出歩く重症者、コロナドライバー突然死事故が示すもの
2021/09/13 07:00 JBpress
8月30日朝7時、信号待ちをしていた1台の自動車が、突然の異変に巻き込まれました。後ろの軽自動車が、アイドリング状態のまま衝突してきたのです。
追突された運転者は車を降りて、状況を確認しに行きますが、後ろの軽自動車のドライバーはハンドルに突っ伏したまま動きがありません。
運転していた50代の男性が、新型コロナウイルス感染症で突然死していたのです。
警察が駆けつけた時点では、すでに心肺停止の状態になっていたそうです。追突された側のドライバーやお巡りさんも、車の接触だけでなく、ウイルスの接触感染を検査する事態になってしまった。
悪夢のような話ですが、愛知県東海市の県道で、2021年8月30日、現実に発生した事故、事件にほかなりません。
新型コロナウイルス感染症は、患者を増やしすぎてしまい「自宅療養」が当たり前のようになりつつありますが、それがどのようなリスクを含む事態であるのか、科学の目で冷静にとらえてみたいと思います。
多様化する「20分急変」と「二重の罠」
今回の「東海市ドライバー症状急変事故」は、2020年12月の羽田雄一郎参議院議員のケースが「偏在化」しつつある現実を切り取っていると分析すべきものです。
羽田雄一郎議員の場合は、まず発熱があり、いったん収まったように見え、在宅で様子を見たのち、医療機関に移動する途中の一般車両、後部座席で症状が「急変」したものでした。
こうした症例が増え、直前まで「普通に」話していた人が、生命にかかわる状態に「急変」するという、今回コロナの特徴が「約20分程度」の恐るべき速さであることも、臨床的に確認されてきました。
東海市の事故、今後の捜査や調査の結果が公表されるかは、個人情報でもあり定かでありませんが、患者さん自身、肺炎の症状にあまり気づいていなかった可能性があります。
つまり朝7時、仕事に出るため自分で軽自動車を運転して家を出ている。そして運転中に「容態急変」、信号待ちしている間に心肺停止。ここまで「激変」するという現実を突きつける例は、かつて報道の前例がないように思われます。
突然、病魔に首を絞められるようにして息ができなくなって絶命に至る。しかし、その直前まで患者本人には自覚症状がない。
こうした状態が発生するのには、二重の罠というべき病理と社会のメカニズムが働いていることを指摘せねばなりません。
第1は「ハッピー・ハイポキシア」=幸運な低酸素症と呼ばれる、新型コロナウイルス感染症、特にコロナ肺炎に特徴的な症状が挙げられます。
自分で運転して、朝車で家を出られる程度に患者本人が気づかない。しかし、この状況をさらに複雑なものにしているのが、増えすぎた感染者のため一般化している「自宅療養」の状況です。
家族が新型コロナに罹患して、自宅で寝込んでいる状態を考えてみましょう。
特段の防疫装備のない一般家庭では、家族内に感染が広がって何の不思議もない。実際、2021年8月現在、一番多いのは「家庭内感染」になっています。
家庭で最も大変なのは、例えば、寝込んでいるおじいちゃんあるいはおばあちゃんのはず。ところが、それだけではなかった。
気づかれることなく「家庭内感染」していたお父さんとかお母さんが、自覚症状のないまま肺炎に罹り、そのまま普通に社会に出て働いているケースなどが構造的に頻発しうる状況を、この事故ははっきりと示しているわけです。
新型コロナウイルス感染症を社会的な観点から捉えるとき、この状況は日本社会が新たなリスク局面に踏み込みつつあることを示しています。
出歩く重症者
本来、感染症に罹患している人は、社会から隔離されねばなりません。隔離する先は病院などの施設です。
しかし日本の新型コロナウイルス感染症は、すでに病院の収容キャパシティを超えて患者を増やしてしまった。
これははっきり、防疫体制がなっていなかったからだと言わねばなりません。
さらにここで「自宅療養」という、明記しますが「誤った」あるいは「法に抵触する可能性の高い」感染者の社会内「留置」が認められてしまったこと。
これは、日本社会が「専門家」として、もっぱら「臨床医」に危機管理判断を任せたことで発生している懸念を指摘せねばなりません。
「病院が崩壊してしまったら大変だ」。確かにその通りです。
しかし、「治療しない酸素ステーション」とか「往診で様子を見る自宅療養」だといった、おそらく選挙前を念頭においての、よさげに聞こえるけれど実は穴だらけの対策しか施されていないのが大問題、と指摘する必要があります。
2021年感染爆発に入って以降にとられた対策は、基本的に「罹患者を社会に残したまま」にするという、伝染病対策の1の1にもとる状況です。
20分で容態急変してしまうのですから、一刻も早く「普通の診療」に戻さねばなりません。
「自宅療養」と言われるものの実態が、およそ凄まじい、阿鼻叫喚に近いものを含むことは、すでに報道され始めているとおりです。
独居高齢者の「自宅療養」例では、生ごみが片づけられず、あろうことか「吐瀉物が床に散らかったまま(https://www.asahi.com/articles/ASP835QJDP7ZPTIL04W.html)寝込んでいる、十分に重体といっていい老患者を、看護師や社会福祉士など有資格者の数少ない訪問介護者がサポートしているというのですが・・・。
訪問は数日に一度、その間吐瀉物は床に散らかったままで、発症者が吐いたものですから、当然ながら感染源となる危険性が高い。
そうした劣悪な状況に置かれた「独居」の環境が、仮に隣室との気密が高くないアパートの一室であれば何が起きるか?
集合住宅全体が「クラスター」化しても何の不思議もありません。
また、そこで居住する人の中に「ハッピーハイポキシア」、自覚症状が低いまま普通に社会に働きに出る人が出るようになれば、文字通り「市中感染・制御不能」な状況に陥ってしまう。
以下は非常に低く見積もられた数字と思いますが、2021年の1月から6月までの半年間「自宅療養」で亡くなった新型コロナウイルス感染症患者は84人との報道があります(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210803/k10013178931000.html)。
これに対して、同じニュースソースでは、直後の7月だけで31人が容態急変などで亡くなったとの続報(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210810/k10013193661000.html)があります。
6か月で84人つまり1か月平均14人の感染であったものが、7月すなわち「第5波感染爆発前」だけで31人、2倍以上に増えている。
8月以降、桁違いに多い数字となることは、すでに個別の報道例からも明らかに見て取れます。
なぜ、在宅死が激増したのか?
「自宅療養」が公認状態になってしまったからです。感染者の自宅留置が、直ちに「家庭内感染」の直接の原因となっているのです。
さらに「無自覚な感染者」「自覚症状の薄い<重症者>が社会に出歩き続ける」という、一番あってはならない形の「市中感染」増大の状況を構造的に作り出している。
コロナという病気の性質から、いつ呼吸困難になっても不思議でないという「重症直前」の患者が、一見すると元気で、自覚症状もなく、車を運転して、朝、見かけ上は元気に家を出ることすらできるようになっている事実に社会はもっと留意すべきです。
行政も、保険医や基礎医を含む医学・医療・公衆衛生関係者も、政治家も、この現実をきちんと直視し、まともな対策を間に合うタイミングで打ち出さねばなりません。
東海市で運転中に突然死された50代男性のドライバーの方の場合、確認してみると、肺に正常に機能する部分がほぼ残っていなかったと報じられています(https://news.yahoo.co.jp/articles/0ad4e6e63d9ea37dd47420dd2eebeeaa0561f7f8)。
本当に「重症」でも、自覚症状なく、自宅療養どころか、出歩いて仕事ができてしまう、車を運転して出勤できてしまう「見かけ上の軽症性」「表面的な弱毒性」と「容態急変」による突然死というギャップが、今後、社会的に広がってしまうと、この病気の一番恐ろしい特徴になる懸念が高いことを、東海市の事故・症例は強く示しています。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、50代男性といえば、筆者自身と変わらない年配でもあり、およそ他人事とは思われません。
新型コロナウイルス感染症に関する基本的なリテラシーを早急に引き上げ、事態の収束を図る緊急施策が必要不可欠な状況であることを指摘する必要があります。
(伊東 乾)
新型コロナウイルス 2021年 看護師 介護 社会福祉士
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