#こどもの日#消えた過去#消えた思い出#消えない喜び#160.
©️Words by Shanxi(394).
#こどもたちよ。
野原で野球をしていて、
ボールがどこかへ飛んで行ってしまい、
探しても探しても、
見つからなかった時、
あんなにみんなで一緒に探してても
結局見つからなかった時、
どうする?
見つからないボールの事なんか忘れて、
大きなホームランのことだけを考えるとするか?
それも、良いだろう。
それから、一年して、
野原で1つのあるものを見つけたんだ。
それは、去年あんなに探しても見つからなかった『あのボール』だった。
無くしたボールを偶然見つけなければ、
無くしたことも、
探したことも、
打ったホームランのことも、
全て忘れていたのだ。
全てはたった1つのボールで繋がっていた。
そのボールはもう傷んでいた。
太いマジックで書いたイニシャルの文字が消えかかっていた。
『K』の文字が読み取れた。
間違いない。
それはボクのイニシャルだから、
ボクがマジックで書いたから、
全てを思い出せる。
色あせて、傷んでいても、記憶だけは色あせない。
⚾️#無くした『ボール』。
失われた思い出。💬
ぼくたちは失くした。
野球大会も。
卒業式も。
修学旅行も。
涙だけが残った。
親たちは、もっと失くしたものが多かったと言う。
青春そのモノも失くなったと言う。
どう言うこと?
戦争で。
オリンピックも。
家族も、恋人も、友達の命も。
小さな赤ちゃんも。
全て失くしたと言う。
津波で、地震で。
だから、それを思って我慢しろ!
と言われた。
コロナを。
全て人間を上回るモノには勝てっこない。
打ちのめされただけでなく。
人間であることにも
ボクたちは自信が欠けてきた。
💬#『失われたモノ』。
『ある日突然』。
ボクたちは大きくなった。
しかし、ボクたちが私たちになろうとも、
『ある日突然』と言う言葉には弱い。
何の予告も無く。
予告して来たなら尚更だろうけど。
ましてや、もし、予告も無く来たとしたら。
ボクは、そいつと戦いたい。
『ボクの全てを返せ!』
と大声で向かって行きたい。
例え、犬死になったとしても。
例え、ムダだとわかっていても。
ボクたちは戦わずにはいられないんだ。
我慢することは、受けいれたこと。
受け入れたことは、敗けを認めたこと。
戦わないで負けたのか?
何もせずに、ただ負けたのか?
不条理って、そんなに強いのか?
非情って、そんなに強いのか?
ボクは、認めたくない。
それを認めたら、
ボクの命は?
ボクの命は!
#『戦いと闘い』。
ボクは忙しくなった。
忙しいことは全てを忘れていられる。
何と素敵なことなんだろう。
スペアが1つしかないから、
エネルギーが捌けられないんだ。
たくさんのスペアがあれば、それだけに気を取られていない。
人生は短い。
くよくよしてるより、
自分の信じられるモノを追い求めることの方が
ずっと良い。
それが、残れば
人生の生き甲斐になる。
#生き甲斐。
©️Words by Shanxi(394).
05 May 2020.
ごめん、今、急がしいんだ。
悪いけどかまっていられない。
またにしてくれる?
悪いね。
ごめんよ。
また来てね。
こちらが行けば、相手がそのように言い、
相手が来たら来たで、こちらが忙しい。
これって、『トーン』が合わないこと。
波長が合わないこと。
『440』にオーケストラはみな楽器を合わせると言う。
それ以外だと、楽器が合わせられない。
中途半端な周波数だと言われるからだ。
処が、人間の発する言葉も全て『周波数』だとフランスのわたしの大好きな先生が論文をソルボンヌ大学に書いて出した。
博士号も取った。
その後の時代、仲の悪かったイギリスの学者がそれを科学的に検証したと言うのだ。
検証しなくても、元々、言語は周波数に変わりはない。
人間は後になると検証してみたいものなのだ。
立派に証明されましたと述べた。
当たり前だろ!
だから博士号を既に取れているのだからだ。
処が、わたしは『440』以外の人間の言葉の周波数はちょっきりではないこと、
そのちぐはぐな周波数が治療に役立つと言うことも知ってしまった。
それを今度は他の人が検証していることを、
わたしはそれも知ってしまった。
何のことなのか、サッパリと思う方は、
『言語は周波数』で調べて見るとよい。
『言葉の壁』。
その問題は、そこに問題の原因と乗り越えるコツが有った。
既にその先生が論文の中で述べたことを後になるとまた再検証して、応用して利用している。
今から何百年前のことの理論の正しさを後の時代の人々が利用している。
今、子供であるとしても、
あっと言う間に時間は過ぎていきますよ。
わたしもついこの間までは、小学生の1年生でした。
記憶があるから、確かです。
それが、地球が廻っているから年を取るんです。
もうわたしは何万日も生きてしまいました。
一年は365日。
それをあなたの年齢に掛けてください。
お父さんやお母さん、
おじいちゃんやおばあちゃんの年齢に掛けて見てください。
算数の勉強を電子計算機でやれば簡単に分かります。
そうやって、わたしはもう何万日も生きてしまったのです。
生きた化石だなんて言わないでね。
生きたシーラカンスだなんて、こどもの頃に聴きました。
『人は何で歳を取るんだろう?』
学者は『老化現象!』と答えるでしょう。
それより、もっと答えは簡単。
『地球が廻っているから』です。
止まったら、時間も止まります。
時間が止まれば、時計も電車もバスも飛行機もみんな困ったり、事故が起きたりします。
地球がもし、万が一反対に廻り出したなら、君もボクもみんな過去に帰って赤ちゃんになれるだろうか?
そして、反対回りの地球が止まらなかったなら、
赤ちゃんよりももっと前にまで行ってしまい、存在も無くなるかも。
さて、どちらが良いのだろうか?
考えても結論は出ないと思います。
過去行きの時間を体験したことが無いし、過去に行けば悪いことが無いとも限りません。
地球内にも時間差があり、宇宙に出たらそれで、また時間が有りすぎです。
何万光年、何百光年、何千光年。
何億光年。
そんな時にそれを見ていられる命はまだどこの世界にもありません。
地球時間には『今』時間しか無いのだと思います。
今、しなければ、いつ、物事が為し遂げられるのでしょう。
これを『こどもの日』にあなたたちに今日送ります。
来てくれてありがとう。
でも、そんなに無理することないよ。