10センチ以下博物館(断捨離の果てに) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

65歳定年時代に早期退職した男の片付け日記。
整理してしまう前に記録として残しておきます。

機械的に買うこと 主観を排すること

2009年05月06日 09時10分22秒 | 競馬
「機械的に買う」という表現が、出目みたいでイヤだという人がいるかも知れない。
主観を排して、何が予想だという人もいるかも知れない。
鉄道マニアと同様に、競馬ファンにもいろいろなタイプはいるだろう。
馬券の的中を望まない人はいないと思うが、回収率にこだわりなしという、特定の対象への応援団、若しくは競馬ロマン派は、主観抜きには成立しないのは事実だ。
ただ、的中率と回収率を望むのであれば、当然のことながら、自分の予想法の的中率と回収率の把握は必要不可欠の筈。
双方の率に対して根拠のない予想は、どんなに精査されていたとしても場渡り的と言われてもしょうがない。
すごい予想だ。でもそれってどの程度の確率で当たるの?



例えば、全く何も見ないで予想をする人はいないので、何某かの情報源なり参考にするものは必ずあるはず。
そういう意味では、機械的でも主観的でもそう変わりはない。
問題は、そうする根拠があるのかないのかと言うこと。
単純に、このデータなら的中率、回収率ともに○○%という検証結果でも悪くはない。
その検証過程を考えれば、根拠たり得るかも知れないからだ。
ただ、欲を言えば、何故そうなのかを別の視点で語れるのなら尚更いいとは思う。
何らかの情報だけで終わるのではなく、その機械的に出された結論を、一度スイッチを切り替えてみて、別の方向からどうしてそうなったのかを考える。
例えば、もう一度馬柱を見るなど。
率が良いだけでなく、語れる部分があるのなら、その予想法は更に信頼できる可能性はある。
競馬だけではなく、どんなことでも、慣例的にやるのではなく、1度立ち止まって何故そうなるのかを考えることは、楽しいことだし、自分にとって実にもなる。


(応援団やロマン派の方すみません。でも否定ではないのでご理解を。むしろ、楽しんでいる方々は、私みたいなタイプには非常に羨ましいのです。)


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