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その店は『今この時にも』営業していた。
皆、『自粛』勧告に従い、おとなしく・我慢して『自宅待機』して、経済不安の毎日を過ごしていたと言う最中なのに。
そこは、『軍艦マーチ』に代表される音楽を掛けていて、
『チンジャラ、チンジャラ』と周囲の雑音を絶えず耳にして、
声を出しても隣の人にも聴こえない。
それで、もっと大きな声を張り上げて叫んでも聴こえないほどの場所。
その店の発祥の地は名古屋からだと言われている。
その店は、戦時中にもやっていた。
やがて、地方にまでその店のグループ店は進出し、
元々、人口の少ない田舎にまで手を拡げた。
結果、その田舎に在住の1人の主婦が、毎日そこへ出入りするようになり、家庭にいるより、その店で見掛ける方が多くなったと専らの田舎町の噂話にまで拡がった。
その主婦は、見掛けも変わり、田舎の主婦ではなく、都会のマダムみたいな服で通い詰めたと言う。
後で、『時期尚早』と言われたが、その只1つだけのそのお店は、やがて『店じまい』になった。
そのお店の絶対支持人口が少ないからだ。
やがてそのお店は、敷地には草が生え出て、その建物さえも覆い隠していったのだ。
その田舎に初進出した店は瞑れたのだ。
その主婦も、田舎から1人どこかへと消えて行ったと言う。
家庭も1つ崩壊したのだ。
昔のある有名な歌手の歌にある言葉を思い出させた話と合い通じるモノがこの物語にはある。
『おら、こんな村、やだ。』
『町さ行くだ』。
そうして、あちこちに大都会が出来上がった。
『三密』。
これは、日本が分析した今回の新型コロナウイルスが特に発生し易い『ハイリスク罹患ゾーン』の重なる場所・場合・状況を纏めた表現のことである。
この話に登場したそのあるお店もこの『ハイリスク罹患ゾーン』の要件を満たしている。
・空気の悪い密閉された空間。
・隣との距離が確保されていない密接空間。
・互いに手の届く距離にある空間での場所共有。
日本の他者の分析によるとこの『三密』は次の表現でも表された。
・ムンムン。
・ガヤガヤ。
・ワイワイ。
これは、『擬音効果』による『三密』の別表現である。
このあるお店も、『自粛勧告』が2週間前に出されても、何ら改善・縮小もすることも無く、
その間、
ずっとそこで
開店していた
とのことが報じられた。
日本存続の危惧・懸念。
このまま行けば日本は、何もかも破綻する!
日本政府は外国とは体制が違うから、
他国の様には『緊急事態宣言』を告げられない。
例え、
はき違えた『自由』、
見誤った『自由』と言われようが、
戦争『放棄』国としての日本は『自由』を原爆2発の替わりに買い取った。
未だに世界文化・歴史遺産の広島と長崎を誇る日本が
戦後人口を新しいリベラルな人たちに置き換わったとしても、
その『自由』が無ければ、何も言えない、何も行えない、何の自由も無い。
他国を真似せよと主張したいのだろうか?
他国における『自由?』。
他国に目を向ければその国の『自由』の程度が判る筈だと思う。
自分の手で造った新築の家も明日に成れば、突然、ブルトーザーが来て壁を壊しても文句の言えない国が良いと言えるのか?
その代償や補償金など貰える筈も無い国が良いと言うのか?
貧しい人は家を持てず、家が無ければ結婚条件も無い国で、町へ働きに出ても職業斡旋所で次の言葉の結果が『否』と分かっていても、それを訊かれた相手にこう受け答えせざるを得ないのだ。
『あなたの出身地はどこですか?』
『はい、田舎の***です。』
『地方出身地の方ですね。』
『はい。』
『都会地であなたは就職出来ません。お帰りください。』
日本人は自由が分からない不自由な国民である。
日本は、職業選択の自由、住居選択の自由、身分により差別されない法的な『自由』を得た。
生まれつき日本に生まれ育ったそうした後の世代の人には、
生来の『生得権』がある人だからこそ分からない
『自由』が分からない『不自由』というものなのだろう。
過去の尊い沢山の命を爆弾の下で犠牲にしていても
今日の世代は『自由』を弁えない。
『権利』は議論では得られない。
どんなに皆が集まって声をあげようが
どんなに実力行使をして叫ぼうが、
『権利の為の闘争』と言われているように、
沢山の尊い命の代償を支払わないと分からない人たちがいる
ことは確かだ。
彼らの中には『分けも分からず』ただ、叫んでいる輩がいる。
そうした『日和見者』の声の方が大きくなるとき、
この日本から今ある『自由』がやがて失われていくのだ。
さて、この『自粛勧告』を2ヶ月間も『無視』して自由に営業してきた結果はどうなるだろう?
『三密』を充たすそのお店に対して強制力を発揮するために、法律に定められなければ、根拠も無い。
法治国家の手続きに手間が掛かっても、そうして立案、審議、可決、公布、発効となる条件を満たさなければならないのが戦後の法律だ。
その法律が出来れば、勧告に従わなければ国家の認められた権限により、『営業差止め』の紙が入り口に貼られることになる。
その貼紙を勝手に剥がすことも、
中の大切な物を取り出すことも、
全てが違法行為となる。
つまり、そうした人自身の犯罪が積み重なっていくことになるのだ。
そうしたことがもし、『嫌』であれば、
そう感じた時以降は法的な手順に従い、
その『自粛勧告』から更に後に出された『命令』に従うことしか手段はないのだ。
そうして、法的な手続きを経て所有権と所有物を返して貰えば良いだけのことだ。
皆、その他の人たちはそれをしたくないから、忍耐・辛抱・我慢の『自粛』勧告に従ってきたのだ。
つまり、法律を無視してまで
自分だけ儲けよう
とは考えなかったのだ。
これが、『日本の心』なのだと思っているし、これからもそうなることを信じたい。
日本人アイデンティティがあるからだ。
日本人は『ダラダラ』な国民ではないのだ。
それは、知らない輩のホンの一部の人たちがやってるだけのことだ。
それを
『即、全体の日本人』は!
と偏見と差別で見れる。
そう言う極論が日本の職業には他にも多く見受けられる。
これは、新型コロナウイルスの世界的にも、国内的にも蔓延している現実の日本の中で、
『敵はコロナ』と、
それに従わないお店との『理解の闘い』であり、
『相違する理解の違い』についての活きた国民教材となる。
それは、どこにズレの始まりがあり、
違ったクロスポイントはどこにあるのだろう?
興味をもって事の進展を見守りたいものと言える。
#今までの産業形態と構築した価値観の社会構造そのものが根底から揺らぐ時。
#目に見えない敵。
by Kuma.
Shanxi's blog.24 April 2020.
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#『三密』を避けることは命と自由と家庭を守ること。
しかし、昨日、ニュース報道がなされていました。
2ヶ月間ずっと従わず『三密』の中、自分だけが儲けようと思って来たお店があったのです。
ここは、罹患者培養場、罹患のゆりかごとなっていたのでは無いでしょうか?
法律審議がなされ、強制力が発揮されることになりました。
それに従うか従わないかの段階となったのです。
『1枚の紙切れ』には力があります。
それは、過去にもあり、誰でも分かる筈です。
日本の罹患率は日に日に増大している社会構造があります。
一万人を遥かに越えてしまいました。
たった80%も達成出来ない日本に真の自由など存在するのでしょうか?
それは、他者の家庭も命も、やがて社会全体の存在さえも、今、脅かしているのです。
取り返しがつかないことを、自分だけは儲けようとする人がいるのです。
沢山の人々が涙を忍び我慢、忍耐、辛抱をしていても、一握りの輩の為に。
『海ならコロナは大丈夫!』
と考えた若者がサーフィンをしにきたとのこと。
連休には来ませんから、とか、コンビニには寄りませんから。
と答えていたとのこと。
海の店の店主は『サーフィン自粛してください!』
と貼紙を看板に書いてだしたとのこと。
何処かのサーフィンの有名な場所で、
そこの市長がニュースでこう言っていました。
『ここに来ないでください!』
『自粛』と言っても、自分だけは大丈夫!と何処へでも出掛けて行く人々が後に残すものは何でしょうか?
・草むらには空き缶やゴミ。
・食べた後の食べかす。
・新型コロナウイルスの飛沫。
さて、五月の連休に成りました。
まだその時になってもコロナウイルスの感染が残っていたらそのお店はどうなりますか?
・その海の家は『閉店』!
それ以外に手はありません。
さて、誰に責任があったと言えますか?
『自粛』(じしゅく)とは、自分が考える『自分だけは大丈夫!』のことではありません。
そのサーフィンにあなたが最初から来ないと言うことが自粛の意味です。
そうやって、大好きな海の家が一軒も無かったらどうしますか?
トイレに行きたく成りました。
コンビニもやっていません。
そこで、またあなたは『自分だけは大丈夫!』と都合よく考えてサーフ抱えて海の中に入り、そこで『用足し』をしようとするのですか?
魚が汚染されます。