたそれほどの水位ではなく、濁った緩やかな流れが、雨の波紋を浮かべているだけだった。乙茂地区のハウスにつくと、風が東から吹き始め、雨も強くなり、緩急がではじめた。収穫を目前にした雑穀のヒエが大きくなびき、穂先が折れるほどだった。しかし、空は所により明るくなり、雲はそれほど厚くないような光をおびていた。ただ、乙茂地区の水位は妙に高かった。上流域に朝から降った雨が、川に集まりはじめていたのかもしれない。事務所へ向かって走っていると、雨脚はますます強まり、不安になりはじめた。病院前の坂は勢いよく水が流れ、側溝から水が吹き始めていた。毎年、消防演習の放水訓練が行われる、岩泉橋上流の河川敷は私の中での水位計だった。ここに水が上がると、自分の所属する消防団が管轄する地区内でも被害が出るからだ。


 今の時間でこの水位はまずいんじゃないか?
 家に帰ったら、今夜は消防だな。

 そんなことを考えながら、事務所へ急いだ。その時、国道わきの道から小石が流れ出始めているのに気が付いた。残念ながら自分の所属する消防団の管轄地区内だった。仕事中だったが、流れている場所も、理由も把握していたため、対処することにした。急いで、自宅へ戻り、円匙とツルハシを担ぎ、カッパとヘルメットを装備して、現場へ向かった。案の定、大雨になるといつも出水する沢からだった。国道までは普通、土砂が流れだすことはない、大きな側溝があって、そこに排水するからだ。ついた時には、土砂で側溝のグレーチングが詰まっていた。消防団の筆頭班長に連絡を入れ、近所の住人と協力して、グレーチングを上げた。しかし、その間に濁流は勢いを増し、土嚢を簡単に押し流すほどになっていた。背筋に冷たいものが走った。急報に筆頭班長が駆け付けてきてくれた。土嚢を積み足して、事務所へ戻ることにした。

班長 「今夜は18時から警戒に出るよ。」
私  「わかりました。事務所に行って、すぐ来ます。」
 そう言い交して、事務所へ向かった。結局、この約束を守ることはできなかった。

 事務所に向かう国道沿いの沢や林道はことごとく、泥水を吐き出しはじめていた。何度となく、濁流を無理やり乗り越え、事務所へ到着した。いまだ通常業務中だった。ちょうど専務と課長がおり、このままでは帰宅困難になる可能性が高いので、1時間早く社員を帰宅させるよう、進言し、みんなで事務所を後にした。自宅への帰路についたのは、17時前だった。


 災害発生時の「判断する」とはどういうことか、「情報」とはなにか。

 私の軽トラを先頭に、事務所より下流に住む専務と課長と連なって、帰路についた。出発して間もなく、同時刻に帰社し、上流に向かった職員から電話が入った。なんでも土砂崩れで通行止めを食ったそうだ。そして間もなく、さっき自分が戻ってきた国道は土砂にふさがれ、増水した沢水がどんどんと流れ出していた。こちらも通行止めになっていた。町内の道路維持を受け持つ「畑中組」のミニローダーが懸命に土砂の撤去にあたっていた。下流からは6tぐらいのローダーも来ており、間もなく道路は開くだろうと、車内で待った。停車した位置は、左手は斜面、右手は小本川。普段は谷底をきれいな水が流れる清流だが、この日はすでに、今まで見たこともない所まで水は増えており、道路まで2mくらいのところまで水位が上がっていた。ラジオは台風10号の通過時刻を22時ごろと言っていた。雨脚はこのころが最高に強かった。前方で繰り広げられる、畑中組と土砂を噴き出す沢との戦いは、延々と続いていた。応援の人員が来たが、人力でできることはすでになく、さっきまでの小沢は、巨大なダムの放流のような水の束を吐き、土砂を路面にまき散らし続けた。携帯が鳴った。筆頭班長からだった。我が家のとなりのおじさんの家が浸水し始めたそうで、救援に来れるかということだった。状況を説明し、おそらく、今日中にいは向かえないと伝えた。両親と弟に現状をメールし、車を降りた。まずは、目の前の道路が開通する見込みがあるかを、この目で確かめるためだ。降りてみてわかった。ものすごく雨が強い。圧迫感のある雨。そして、この目の前の沢は水位が下がるまで、人間を寄せ付けない。そう感じた。右手を流れる小本川に近づいてみる。あと30㎝で道路に水が上がる。
 こんな短時間で川の水位は上がるものなのか?!
わが目を疑った。しかし、ぐっとい息をのんで、言い聞かせるように、これは、自分の目が見ている現実であり、現実である以上は楽観はせず、情報をよく精査し判断しよう。と心の中で繰り返した。雨は祈れども祈れども、弱まる気配はなかった。だんだん、左側の側溝から水があふれ、路面を水が流れ始めた。車に戻らず、まずはすぐ後ろで停車していた専務の車に向かった。私が近づくと専務はすぐ窓を開けた。後続の課長もカッパを着込み、近づいてきた。
 専務「などだや?」
 私 「ダメです。前方の交通障害は、短時間で解消される可能性は極めて低いと思います。」
 専務「事務所に戻るべえ」
 私 「それしかないかと。」
 課長が先頭を走り、3台がそれぞれ180度回頭し、事務所へと進路をとった。気が付けば、自分たちの後ろには200m近く、後続車両が列をなしていた。列を横目に、大きな右カーブにハンドルをきった。カーブを曲がりきると、300m先に消防署のポンプ車が回転灯を回しながら、後退するのが見えた。薄暮の雨中に信じられない光景が現れた。

 川が溢れている。

 右手の沢からは濁流が本流に向かって流れている。しかし、本流の勢いは、その沢水を私たちの走る道路へと押し戻し、行く手の路面はすっかり本流の濁流によって冠水していた。目の前の光景が現実だと信じるのはとても難しい光景だった。

 まずい。

 先頭を走る課長はこの濁流にどう対処する?
 前方のポンプ車が後退しているのに気付いているか?
 この濁流の下に道路はまだ残っているのか?
 この右からの沢水に流されないか?

 問いを重ねる間に、前を走る2台がブレーキをかけた。ブレーキランプがパッと点く。課長は突入を断念した。私の後ろには、何台かの後続車両が来ていた。その中にはお巡りさんも交じっていた。課長が車のハザードを点けて降りてきた。
 課長 「ダメだ。これじゃ無理だべ、危ねぇ。軽トラは軽いからリアが浮いたら終わりだ。」
 専務 「このままだら、ここさいる人みんなが危険だから上さあがっぴゃあ」
 専務はこの道路のすぐ上に、広い駐車場のある工場があることを知っていた。私は、工場がどうなっているか、斥候に上がるよう命じられ、泥濘の坂を駆け上がった。工場の従業員の車は無かった。早々と退社したらしい。避難スペースは十分だった。もと来た道を駆け下り、専務に報告した。
 私  「駐車車両なし。誰もいません。」
 専務 「駐車場への入り口は反対側だ、先頭車両から誘導した方がいいべ。こういうのはお巡りさんにやってもらわねえば。」
 専務の判断は早かった。車のタイヤの半部より上まで冠水していた。幸運にも上り車線は勾配のため水がまだ来ていない。課長と専務と3人で誘導を開始した。お巡りさんも先回りし、先頭で車両を高台の駐車場へと誘導し始めた。自分たちがここまで来るまで気が付かなかったように、目の前の車列に気を取られ、後ろの濁流に気付いていない人たちが、この状況を信じ、迅速に避難誘導に従ってもらうには一般人である我々では説得力に欠けるのは自明だった。自分の車を少し高い、法面に無理やり乗り上げさせて、避難誘導にあたった。
 運転席の窓をたたき、声をかける。ほぼ全員が、スマホやカーナビで台風情報を見ている。
 「すぐ後ろで川が溢れています。この上に駐車場があります。前の車の後ろにかだって、上がってください。」
 多くの人は、素直に了承してくれた。中には自分の居る場所は安全だと主張する人もいたが、私と話すために窓を開けて、気が付いたらしい。尋常ならざる外の空気に。

 「避難」をするかしないかを決める情報は、自分の身のまわりに最も多くある。

ということに気付かされた。
 上り車線の車も、1台ずつ誘導して、反転させ、つぎつぎと駐車場へと避難した。2駆にはややきつい砂利の坂を整然と列をなして車が上がっていくのを見て、少しほっとした。最初に停車した位置はもう川になっていた。道路へも次々と流木が流れ込み始めた。1台無人の軽トラがあったが、鍵がついていたので課長が運転して、駐車場へ上げた。
 通行止めの解消のため戦っていた畑中組の作業員たちも撤収してきた。ミニローダーの燃料も残り僅からしい。最後に課長がJRの定期路線バスの運転手を乗せて、避難は完了した。道路はすっかり川となり、石まで流れてきた。避難していなければ、車は何台かダメになっていたと思うと、得した気分だった。今更だが、課長も専務も準備がいいんだか、常備しているのか、上下カッパに長めの耐油長靴。これは牛関係の仕事をしている人はよく履いているものだ。ヘッドライトも持っていた。さすがは、専務も課長も現場主義者だと思った。
 駐車場に上がり、車を止め、人の集まっているところに行って様子を聞いていると、お巡りさんが、これで全員ですか?と畑中組の作業員に問うていた。どうやら下流には逃げ遅れと、まだ作業にあたっている人が残っているようだった。若い人、何名かとお巡りさんで、濁流を膝までつかり、下流に捜索に向かった。先頭は、たまたまヘッドランプを持っているということで、私と課長だった。志願したとはいえ、真っ暗闇の雨の中、頼りないヘッドランプだけで、どうなっているかわからない濁流の道を進むというのは正直ちびりそうだった。やたらと大きな声で「誰かいないか―!」と叫びながら進んだ。すぐに人影が見えた。濁流の沢を畑中組の人がロープを渡して渡ってきたという。流れに逆らい膝まで濁流に浸かって歩いてきた人たちはみんな、疲れ果てていた。最後尾に見知った顔がいた。足の悪そうな人に肩を貸していた。知人と肩を変わり、全員が避難を完了した。下流ではすっかり前後の沢が噴いて、逃げることができなかったそうで、みんな車を捨てて徒歩で逃げてきたのだった。
 一安心して、畑中組の知り合いと、だべっていると、雨はすっかり弱まり、空には雲の切れ間から星が見えていた。そんな時、誰かが桃をくれた。味のない、まだ若い桃だったが、空腹と安堵感からか、すんなり喉を通った。この時は、自分たちの居るところが一番ひどい状態なんじゃないかと思っていた。まさか下流ではもっとひどいことになっているとは、思いもよらなかった。きっとここより下は川幅が広がっているから、大丈夫だと。そんな甘い考えを抱いて、車両解放をしてくれたJRの路線バスで浅い眠りについた。
 自分は運が良かった。避難することは勇気がいることだし、避難を他人に強要することも難しいことがよくわかった。何も起きていないうちに逃げるというのは、本当に判断が難しい。そして避難の判断をするための情報は、他人が与えてくれるものではないということを学んだ。

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