ソウル駆け足
20年振りかくらいに、ソウルに行って来た。突然に決まった話なのでバタバタと1週間ほど前に飛行機とホテルを手配、行きのフライトは午前便にしたかったのでキャンセル待ちで、最終的に決まったのは出発の3日前。御陰でエコノミー料金でビジネス席という、たった2時間のフライトだけどラッキー。ビジネスは昔一度オーバー・ブッキングの御陰で香港まで往復したけれど、飛行機代の方がツアー料金より多分遙かに高いと言う代物。やはり2倍くらいの金を出せば良いモノですねー。
さて、ソウルは緯度的には東北並だが、気温的には北海道並で寒さを覚悟しただが、幸いまだ暖かかったのか、オンドルの時期にはまだ早いらしく、話しに聞くガスボイラーの騒音など体感する事はできなかった。ソウルの街中は銀杏の並木が多く、落葉盛ん。落ち葉掃除が大変そう。
行きと帰りに免税店に寄らなくてはならないけれど完全フリーの旅行。この免税店を省くと4000円也が必要。ガイドブックと磁石を頼りに巡った。磁石はこの前イギリスに行ったときに最後のロンドンのフリータイムの時に一緒になった人が旅慣れているらしく、「ビル街の歩きには必携」と言うのを流石と思ったのです。何故なら実はその前日ホテルは歩いてロンドン塔まで10分くらいの所だったのだが、夕方だったので90度方向を間違え、結局、いつまで経ってもたどり着けず、随分近くでタクシーに乗るはめになると言うアホな経験からである。御陰で裏道などもトボトボ歩けておもしろかったのですが、どうもやはり地図と現況はビルの谷間にはいると一致しないモノ。しかし、結局ボイラー類など一向に見あたらず、今回は騒音的に問題にするような事は何もなし。うろついた御陰で全然行く気のなかった日本のおばさん達がたむろする冬ソナ撮影地などにも行き当たりましたが。
何せ少ない時間(2泊3日)でソウル近辺を自力(電車、タクシー、歩き)でできるだけ回ろうという予定。
ホテル(ロッテホテルソウル。一度泊まってみたかった)に到着後、直ぐさま景福宮(キョンボックン)での衛兵の交代式に間に合うようにタクシーを飛ばす。横から入ったらしく反対の方を見ている内に時間は過ぎ、交代式は終わりの方を少し観ただけ。これは全部で2時間もかかるそうで全部観るのも大変なので、これで良かったのかも知れない。
そうこうするうちに夕食の時間になったので、ホテルで予約した石坡廊 (ソッパランへ向かう。ここで、タクシーを拾おうとしたが、空車のはずのタクシーがちっとも停まらない。何故なんだろうと良く見ると、前の席の運転手の横に人が乗っている。そう言えば、韓国のタクシーの客は前の席に座り運転手とお話をするとどこかのサイトに書いてあったのを思い出した。開店時間前に着いてしまったが、開店時間前には入れてくれなかった。日が落ちて旧に寒くなった。待つこと30分、開店したが店にはまだ誰も客はいなかった。韓定食なるモノをとにかく一度食べてみたかった。それなりにリッチで日本人にも馴染む。日本の懐石料理ですね。一応ソウルでトップ並の料理が1万円以下なら納得すべきでしょう。ここは日本語が通じるので非常に助かる。
その後はNANTA劇場「貞洞A&C」へ駆けつける。これはこれで良かったけれど、韓流にいくなら隣のコリアハウス(ハングゲチッ)の方が良かったかもしれない。ホテルの近くの路上売店でコーラを買って帰る。80円。冷蔵庫のは500円。
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朝はホテルの近くのマクドナルドみたいなところでコーヒーとパンの朝食。何せホテルの朝食は4千円と高い。そそくさとソウルから電車で1時間の大長今テーマパークへ。駅からタクシーで私の近辺のような田園&里山的な所を30分くらい走る。後で、送り迎えだけのガイドが言うには、そこらはゴルフ場とラブホテルの多い所だそうだ。
パークであるが、セットはセット。ワザワザ来ることもなかったかも。氷が張っていて、テレビでもいつも息が白かったはずだ。ここで、ウオンが無くなっている事に気付く。駅前で換金すれば良いと思っていたが、駅前に戻って幾ら捜しても銀行らしきモノがない。うろつくことしばし。結局駅員に英語が通じて、数百メートル離れた銀行で換金するまでに1時間以上かかってしまった。郊外の駅前には銀行はないものらしい。
ここから韓国の長城と言われる水原華城まで、ソウルを突っ切って電車で2時間。ソウルの地下鉄は結構乗り継ぎが大変で、同じ線なのにあるところから行く先が異なっていたらしく、方向違いの方へ行ってしまい、引き返すのに時間が掛かり予定が随分遅れた。現地の人も地下鉄の路線図と睨めっこしている人が結構いたのでやはり面倒なものらしい。東京の地下鉄を思い出せばよい。
ソウルの地下鉄でビックリしたのは、車両の中を色々な物売りや募金活動をする人が非常にしばしば出没することである。まず、大きな声で、車両の真ん中で商品の能書きや募金の主旨を述べる。最初は何事かとビックリしたが、慣れれば暇つぶしにはなったがいつもこれでは敵わないだろうな。中には大きなラジカセを引きずってCDをガンガン鳴らし売っているのには参った。
ソウルのホテルは歯ブラシがないのを知らなかったので、思わず歯ブラシを買ってしまった。100円。ソウルのホテルには「歯ブラシ、歯磨きチューブが無い!」。釜山にはあったような気がするが? とにかく旅行する人は忘れずに。ホテルの部屋で買うと500円! ついでに、ショッピング袋は基本的には全て有料。黙っていてくれるのは免税店くらい。
結局、目的地に着いたら、既に午後3時近く。駅デパで揚げたてのハンペンらしきモノを買ってほおばる。駅を出ると日本語の通じる案内所があり、そこで聞けば、既に韓国民俗村(ハングクミンソクチョン)へ行くのは無理とのことで、水原華城(スウォンファソン)だけを回ることにした。
歩けば最低でも2時間半かかるとのこと。無理かと思いきや、行ってみたら有り難いことに一周20分のトロッコがあった(ガイドブックには出ていなかった)。降りてから歩いていたら暗くなってきたので、夕食はガイドブックに載っていたカルビ店へ。客が一人もいなかった。1人前3千円位。帰る時には客は10人くらいになっていた。
ソウルへ着いたら午後9時くらいになっていた。明洞駅で降りた。街はとても夜とは思えない賑わい。化粧品、アクセサリー、靴、鞄などの店が続き女性にはこたえられない街であろう。事実街を歩いているのは女性がほとんどであった。ホテルの方角を地図と磁石で調べて歩いた。隣のデパートの電飾が綺麗だった。疲れた。
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翌日もホテルの近くでコーヒーとパンの朝食。
昌徳宮(チャンドックン)のツアーに間に合うように出かけた。ここはガイド付きのツアーでしか見られない。敷地的に奥が深い。1時間以上は歩いたと思う。奥の方では樹齢1000年(?)の木にリスが登っていた。日本で言えば皇居のようなモノ。
地図上では隣が宗廟(チョンミョ)なので歩いたのが大間違い。裏から入れば直ぐなのだが、表からしか入ることができず、回るのに結構時間が掛かった。裏通りではキムチ作りが盛んであった。ここは伊勢神宮のようなモノ。
ここから歩いて、お昼はアワビのお粥。続いて近くの、三清洞・北村(サムチョンドン・プッチョン)のお散歩。非常に雰囲気の良い街。
更に、今年中は入場料無料という国立中央博物館へと思ったのだが、残念ながら、もはや時間切れ。一応免税店もとロッテの免税店をうろつく。ブランド品に興味のない男にとっては食指を動かすモノはない。ロッテが創業50年記念とかで最高価格のキムチと明太子を半額で売っていたので買った。
デパートの家電売り場にあった、2槽式洗濯機風のキムチ専用冷蔵庫が非常に印象的であった。疲れた。キムチは家で食べたら今一であった。
帰りの空港までの間40代の女性ガイドと話したが、まだ学校で漢字を習った世代であったが、子供が学校へ入ってから日本語を習いガイドになったとのこと。韓国人にとって子供の教育は「命」だそうだ。週に5日は塾通い。子供の英語は3歳から。金のことを考えると子供は一人しか産めないとのこと。3人以上の子持ちはリッチさの証拠とか。
教育熱は日本の20年くらい前を彷彿とさせるが、子育て環境は今の日本と同じで大変らしい。何れにしても教育が荒廃している日本は教育で負けるはずだ。それにしても、日韓の近代史をよく勉強している。学校で学習するのか聞くのを忘れてしまった。近現代史をほとんど学習しない日本の歴史教育とは随分違う。
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ヘルニア
と言うことで、とにかく良く歩いたらしく、戻ってから1週間以上経っても左足の膝から腿にかけて痛いので、これは医者に行くしかないかなと思っていたところ、実にタイミング良く知り合いで長い間「足が痛い、痛い」と言っていた人が、MRI検査で足の骨の癌であることが判明。足を切るか、保険のきかない千葉の放射線医学総合研究所(放医研)で数百万円かけて放射線治療をするかと言うことになり、千葉の方へ行くことになった。
私の父は肉腫で片足を切っているので、急に非常に心配になり直ぐさま医者に行った。「多分座骨神経痛でしょう」ということで、それを確認するために初めてMRIをやることになった。あのドームの中での轟音は酷すぎる。
結果、ヘルニアから来る神経痛と言うことで落着した。「それで治療法は?」と聞いたら、「何もない。医学はまだそこまで進歩していないですよ。ヘルニアと判るようになっただけでも大いなる進歩です。医学が出来ることなどたかが知れています」と言う極めて謙虚なお話。昨今では専門家のこういった頼りないような話しの方がむしろ信用できる。
診断が下った後、一段と腰が痛くなり、しばらく原始的なロボットの様な動きをしていた。