
読み終えた後、思わず林芙美子の系図を検索したくなります。それほど、どこまでが史実で作り話なのか分からなくなるぐらい、事実とフィクションが入り交じり、これは事実ではないかといつまでも疑念を消すことはできません。本当に力量のある作家さんだと今さらながら驚かされました。読後感にざらざらとした後味の悪さを感じるのでもう読まないと思うのに、何故か新刊が出るたびに気になる作家さんでした。『女神記』以来好きになりましたが、この作品でいっそうファンになりました。(当作品は2年前にすでに上梓されているのに、すっかり失念していたのです)
戦中戦後を放浪した作家・林芙美子の小説の一節を引用した印象的なタイトル『ナニカアル』は、桐野夏生さんが林芙美子の人生の空白部分を膨大な資料をもとに想像して書かれた小説です。
昭和十七年、南方への命懸けの渡航、そこで彼女が見たものは?そして、愛した人とは? 南方を舞台にした激しい愛のゆくえは…?とかく奔放な女性として語られる林芙美子ですが、桐野さんは愛を持って彼女を描いています。
戦中、作家たちが「ペン部隊」として戦地に赴いた事実、また新聞社や出版社の情報収集争いの様子もわかり、戦争という抗い難い力の只中において「伝える」仕事がどうあったのか…というのも興味深く読めます。
故郷の桜島に林芙美子の文学碑があります。そこには「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」と刻んでありますが、原典は短編詩の一部を抜粋したもので、続きがあると知ったのは大人になってからでした。
「風も吹くなり雲も光るなり」ー、この2行があるのとないのとでは随分違ってきます。
以下は原文のまま
戦中戦後を放浪した作家・林芙美子の小説の一節を引用した印象的なタイトル『ナニカアル』は、桐野夏生さんが林芙美子の人生の空白部分を膨大な資料をもとに想像して書かれた小説です。
昭和十七年、南方への命懸けの渡航、そこで彼女が見たものは?そして、愛した人とは? 南方を舞台にした激しい愛のゆくえは…?とかく奔放な女性として語られる林芙美子ですが、桐野さんは愛を持って彼女を描いています。
戦中、作家たちが「ペン部隊」として戦地に赴いた事実、また新聞社や出版社の情報収集争いの様子もわかり、戦争という抗い難い力の只中において「伝える」仕事がどうあったのか…というのも興味深く読めます。
故郷の桜島に林芙美子の文学碑があります。そこには「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」と刻んでありますが、原典は短編詩の一部を抜粋したもので、続きがあると知ったのは大人になってからでした。
「風も吹くなり雲も光るなり」ー、この2行があるのとないのとでは随分違ってきます。
以下は原文のまま
風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鴎のごとく
漂渺(縹渺)とたヾよい
生きている幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鴎のごとく
漂渺(縹渺)とたヾよい
生きている幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
「花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき」って演歌調でくさい文句だと思っていました。
「…多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」ならかなり共感できます。
ありがとう!
この詩、「ナニカアル」に載っていましたか?
まったく覚えてないんだけれど。
まったく覚えてないんだけれど。
全然、触れてないからご安心を
中学生の頃桜島へ一日遠足で渡った折、文学少女で小説家を夢見ていた私は、歌碑の前で記念撮影しました。セーラー服を着たセピア色の写真が1枚あります。
その時以来「花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき」が、ずっと気になっていました。
2回目に渡航したのが24歳頃だったかな?
その時いろいろ調べてみたら、ブログに書いたようなことが分かり、少しほっとしました。
芙美子さんは、色紙に2タイプで書いていたみたいです。晩年は花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき」が多かったみたい
今から、七つ星の買出しなのではしょりました。ごめんねぇ~。