極私的映画論+α

+αは・・・日記です(^^;
最近はすっかり+αばかりになってしまいました(笑)

青春のうた 75 1970年代中期 23

2008-12-12 21:28:09 | 青春のうた
 今号の「青春のうた」は1970年代中期。この「青春のうた」では以前も書きましたが、1960年代後期、1970年代前中後期、1980年代前期の5ブロックに別れていますが、この1970年代中期が一番たくさん出ているんですね。今号で23号目・・・138曲紹介されているので、中期を4年と考えても、各年35曲位の量になります。すでに450曲紹介されてきましたが、いったいいつまで出るんだろう(笑)

 本誌の記事は1975年について書かれていました。私は中学三年生(笑)山陽新幹線の全線開通の記事がTOPですが、わが町を走る山陽新幹線にはやはり子どものころから思い入れがあって・・・今までに数回しか乗ったことはないんだけど(笑)

 小学校の校舎から見えるんですね。1972年に新大阪⇔岡山間が開通しましたが、だんだんできてくる高架や試験的に走る黄色い車両を見るたびにワクワクしたものでした。私が最初に利用したのは1977年の高校の修学旅行で九州へ行ったときなんですが、実は同い年の嫁は開業した1975年に中学の修学旅行で北九州へ行ったらしいです。それはそれでうらやましい話ですが、2年後の高校修学旅行でも同じルートだったことを思えば、可哀想だなぁって気もしないではありませんが(笑)

 開通当時、東京⇔博多間は6時間56分かかっていましたが、今は4時間50分と2時間も短縮しているそうです。

 ってことで今号の6曲のご紹介。



 
 ★夢であえたら 1976年3月 吉田美奈子

私はシリア・ポールのヴァージョンで聞いたことがありますし、のちにラッツ&スターもカバーして大ヒットしたのはおなじみですが、実はこのオリジナルともいうべき吉田美奈子ヴァージョンは今回初めて聞きました。本誌によるともともとこの曲はアン・ルイスのために作られたらしいです。それにしても大瀧詠一は寡作だけど、いい歌をつくるよなぁ・・・1984年の「イーチタイム」から25年アルバム出ていないんですけど(笑)


 ★ただお前がいい 1975年10月 中村雅俊

 4thシングルで大ヒットした「俺たちの旅」のB面ですが、同名TVドラマのエンディング曲でもありました。「俺たちの旅」といえば、カースケ、オメダ、グズ六なんですが・・・。もちろん同世代の人ならだれが誰を演じてたかがお分かりかと(笑)っていいながら・・・私はほとんど見てないんだけど(笑)


 ★河内のオッサンの唄 1976年8月 ミス花子

 言語って生き物なんですね。今から30年程前には確かに私の周りでも「われ」なんて言葉はよく聞きましたが・・・もちろん本場の河内では決して下品な言葉ではないんですが、それが「なにぬかしとるねん、われ」って感じでどうしても怖いセリフに使われがちでした。大阪では先日もここに書いたように「二人称」として「自分」って言葉を使いますが、この「われ」って言葉も「二人称」なんですね。 しかし・・・「自分」って言葉もそうなんですが、「われ」って言葉も私の回りではあまり聞かれなくなりました。ふと考えたら、「今私は面と向かって話している相手のことをどう呼んでいるんだろう?」なんて考えてます。
 関西では「ごきぶり」のことをかつて「あぶらむし」って呼んでいました。いまでももちろん「あぶらむし」って呼ぶ人もいるんでしょうが、1970年代初期までは確実に「あぶらむし」だったわけで・・・っていうのも「あのねのね」の「赤とんぼの唄」は1973年1月の発売なんですが「赤とんぼ 羽を取ったら あぶらむし」って歌詞なんですね。そしてその1973年に「ごきぶりホイホイ」が発売されて、関西から一気にゴキブリのことをさす「あぶらむし」って単語はなくなってしまいました。
 私の世代くらいまでの多くの関西の子ども達は小学校低学年の頃に「テントウムシ」と「アブラムシ(アリマキ)」の関係を理科で習ったときに「このアブラムシとあのアブラムシは違うんだぁ」って思いをしたと思います。

 あ・・・この記事は「河内のオッサンの唄」についてだっけ?(笑)


 ★追伸 1974年10月 グレープ

 さだまさしファンの私にとっては、「精霊流し」と同じくらい好きな歌です。「撫子」「芙蓉」「鴎外」などの固有名詞がとても新鮮な感じを与えてくれました。
 ただ・・・さだまさし本人もギャグでよく話していますが、「私髪を切りました」ってのはなんて怖い女なんだろうってことです(笑)


 ★想い出ぼろぼろ 1976年9月 内藤やす子

 ブルース演歌っていうかロック演歌っていうか、この「想い出ぼろぼろ」はすごくかっこいいって印象を受けました。もちろん作詞作曲が阿木宇崎夫婦だったことと、やはり内藤やす子の「ただものではない」って感じがよかったんだろうなぁ・・・ この歌は斜に構えてガン飛ばしながら歌ってたのがすごくかっこよかったです。


 ★故郷未だ忘れ難く 1973年9月 海援隊

「母に捧げるバラード」の次のシングルなんですが、まったく売れなかったそうです。しかし、彼らの本質は後の「贈る言葉」や「思えば遠くへ来たもんだ」「人として」などにも見られますが、もちろん「あんたが大将」「JODAN JODAN」のラインのほうが私は好きだったりします(笑)

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