さよなら原発市川パレード

「3.11さよなら原発市川パレード」です。
被災地復興・支援!放射能から子どもを守ろう!2018年は3/11に歩きます

宣伝のお知らせ

2014-02-03 | 実行委員会より
実行委員が関わる諸団体にお願いし、市川パレードの宣伝を便乗させていただくことにしました。
見かけたらお声をかけてください&よろしければぜひ宣伝にご参加ください。

【街頭宣伝】
2月9日(日)15:00~16:00 コルトンプラザ前 …9条の会
2月11日(火・休)16:00~17:00 市川駅北口 …被災地ネットワーク
2月19日(水) 行徳 …行徳9条の会

次回実行委員会のお知らせ

2014-02-03 | 実行委員会より
次回実行委員会は下記のとおりです。
お気軽にどしどしお越しください。

○とき:2月14日(金)18:30~
○ところ:市川公民館
(千葉県市川市鬼高1丁目1番4号 生涯学習センター内)
●交通 JR総武線市川駅北口から徒歩3分(駐車場はありません)

チラシ

2014-01-31 | 実施要項
2014年3月8日に行う「3・11さよなら原発市川パレード」のチラシが完成しました。
下記のULRからダウンロードできます。
http://firestorage.jp/download/b3d7f5d6b23bff233de77f2c4cb2b60b7647a9fb

どしどしお広げください。


第2回実行委員会の報告

2014-01-20 | 実行委員会より
【第2回3・11実行委員会の報告】
2014・1・15 18:30~ 市川公民館

■前回決まったこと
○実行委員長 石川襟子  事務局長 荒川子ほか
○開催日 3月8日(土) 集合場所 不二女子高校講堂

■今日決まったこと
○3・11の形式 参加型 忘れない 阻止しよう
○パレード  14:00~神輿、思いを書いたプラカード・ゼッケン、鳴り物、太鼓バルーン
○コース   不二女子裏から神社の境内を通り14号線を右折しにスクランブル
交差点を駅のコンコースへ向かいぐるりと回ってスクランブル交差点に戻り左折、行徳街道の交差点を左折しまっすぐ文化会館の手前(大和田小学校)の交差点を左折し、交番の交差点を左折しドンキわきを通り、本八幡駅南口で解散。

○時間 13:00~
○内容 13:00~13:15 開会挨拶等
    13:15~13:45 それぞれ自分の思いの言葉をプラカード・ゼッケンに書き、アピールする(原発の現況報告・状況説明等)
    13:45~14:00 行進の説明など、注意事項

○展示 講堂壁面に展示パネル等   展示希望者は荒川まで連絡
○宣伝    ポスター・チラシ作製 ヨシオカ
○神輿作製 トキタ・市民に広げる方法  
○成功させるために何ができるか
市川よみうり、東京新聞、赤旗、地域新聞、ケーブルテレビ、FM市川
ブログ、フェースブック
○その他、会場は靴を脱ぐため、ビニール袋を用意(不二女子他)出口は3か所
○思い思いのプラカードやアピールするものを持参ください(会場でも用意しますが)
○アピール文作成

次回事務局会議   1月22日(水)18:30 市川公民館
次回実行委員会   1月25日(土)18:30 市川公民館

【お願い】実行委員会へご参加を

2014-01-20 | 実施要項
【お願い】実行委員会へご参加を

 実行委員会はとても緩やかな会です。
「脱原発」を願う人ならどなたでも参加できます。
また、お友達を誘って見学に来られるだけでも結構です。
一回だけ参加、という方も大歓迎です。
「パレード」へのアイディアのある方、無い方。積極的な方、消極的な方。
時間的に参加できなくとも、知り合いを誘うことや、勧めることなら出来るという方。
それぞれの方の条件、状況を生かしてご一緒に歩きましょう。
 まずは、こんな風なパレードにしたいな、と・・・

メールでも、電話でも、直接公民館に来てくださっても結構です。

ぜひ、市川で、あなたの日ごろの思いをご一緒に表現しませんか。


「3・11 さよなら原発・被災地復興・支援 市川市民の会」
実行委員長 石川襟子
事務局連絡 荒川子

【呼びかけ】第3回3・11市川パレードへ

2014-01-20 | 実施要項
【呼びかけ】
第3回「3・11さよなら原発 被災地復興・支援 市川パレード」

あなたもその第一歩からご一緒に参加しませんか!

 私たちの生き方を根底から揺るがした2011年3月の東日本大震災、福島原発事故から3年近くになります。しかし、被災地の復興、原発事故処理・補償は相変わらず遅々として進まず、むしろ棄民的性格さえ帯びています。
 この間、相も変わらず東電のずさんな対応が次々と露わになり、東京電力福島第1原発の放射能汚染水問題は、さらなる深刻な事態になっています。
 しかし原発事故についての報道がメディアに取り上げられることが少なくなってきています。
 また、今国会で安倍「自・公」政権が強硬に可決した「特定秘密保護法」では、「原発」情報等も秘匿され、私たちの暮らしの平和・安全はますます脅かされるようになるのではないでしょうか。
 一方、毎週金曜日の首相官邸前での「脱原発」抗議行動は恒常的な意思表示の場となり、いまでも日本各地で多数の市民が「脱原発」の声を上げ続けています。このことは、未曽有の大震災、そして人災による原発被害から、地球の全ての命を守りたい、子どもたちが安全に育つ環境を守りたい、という切実な思いのあらわれではないでしょうか。

 今年3月には、市内のさまざまな団体・個人による「3・11さよなら原発・被災地復興・支援市川市民の会」が第2回「市川パレード」を行い、沿道からは賛同の声とともに、手を振る人たちも目立ちました。
 「3・11 さよなら原発・被災地復興・支援市川市民の会」は恒常的にこの運動を続けようと事務局を継続し、「第3回市川パレード」に向けて、改めて新しく実行委員会へのご参加をお呼びかけし、皆様と共に「パレード」の成功に向けてご一緒に考えて行動して行きたいと思います。
 風化させてはならない、東北を、フクシマを。忘れない、決して忘れさせてはならない。原発ゼロと復興支援に向けて市川市民の大きな力を結集するために、どうかあなた様にも実行委員会に参加していただきたく、お誘いのお手紙を差し上げる次第です。
2013年12月

「3・11 さよなら原発・被災地復興・支援 市川市民の会」
       実行委員長 石川襟子

「渡されたバトン」上映会開催

2013-08-05 | 実行委員会より
日本の青空Ⅲ・映画「渡されたバトン~さよなら原発~」が市川へも!

○とき:10月2日(水)10時30分、14時、19時(計3回)
○ところ:市川文化会館
○入場料:1000円
○主催:市川上映実行委員会
○連絡先:電話047-336-5311、FAX047-332-7270(千葉土建市川支部・卜部)

ぜひお越しください。

[試写会のお知らせ]
9月3日(火)
第一部10時~12時
第二部18時15分~20時15分

試写会は招待状を差し上げた方に限ります。映画終了後チケットを10枚預かっていただきます。ご希望の方は、上記へお電話ください。

[映画情報はこちら]
映画「渡されたバトン~さよなら原発~」

あらすじ(上記サイトより)

―1968年夏― 過疎化の進む人口3万人の巻町に異変が起きた。

出稼ぎ大工と行商で細々と食いつないできた角海浜地区の地価が、なぜか値上がりしはじめた。 割烹旅館「なぎさ」を経営していて情報源に事欠かない五十嵐家に、どこかの企業が角海浜に レジャーランドを開発するらしいという朗報が舞い込み期待がふくらむ。

ところが翌年6月―東北電力が巻町に原発建設を計画していると「新潟日報」がスクープ。 膨大な補助金でさびれた町が息を吹き返すと力説する議員や町職員だったが、巻町民の多くは戸惑った。原発そのものをよく理解していなかったからだ。

1971年5月、東北電力は巻原発計画を公表。何十億円もの協力金や補償金とそれに群がる推進派は、あの手この手で計画を進めはじめる。 原発に真っ向から反対したのは巻町漁協で、ほかにも「五ケ浜を守る会」「巻原発をつくらせない会」など反対運動は少しずつ広がりをみせていた。

「なぎさ」の客は町の有力者が多く原発推進派の拠点でもあったが、その五十嵐家も原発問題で揺れはじめる。長女・千草が嫁いだ蓮華寺は原発予定地の角海浜にあり、後に墓地の所有権をめぐって町と裁判になる。次女・早苗の恋人は病院の検査技師で原子力に懐疑的だ。三女・双葉は漁協に就職  した。一番下の洋一は、叔父の町議のコネで役場に就職する。 そんな中、1979年のスリーマイル島原発事故は、多くの町民を目覚めさせ反対運動に火をつけ次々に団体が結成された。だが反対派の足並みは必ずしも揃っていなかった。 五十嵐家も推進派と反対派に分裂しさらにギクシャクしていった。

そして、1986年チェルノブイリ原発事故。さらに町民の意識は、原発への拒絶反応として劇的に変化しつつあった。
反対派はたくさんのハガキ付風船をつくり、これが放射能ならどこまで飛ぶかを実験した。 巨額の協力金を投じてきた東北電力は、あきらめるわけもなく政府・財界と一体になって「原発安全 キャンペーン」で巻き返しをはじめる。 反対派は、沈黙している母親たちの気持ちを「折り鶴」で、直接佐藤町長に届けようと呼びかける。2万羽3万羽と「折り鶴運動」は加速的に広がり、驚くほどの反応になっていた。

しかし原発推進を掲げた佐藤町長が三選。地縁血縁に縛られる選挙と、原発に対する町民意識とは別物であることを思い知らされた反対派は直接民主主義の住民投票を実施しようと「住民投票を実行する会」を結成。 「自主管理」の住民投票は、阪神淡路大震災直後に行われ、推進派の圧力にもかかわらず投票率44%、その95%が原発反対票の圧勝だった。

住民の意思が明確に示されたにもかかわらず無視をきめ込む佐藤町長…

そして、25年にわたる巻町民の波乱に満ちた原発是非のドラマはいよいよ大きなヤマ場を迎えていく・・・

「忘れないで」―福島から 12

2013-05-10 | よもやま


無題

転々と避難所から避難所へ
何度も何度も繰り返し
ようやく、辿り着いた仮設住宅
四畳半一間の不自由に囲まれた、
異様な空間。
眠れない夜がつづく
苛立ちと絶望が交差する席に見えない不安
「もう、だめだ!頭が変になりそうだ!」
きのうそういっていた人が
フラフラ今日も歩いている
こんな事をこの先
何年繰り返せばいいのだろう
「頑張れ!」と言われても、
「立ち上がれ!」と言われても
「前を向け!」と言われても
どこに向かって進めばいいのだろう。
折角、震災の中を生き延びたというのに
自らの命を絶つ人が後を断たない。
そういうボクも紙一重の毎日、
そんなボクの折れそうな心を
支えてくれたのはあなたです。
日本中のあなたのはげましや支援のおかげで
辛うじてここにいます。
たすけてくれて「ありがとう!」
助けてくれる人が居るから
「すごい!」
そのやさしさがうれしい、
心強い。その感謝の気持ちを伝えるために
精一杯の強がりと
精一杯の笑顔で
「がんばります!」
「負けません!」と
差し伸べてくれたあなたの手を握りかえします。


==
12篇の詩を紹介しました。
作者は南相馬市鹿島区寺内塚合寺内塚合第二仮設自治会長の藤島昌治さんです。

「忘れないで」―福島から 11

2013-05-10 | よもやま


突然の病

地震だ!
津波が来る
原発(原子力発電所)が爆発した
逃げろ!
子供達は
家は大丈夫か?

遠のく意識
パニックを起こした、脳みそ
薄れゆく意識の中で
震災の記憶がかけめぐる

夜が過ぎ
朝が過ぎ
二日目が過ぎた
倒れたままのトイレの中で
遠くに倦怠電話の呼び出し音
「ここにいるよ」と思いながら
空しく時間が過ぎて
又、携帯の呼び出し音
焦る気持ちとは裏腹に
手が、足が
身体が動かない

又、しばらくして
「明かりがついている」と誰かの声
玄関のベルが鳴る
何度も何度も繰り返し鳴るベルの音
「助けてくれ、ボクはここに居る」
叫んでいるはずの声は
喉の奥で消えてゆく
時は容赦なく流れて
確実に近づいてくる
死の足音

外でみんなが騒いでいる
「郵便がたまっているぞ」
サッシの窓を
誰かが激しく叩いている
悲痛に叫ぶ姉の声
「きてくれてありがとう」
声をふりしぼるが届かない
姉の声が、足音が遠ざかる

それからどれだけの
時が流れたのだろう
「ガタ! ガタ! 、バリ! バリ!」と
玄関を打ち破って
入ってきた見知らぬ人
絶叫する姉の顔
普段、とりたてて
話すこともなかった
仮設住宅の人が
ボクを助けてくれた
かすかに聞こえる救急車の音
何度となく
死を覚悟しながら
助けだされたこの生命
これからどう生きたらいいのだろう

「忘れないで」―福島から 10

2013-05-10 | よもやま
3月11日 東日本大震災

何だ!
何なんだ!

地の底から、きこえてくる
はらわたを引きちぎるような
不気味な、呻き声は、

突如、大地が裂け
山が呻き
恐怖におののき
逃げ惑う人々
絶叫と悲鳴の後には
瞬く間に瓦礫の山ができた。

松林の遙か上空を越えて
猛り狂った海が
悪魔と化して、襲いかかる
船が、自動車が、家屋が、
押し流され
としよりが、子供が
津波に呑み込まれる。

チキショウ!
悔しさと行き場のない憤りが
頬を伝う。

「ドーン」
今度は何だ
数十キロも離れた
俺のところへ
背骨もきしむ、地響き
原爆が落ちた
脳裏を広島がよぎる
東京電力
福島第一原子力発電所
水素ガス
大爆発である。

逃げろ! 逃げろ!
はやく! はやく !
遠くへ! できるだけ遠くへ
見えない敵
放射能から
一目散に逃げる
一体、どこへ逃げればいいんだ

日本中を
丸ごと揺さぶる
悪魔の所業に
東北は地獄を見た

こつ! こつ! と
純朴で
ただひたむきに生きてきた
みちのくの人々が
こんな裁きを受けようとは
思いも寄らぬはずだ

だが、もう嘆くまい
鋤を手に
鍬を手に
ひたすら粘り強く
この地をきり拓いてきた
脈々と
受け継がれてきた伝統が
我々にはある。

負けてたまるか!
負けてなるものか!
            (手を差し伸べてくれたせべ手の人々に深く感謝)
            平成二十三年三月 東日本大震災 原発避難民