「麒麟がくる」最終回は、過去の戦国大河ドラマの中でも秀逸だった。
最終回で、これまでの登場人物(目障りだった望月東庵、駒、伊呂波太夫、菊丸を含めて)を使い、「義経、チンギス・ハーン説」のようなエピソードを加えることで、視聴者に「思いがけない夢」を持たせるという斬新な形で、物語をまとめ上げた。
拍手喝采。
コロナ禍の重苦しい一年間。私たちとともに、走り抜いた大河ドラマを、本当に、素晴らしい形で、締めくくってくれた。心から感謝申し上げたい。
織田信長は、ヨーロッパよりも早く、「絶対君主制」を目指していたリーダーだったのではないか。「絶対君主制」、君主が統治の全権力を持ち、自由にその権力を行使する政体。彼が、生きていたら、どのような日本になっていたのだろうか。
おそらく、戦国時代の我が国で、信長が、目指していた「絶対君主制」というイデオロギーを、理解していた者は、いなかったのではないか。
信長は、天皇や足利将軍、宗教といった既存勢力「エスタブリッシュメント」を否定し、叩き潰さなければ、「大きな国」は、創れないと考えていたのだろう。
一方、光秀は、当時の様々な価値観からすれば、「エスタブリッシュメント」の一員。そんな彼には、信長の目指す「絶対君主制」などというものは、理解し難いものだったのではないか。
革命児、信長と、守旧派の光秀とでは、イデオロギー的に、相容れなかった。ただ、そうした、二人のイデオロギーの相違も、「天下布武」に邁進している間は、さして大きな障害にはならなかったのだろう。
しかし、「天下布武」という目標を、間近に見通せるようになると、それまで気にならなかった、イデオロギーの相違が、二人にとって、許容しがたい、大きな障害となったのではないか。
残念だが、明智光秀は、織田信長という「麒麟」を、自らの手で葬ってしまったのかもしれない。