S山のどうしようもないこと・北海道犬添え

北海道犬のコイチと飼い主「S山」のどうしようもないあれこれ。主に田舎暮らし。

「○○ファースト」は田舎にどういう影響をおよぼすか

2017-01-26 | 雑文
 トランプ大統領からから始まったわけではない

 最近「○○ファースト」という単語が流行っているようだ。
日本では東京都知事様が「都民ファースト」を掲げ、昨日も「都民ファースト」の予算案を提出したと、ラジオは伝えていた。またアメリカの新大統領トランプさんは、連日のように「アメリカファースト」の実現に向けて、ルーズベルトもトルーマンもびっくりな手腕をふるっているようだ。私は古典も苦手だが、英語も大苦手なので、間違っているかもしれないが、この「○○ファースト」とは、「レディーファースト」同じような使い方ということでよいのだろうか?日本語訳すると「女性優先」または「女性第一」といったところだろうか。すると「都民ファースト」は「都民第一」。「アメリカファースト」は「アメリカ第一」となる。そして、この「○○が第一」という主義は、欧州でも、中東でも声高に叫ばれ続けているような気がする。思い起こせば、欧州連合から大英国が離脱したのも、ISことイスラム匪賊が勝手し放題なのも、みんな「自分たちが第一」から始まってはいないだろうか。そうそう、そういえば元祖「○○が第一」の「国民の生活が第一」さんたちも結局は「自分の生活が第一」だったんだろうなあと、思ったりもしています。この「○○が第一」に基づいて行われる行動が、人を殺すか、国を動かすか、自分の仕事と社会的地位を守るために使われるのか。程度にもよりますが、つまるところ、みんなおんなじ心理なのだろうと思うのです。そして、この心理は、正の方向の力になりえるか?という疑問がよぎります。



 「○○が第一」には「思考停止」の罠はないか?
 いつの時代もそうだろう。わかりやすい問いには答えやすいものだ。「リンゴとみかんどっちがいい?」「おふろにする?ご飯にする?」さらに、大衆にむけて示される主張は簡単で、劇的なものに限る。「郵政民営化!」「政権交代!」しかし、もう少し過去の歴史に目をむけると、「ホントにそれでよかったか?」なんてこともあったんではなかろうか。トランプ大統領がやろうとしている強権的な「雇用の確保」は、すでに1930年代に「国民には仕事とパンを!」と声高に叫んだちょび髭がいたし。国内産業の巻き返し、公共事業への大規模投資などルーズベルトさんの手法にも似ている。前例を好例として学び生かすのは悪いことではないが、これらは、対外政策を誤れば、もろ刃の剣であることも歴史は証明済みではないのか。そういう自覚はないのか。歴史は勝者が作るものではあるが、先の勝者が、次も勝者になれるとは限らないだろう。歴史を学ぶ意義があるとすれば、まさにこういう時のためなのだろう。むろん、取り巻く環境が大きく変わっていることは、言うまでもない。しかし、人間はそう簡単には変わるものでもない。
 「○○が第一」というのは、もちろん完全悪だというわけでもない。優先順位を明確にすることは大事なことだ。しかし、では、その第一だけがよければ、すべてがよくなるのか?という疑問は常に持つべきではないだろうか。「世界が全体幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」は本当にただの理想なのだろうか。向こう岸の家の家事を見ながら、楽しい家族団欒んの焼肉が食えるだろうか。「他人の不幸は蜜の味」を本心から発して、傷まぬ良心などあるのだろうか。人間はそこまで落ちぶれなければ、悟りを開けないのだろうか。問いだせば、果てしなく続く問いが始まり、疑いだせばきりがなくなるはずだ。わかりやすさに、隠された、思考を止める罠は本当にないのか。



 田舎の生き残りも「自分が第一」では続けられない
 今、最も「自分が第一」を地でいかなければならないのは「田舎」ではないだろうか?岩手県岩泉町はもともと過疎と高齢化、人口減少が進んでいた。さまざまな手法でこれらを打破し、町としての延命を図っていた。その矢先、平成28年台風10号の豪雨による災害で、これまで整備してきた多くのインフラ、信用、モチベーションなどをすべて失った。「自分の町が第一」他の市町村は勝手にしてください。とにかく自分の町を残すんだ、他から人を入れるんだ。都会から、周りから。確かに、人口減少を抑える手段は、流入で人口を増やすのが手っ取り早い。そうなると、やっぱり「自分の町が第一」という色合いは強くなる。でも、まてまて、なんで地方の自治体が生き残るのにそんなに必死にならなきゃならないんだ?人が減って住みにくくなるんなら、みんな便利な都会に移住すればいいんだよ。そうすりゃ無駄な除雪費用も、インフラ整備もいらないじゃないか。ましてや、町の予算はそのほとんどが都会の高額納税者のおさめた税金を、地方交付税やらなんやらでもらってなんとかやりくりしているじゃないか。それでも田舎に住み続けるのは、「自分が第一」だからに他ならないのだ。
 これではダメなんだ。
 田舎者たるもの、このような批判は重々に身に引き受けて、それでも頭を下げて、税金を食いつぶしながら、やらなければならないことがる。それは、「自分が第一」ではみんなが潰れて、誰も幸せを手に入れられないことを証明することだ。日本自体が人口減少社会に入った以上、これから数多くの町や村、いずれは都市も人口が減るという人口構造に直面する。これは世界全体を見ても、いままでに経験したことのない状況だ。人口減少は現在主流の民主主義、資本主義経済社会で、本当に維持できるのか、社会が健全に維持できるのか。それも、人間が人間らしく生活し、幸せを感じながら維持できるかである。岩泉は今、まさに世界の最先端の社会構造を呈しているのだ。これを幸せに満ちた、安定的に維持される社会としたときに、世界人類は一つの大きな自信を手に入れることができるのだ。それは、来たるべきすぐ近くの未来である、人口減少社会には希望があるという、安心感だ。その先兵となり、よい前例となるべく働くことが、田舎に与えられた使命ではないだろうか。人は一人では生きてゆけない。それを認め合い、支えあうそんな未来を目指したい。そのために、田舎はもっと都会から必要とされる、場にならなければならない。いいように使われる場から、自力で成長しなければならない時が来たのだ。



 

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2 コメント

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Unknown (Mの)
2017-02-08 21:05:07
珍しくむつかしいことを考えているなぁ。
小池百合子東京都知事の「都民ファースト」は一般的にアスリートファーストのような感覚で捉えられていますが。初出は東京都の土地を朝鮮人学校に貸し出す問題で出た言葉です。そして今回の使い方では元鈴木知事時代以降の政治団体や都庁や関連団体の既得権益に対して、そうそうオリンピック委員会に対しても、彼らに金を使わせるなら都民に還元すべきだという言い方です。
さてここには、悪を設定しての2項対立の構造があります。特に初出の時の問題は、東京都が認可した学校法人なので、その思想とは別に法的に問題があると思います。
アメリカという国がアメリカファーストでなかった時はなく、クリントン大統領すらもいっている言葉です。それでは今までとどこが違うのかといえば、ネオコンからティーパーティーから現在のオルタナティブライトまで説明しなければいけないのですが、年々話が粗雑になっていっているのが特徴です。でも2項対立がここでもあります。イスラムが悪く貿易相手国が悪で、アメリカは蝕まれているといった発想です。いたるところに陰謀史観が出てきているのが特徴です。
確かにチョビ髭の方もこの2項対立を使いました。ただこの方法は複雑な世の中を単純に見せるので大衆扇動には使いやすいものの、解決法には程遠いのです。
岩泉ファーストといっても誰も動きませんよね。理由は小ささです。顔が見えるところでは複雑さは自明だし、悪の設定もしようがないからです。扇動しなくとも、顔が見えるのですから、小さく解決を積み上げてゆくのがベターだと思うぞ。
ヤマドリが畑の脇を通って、ナゾの猛禽類が飛び回る街というのは、結構ウリでしょう。
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Unknown (Mの)
2017-09-07 03:26:33
そろそろ更新しろ
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