3月22日、最後の実行委員会を開催しました。
そこで共有した総括を紹介します。来年に活かしたいと思います。
■参加者300人、会場カンパ102912円
【2012年】
10・29 2013年の「3・11」パレードに対する呼び掛け文を「3・11さよなら原発・被災地復興・支援」をすすめる市川市民有志」名で、2012年度実行委員会に参加した方々に発送
11・21 上記呼び掛け文で参集した方々の第一回会議において、2013年のパレード開催を決定 16人参加
12・20 第一回実行委員会 19人参加 事務局員14名を決める
【2013年】
01・11 第一回事務局会議
01・16 第二回実行委員会 18人参加
01・26 第二回事務局会議
01・31 第三回実行委員会19人参加
02・07 第三回事務局会議
02・12 第四回実行委員会 12人参加
02・21 第四回事務局会議
03・02 第五回実行委員会
03・06 第六回実行委員会・事務局合同会議 16人参加
03・22 第七回実行委員会最終報告会
■正式名称
「第二回3・11さよなら原発・被災地復興・支援 市川パレード」
■場所・大洲防災公園 日時 3月10日 ブース開場11:00 集会開会13:30 パレード14:00
■宣伝方法
【駅頭宣伝】 法華経寺門前二回 市川駅北口四回 本八幡北口二回
【チラシ配布】 団体、その他個人で自宅周辺に配布
【ポスター張出】 100か所?
【ラジオ】 エフエム市川放送 3月3日から3月9日まで日に一日5回放送
【マスコミ】 赤旗・市川よみうり・ちばマリオン・千葉日報に案内掲載
東京新聞 翌日報道される
【インターネット】 ブログ・ツイッター・フェースブック・関連サイトへのリンクのお願い
■ブース感想
●「写真・パネル展」
写真を展示できたことで「開催目的」がより明確になった。被災地と市川との一体感が深まったのでは。被災地の写真展示は今後も続けて欲しい。写真の枚数、形状など直前まで分からず、展示方法が決められなかった。机上展示が前々日に分かり安心。公開できる写真や情報を日ごろから収集し、ストックしていればもっと深まった展示に出来たのでは。(被災者支援ネットに相談すればよかった後悔)予想外の強風で30分早く撤収したのが残念。広場が見渡せ一体感が持てる会議室なので有効に利用出来るのでは。
●『しゃべり場』
《第1部》11時~11時45分・15、6名参加
☆自己紹介☆さよなら原発に参加した思い
《第2部》12時~12時45分・7、8名参加☆原発、被災地2年たって思うこと☆忘れないためにどうしたらいいか等交流しました。
「家族がバラバラになりいつ帰れるかもわからない。不安である」(福島から避難しているAさん)「あまり関心なかったけど原発を学ぶ機会があり、今日も参加し原発をなくしてほしいという思いが強くなった」(Bさん)「茨城県が実家。震災以後帰ってない。親が作ったお米をいらないというのが切なかった」(Cさん)「私自身何をしたらいいのかと考えていたけど土建に入り、パレードに参加した。忘れないのが大事ではないか?」(Dさん)「義援金が最近集まらない。初心に戻りたい」(Eさん)
☆参加したみんなの思いは原発をなくしてほしいということでした。また、声を上げ続けること、心をよせるために全国各地で集会、デモが行われ、インターネットで繋がる大事さも交流しました。
●「風船」
研究の結果、自転車の空気入れが使えたので、30~40分で完成したようにおもいます。今回風船がめだたないように思いましたので、次回からはデモの出発直前に、出口で一人ずつ渡そうかとおもいました。
●「防災公園説明案内」
当初人が集まらないのでは、と内心不安はあったが呼びかけてみると意外にも50人も集まり驚きました。市内の人は意外と災害等について気にかけているんだなと認識を新たにしました。歌の広場は急きょ設定しました。合唱団のメンバーが中心で歌ったが、しゃべり場との時間調整が課題かも知れない。次回があるのなら、最初から実行委員をだしてもらいちゃんとした計画でやれば人も集まると思います。ブースの時間が少し長かったかも知れません。
●ウェブツールでの取り組み
ウェブでの宣伝は以下の3種類。開設は全て1月下旬。
1)ブログ「さよなら原発市川パレード」、2)ツイッター「さよなら原発市川パレード」@311ichikaw、3)フェイスブック 「イベント」欄を立ち上げ。
●司会
集会が始まると間もなく空模様がおかしくなり大変な砂塵と共に強い風が吹き荒れる空模様の中でも参加者の皆さんが、たじろぎもせず集会の進行にご協力いただき真剣に聞き入ってくださったことに大変感動し感謝の気持ちでいっぱいでした。同時にこれは、皆様の集会への気持ちの表れとして嬉しく受け止めました。また、集会が時間どうりに運んだことにほっとしました。
●健康ブースのまとめ
相談者 20名以上(途中で測定記録用紙がなくなり、数が不明)
感想 血圧と体脂肪チェックを行いながら健康相談を実施したが、2時間で20名ほどが訪れてくれた。健康相談だけでなく、内部被曝の話も出来ればよかったが準備できなかったことが残念。
●お弁当他
お巡りさんの声がうるさくて(大きくて)私たちのスピーカーの声が全然聞こえなかった。(できればピーピー程度にしてほしい)。一般の人たちから何の「デモ」か分かるように「平和行進」の時のように、前に「宣伝カー」を入れたほうがいいのでは。(私たちはパレードと言っているのに、警察はデモと言っていた)。第一グループはほとんど「コール」をしなかったので、しまりがない感じだったので、「子供を放射能から守ろう」などの呼びかけの「コール」したほうがいい。「みんなで歩こう」などの呼びかけの「コール」をしたらどうか。パレードのルートは前回のほうがよかった。集会の演台が低すぎて誰がどこで話しているのかわかりずらかった。福島の写真はとてもよかった。一年に一回ではなく小規模でもいいので何回か実施できないか。もっと「市民に知らせる」行動をすることが大切では。もっと若い人が実行委員会に入って来れるように工夫を。11時からの企画に一考を。若いママさんの発言がよかった。おにぎりがおいしかった。楽しかった。
●放射線量説明
被曝・汚染の認識が市民に少ないのに驚いた。
●*ブースの時間が長すぎた、一考を。しかし新しい試みとしてよかった。*沿道に人が少なくコースに一考。*集会での訴えの方法に一考(中央舞台としての設置、舞台上でのパフォーマンスなど)
★これからどうするか
*「3・11さよなら原発・被災地復興・支援市川パレード」を第三回として来年も開催する。
*「実行委員会」は継続する。
*実行委員長・事務局長・事務局は第三回のパレードへの引継ぎまで継続する。
*第三回に向けて、9月頃に最初の呼びかけを行い、新たな体制を決める。
*ブログ・ツイッター・フェースブックには常時、地域での脱原発の行動情報を寄せて更新する。
*アピール文を実行委員会名で市長宛に送付する。
そこで共有した総括を紹介します。来年に活かしたいと思います。
■参加者300人、会場カンパ102912円
【2012年】
10・29 2013年の「3・11」パレードに対する呼び掛け文を「3・11さよなら原発・被災地復興・支援」をすすめる市川市民有志」名で、2012年度実行委員会に参加した方々に発送
11・21 上記呼び掛け文で参集した方々の第一回会議において、2013年のパレード開催を決定 16人参加
12・20 第一回実行委員会 19人参加 事務局員14名を決める
【2013年】
01・11 第一回事務局会議
01・16 第二回実行委員会 18人参加
01・26 第二回事務局会議
01・31 第三回実行委員会19人参加
02・07 第三回事務局会議
02・12 第四回実行委員会 12人参加
02・21 第四回事務局会議
03・02 第五回実行委員会
03・06 第六回実行委員会・事務局合同会議 16人参加
03・22 第七回実行委員会最終報告会
■正式名称
「第二回3・11さよなら原発・被災地復興・支援 市川パレード」
■場所・大洲防災公園 日時 3月10日 ブース開場11:00 集会開会13:30 パレード14:00
■宣伝方法
【駅頭宣伝】 法華経寺門前二回 市川駅北口四回 本八幡北口二回
【チラシ配布】 団体、その他個人で自宅周辺に配布
【ポスター張出】 100か所?
【ラジオ】 エフエム市川放送 3月3日から3月9日まで日に一日5回放送
【マスコミ】 赤旗・市川よみうり・ちばマリオン・千葉日報に案内掲載
東京新聞 翌日報道される
【インターネット】 ブログ・ツイッター・フェースブック・関連サイトへのリンクのお願い
■ブース感想
●「写真・パネル展」
写真を展示できたことで「開催目的」がより明確になった。被災地と市川との一体感が深まったのでは。被災地の写真展示は今後も続けて欲しい。写真の枚数、形状など直前まで分からず、展示方法が決められなかった。机上展示が前々日に分かり安心。公開できる写真や情報を日ごろから収集し、ストックしていればもっと深まった展示に出来たのでは。(被災者支援ネットに相談すればよかった後悔)予想外の強風で30分早く撤収したのが残念。広場が見渡せ一体感が持てる会議室なので有効に利用出来るのでは。
●『しゃべり場』
《第1部》11時~11時45分・15、6名参加
☆自己紹介☆さよなら原発に参加した思い
《第2部》12時~12時45分・7、8名参加☆原発、被災地2年たって思うこと☆忘れないためにどうしたらいいか等交流しました。
「家族がバラバラになりいつ帰れるかもわからない。不安である」(福島から避難しているAさん)「あまり関心なかったけど原発を学ぶ機会があり、今日も参加し原発をなくしてほしいという思いが強くなった」(Bさん)「茨城県が実家。震災以後帰ってない。親が作ったお米をいらないというのが切なかった」(Cさん)「私自身何をしたらいいのかと考えていたけど土建に入り、パレードに参加した。忘れないのが大事ではないか?」(Dさん)「義援金が最近集まらない。初心に戻りたい」(Eさん)
☆参加したみんなの思いは原発をなくしてほしいということでした。また、声を上げ続けること、心をよせるために全国各地で集会、デモが行われ、インターネットで繋がる大事さも交流しました。
●「風船」
研究の結果、自転車の空気入れが使えたので、30~40分で完成したようにおもいます。今回風船がめだたないように思いましたので、次回からはデモの出発直前に、出口で一人ずつ渡そうかとおもいました。
●「防災公園説明案内」
当初人が集まらないのでは、と内心不安はあったが呼びかけてみると意外にも50人も集まり驚きました。市内の人は意外と災害等について気にかけているんだなと認識を新たにしました。歌の広場は急きょ設定しました。合唱団のメンバーが中心で歌ったが、しゃべり場との時間調整が課題かも知れない。次回があるのなら、最初から実行委員をだしてもらいちゃんとした計画でやれば人も集まると思います。ブースの時間が少し長かったかも知れません。
●ウェブツールでの取り組み
ウェブでの宣伝は以下の3種類。開設は全て1月下旬。
1)ブログ「さよなら原発市川パレード」、2)ツイッター「さよなら原発市川パレード」@311ichikaw、3)フェイスブック 「イベント」欄を立ち上げ。
●司会
集会が始まると間もなく空模様がおかしくなり大変な砂塵と共に強い風が吹き荒れる空模様の中でも参加者の皆さんが、たじろぎもせず集会の進行にご協力いただき真剣に聞き入ってくださったことに大変感動し感謝の気持ちでいっぱいでした。同時にこれは、皆様の集会への気持ちの表れとして嬉しく受け止めました。また、集会が時間どうりに運んだことにほっとしました。
●健康ブースのまとめ
相談者 20名以上(途中で測定記録用紙がなくなり、数が不明)
感想 血圧と体脂肪チェックを行いながら健康相談を実施したが、2時間で20名ほどが訪れてくれた。健康相談だけでなく、内部被曝の話も出来ればよかったが準備できなかったことが残念。
●お弁当他
お巡りさんの声がうるさくて(大きくて)私たちのスピーカーの声が全然聞こえなかった。(できればピーピー程度にしてほしい)。一般の人たちから何の「デモ」か分かるように「平和行進」の時のように、前に「宣伝カー」を入れたほうがいいのでは。(私たちはパレードと言っているのに、警察はデモと言っていた)。第一グループはほとんど「コール」をしなかったので、しまりがない感じだったので、「子供を放射能から守ろう」などの呼びかけの「コール」したほうがいい。「みんなで歩こう」などの呼びかけの「コール」をしたらどうか。パレードのルートは前回のほうがよかった。集会の演台が低すぎて誰がどこで話しているのかわかりずらかった。福島の写真はとてもよかった。一年に一回ではなく小規模でもいいので何回か実施できないか。もっと「市民に知らせる」行動をすることが大切では。もっと若い人が実行委員会に入って来れるように工夫を。11時からの企画に一考を。若いママさんの発言がよかった。おにぎりがおいしかった。楽しかった。
●放射線量説明
被曝・汚染の認識が市民に少ないのに驚いた。
●*ブースの時間が長すぎた、一考を。しかし新しい試みとしてよかった。*沿道に人が少なくコースに一考。*集会での訴えの方法に一考(中央舞台としての設置、舞台上でのパフォーマンスなど)
★これからどうするか
*「3・11さよなら原発・被災地復興・支援市川パレード」を第三回として来年も開催する。
*「実行委員会」は継続する。
*実行委員長・事務局長・事務局は第三回のパレードへの引継ぎまで継続する。
*第三回に向けて、9月頃に最初の呼びかけを行い、新たな体制を決める。
*ブログ・ツイッター・フェースブックには常時、地域での脱原発の行動情報を寄せて更新する。
*アピール文を実行委員会名で市長宛に送付する。