そらまめ~楽しみのかけら探し

源助地蔵祭~人柱の伝説

      松江大橋の南詰めに源助公園があります。

松江大橋が架けられた慶長13年(1608年)に 
人柱として、
大橋川に 雑賀町の足軽 源助が 生き埋めにされたと聞いたのは、幼い頃でした。
    「もしかして、この橋の柱の下に源助さんが?」と恐る恐る渡ったものです。

現在の橋は、17代目 昭和12年(1937年)に作られたもの。
    先だっての 朝ドラ「だんだん」の主人公が、学校に通う橋としても、登場。

松江は、大橋川によって二つに分断され、橋によってのみ、北と南に移動できるのです。

以前は、大橋、新大橋、そして、くにびき大橋、しんじこ大橋が加わり、更に現在、第五大橋が、建設中です。
    たびたび水害によって松江の街が、浸水するため、大橋川岸の改修工事も検討され、
    現在の松江大橋も 架け替えられる日も 来るのかもしれません。

この記事を書く前に ちょっとネットで調べると、

源助地蔵祭は、毎年8月23.24日に 大橋南詰め近くの 龍覚寺で行われてる事が判りました。
    このお寺に2体の地蔵様が、祀られています。
    (地蔵祭の時は、寺から 公園に地蔵様を移し、法要、御詠歌などの供養がなされます。)

このお寺は、「望江月山龍覚寺」とも 言われています。

松江大橋は、藩主堀尾吉晴公が、月山富田城(安来の足立美術館近く)から、

    今の 殿町の亀田山に 移城する際、資材の運搬用に作られたといわれ、
    それ故、寺の名に、月山から、松江を望むという文字が、入ってるのかも知れません。

 源助人柱の話も 伝説とも云われてるのですが、

    橋がなくては、城にも 行き来が難しく、
    橋の完成の 有り難さが、庶民の心に焼き付き、
    源助地蔵祭が、行われている 要因となっている と思われます。

さて、龍覚寺には、私の祖父母のお墓があり、
    年に 何度となくお参りに来て、法事の時には、地蔵様に お目にかかっているはずなのに、
    全く気付きませんでした。

母によれば、水を汲む処からも 本堂にある地蔵様を 見ることが出来るそうです。
    今度、母と共に寺に行った時、そっと拝みたいと考えています。

松江の歴史は、深く、身近にあっても 気が付かないことばかりと、
    歳はとっても未熟な自分を発見し 恥じ入る思いです。

生まれ育った松江に訪れる人が増えるように松江紹介。
日々、手編みやガーデニングを楽しんでいる。

最新の画像もっと見る

最近の「松江散歩」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事