#みんなのブログ#楽器の日#164 #古典楽器の製作と音鳴らし #by Shanxi.
『楽器の日』?
今日6月6日は『楽器の日』だと言われています。
6歳で6月6日にお稽古ごと、習い事を始めると上達するとの言い伝えから来ているそうですよ。
詳しくは、『楽器の日』と言葉を入れてお調べくださいね。
いろいろ出てきて、お勉強になりますね。^^
#わたしと楽器。
そう言えば。
何年間か前のこと。
寒い冬の日の頃。
あることを思い付いた。
それで、自分の市の図書館に行った。
それは、古典楽器のことを調べる為だった。
その楽器は、あの有名な『大英博物館』にさえ無いと言う代物。
となると、どうすれば良いのか?
一冊その関係の著書があった。
今はどんな本でも図書館同士の相互信頼による貸し出しお取り寄せ制度があることも知った。
研究資料の『カンファレンス』制度は前から存在していた。
今回は自分で探せたが、そのお目当ての本が大きな町でないと無いとの事でした。
それで、帯出日数は短くなるものの何とか借りることが出来た。
この図書館同士の信頼相互貸し出し制度のおかげです。
本当にありがとうございました。
大英博物館にも無いと言うその代物は、その本の中には書いてあった。
その著書はアメリカ人の学者先生、つまり英語版の図書だった。
それほどの貴重な図書になると必ず翻訳者がおり、翻訳して下さったのは『郡司すみ』さんと言う女性の学者でした。
ありがたい!
これで自分の知りたいことが調べられる。
その『代物』は、今から何千年も前の古典楽器。
その製作者は、当時のエンターテイメントの人物。
作曲、作詞、歌唱(詠唱)、楽団指揮者、その楽器を自ら数多く手作りした。
楽団の代表者の名前には、『エドトン』とか『ヘマン』とか呼ばれていたらしい。
その当時には勿論、カメラもビデオなどの記録媒体など当然あるはずは無い。
しかし、人間に与えられた3つの賜物の1つである、『音楽』の才能は当時の人も知っておりフルに発揮してそうした音楽生活を楽しんでいたことを知りうる。
調べて知れば知るほど、わたしの内面にあること柄への情熱が沸いてきた。
よし、自分で再現して作って見るか!
そうして、寒い真冬にわたしはその『代物』を手作りし始めてしまったのです。
楽器の元となる素材を調達。
専門の楽器なのでは無い。
マホガニーだとか、サクラでないととかは考えもしない。
そんな拘りよりは先ずは再現することだ。
わたしの頭の中にその代物となる楽器の青写真は出来ている。
細かい小さなモノよりは先ずは大きなモノを作って見ることが先決なのです。
木を刻み、加工し、細工するためには、わたしには作業場もアトリエも無い。
ある場所は、自分の玄関を出た直ぐの邪魔にならない所しかない。
つまり、外はまだ真冬だから寒いのです。
直ぐに手が悴んでくる。
その度に、持参したお湯に手を入れて温める。
お湯の温もりが、わたしへの無言の励ましとなる。
そして、その代物となる古典楽器の外観は徐々に形を現していく。
最初何も無い『空』なるところから、自分の頭の中にしか無い図書館で見た本の中の青写真しか無いのです。
形は大きなモノになったけれど、
一応出来上がったのだ。
第二の難関。
その古典楽器は『弦』のいる所謂、弦楽器の類い。
その後それは、形を変えて、ハープ、チェンバロ、そしてピアノと変わっていく。
つまり、わたしの作りたかったその古典楽器の代物自体に、音を半音上げたり下げたりするための、ギターの様なペグ自体が無いのだ。
三味線、胡弓、三心、バンジョウなどの共通点は何か?
弦の高さ低さを変えるための、ペグが有ることだ。
それは、弦をただ押さえて止めているだけの存在だけでは無いのです。
では、どうやって、ペグ無しのその古典楽器の代物は音を変えたのだろう?
わたしは、少し調査に出向いた。
ほとんどの楽器にはその楽器の販売は普段置いてないとのこと。
お取り寄せすれば、今でも手にはいると言う。
実際に、わたしの知り合いの方のお友だちは有るところでその代物を買ったと言う。
世界にはわたしと同じ趣味や趣向の方がおられることも知った。
その人は、作るより買うことでご自分の願望を叶えたタイプの人らしい。
わたしは、少し違ったタイプです。
自分で作り、自分で再現してみたいのです。
処が、です。
完全再現は現代に置いては無理かも知れない限界があることに気づいたのでした。
ペグが無ければ、弦にテンションが掛からない。
そうすると、音が満足したモノが出ない。
テニスのガットはかなり弦が強いテンションが掛けてある。
どうやら、下の弦を通す部分は藤やプラスティック製であっても、高いテンションのためには、器械締めをするそうだ。
では、何千年前のその古典楽器の作者はどうやってテンションをかけたのだろう?
そこには、わたしたちがキリキリと圧を掛けていく他にも秘訣が有ったのだ。
つまり、弦そのものの素材です。
その古典楽器の弦は、羊やヤギの腸を捻って1本の弦にしたとのこと。
腸は綺麗に洗い、適度に乾かして行く。
どこまでテンションを掛けても良いかを知っていなければ、簡単に引けば良いわけでは無いのです。
そして、その古典楽器に腸から作られた弦を張り、当時の弦楽器を作りあげたのです。
加えて、音調の違うものを幾つも幾つも丁寧に作りあげ、沢山の人々にその楽器を提供したのです。
つまり、そこまでその古典楽器とそれを使用して自分がエンターテイメントをすることがその人の生き甲斐だったのです。
その人の職業は更に他にもありました。
エンターテイメントだけの人ではありません。
自分の愛する者を守る為の軍人、勇者でした。
自分の信じる者の存在を他の人に知らしめる証明者でもありました。
沢山の兵士を治める軍隊の長でもありました。
野戦で夜に夜空を眺め、その友だちとその古典楽器を使い歌ったのです。
戦場に人を和ませる細やかな音楽のプレゼントをしたのです。
日本でもいます。
戦場で花を愛で、茶を勤しむ心を忘れない気持ちをその別人も行いました。
いつしか時代が経過すると、心にゆとりを無くした現代が今は有ります。
歪んだ所に心の安らぎを求めていたことをニュースから私たちは知るのです。
その人を支配しているのは生い立ちでも環境でも周りの力だけでもないのです。
その人が、それよりずっと前から何を大切にして、何を追い求めていたのかの方が重要です。
それさえ、見つかれば、周りが変わろうが、自分の中には支えがあり、それが自分を
いつでも
どんなときでも
どこでも守ってくれているのだと思います。
そうして、わたしの再現版古典楽器は何とか寒い真冬を越えて、3月に完成しました。
音楽好きなわたしの友だちたちと演奏会がありました。
わたしは、その手作り楽器を持参してそれに手に掛けて弦を弾いて見ました。
音が出ました。
それは『10弦の琴』です。
わたしが予期していないことも、その後、起きたことを知りました。
友だちが写真のフラッシュを焚いてくれたのです。
後から、一枚の写真が幾日かしてからわたしに渡されました。
そのわたしのお手製の古典楽器は現代のネック無しのギターほどもある大きさの物と成りました。
それから、わたしはそこの場所から移転しました。
その時、折角作りあげたその再現した古典楽器も友だちから友だちへと渡り、わたしの知らない所へと行きました。
わたしの住みかはスペースが狭いのです。
キーボード2台も、天体望遠鏡セットも1基、子供の頃からのギターも1台、泣く泣く処分しました。
今は、他の楽器にまだ囲まれています。
そして、何より音が出た再現古典楽器の記憶もわたしの頭の中にはあるのです。
再現したことの無い人には聴こえてこないあの弦の音色。
それは、今でもわたしの耳に喜びの音を奏でて残っています。
©️06 June 2020.Story/Shanxi(394)#164.
#古典楽器の製作と音鳴らし #by Shanxi.
作者のあとがき。
*このお話に登場する『十弦の琴』とはあの有名なダビデが製作した竪琴のことです。
ダビデより前の方々も竪琴を弾いていましたが、『九弦』の竪琴でした。
その前は八弦のようです。
この古典楽器の生い立ちを詳しくお知りになりたい方は図書館で、『古典楽器の生い立ち』でお調べください。翻訳者は郡司すみさんです。
著者はアメリカの方で、音楽史を調べて教会の絵画から、そのダビデの竪琴を調べあげておられます。
添付資料豊富で、英語の出典も記されており、学術的に評価が高い著書です。
もし、ダビデの竪琴にも当時、ペグが有れば、多分、現代の大英博物館にも現存して残っていたのかも知れません。
そのペグ自体が後代に出現するもので、今さら、どうしようも無い話ではあるかも知れません。
しかし、そのダビデの竪琴の古典楽器の命は、そのペグにも一因があったように、わたしは作ってみてそのように感じました。