美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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闘いではなく共生

2020年04月24日 08時47分47秒 | 日記
闘いではなく共生



新型ウィルスの発生は、自然環境の激変とも考えられます。

日本人は自然と「共生」してきた民族

西洋のように自然までも支配するといった考え方ではなく、

人も自然の一部として受け入れる文化をもっています。




芸術を愛するフランス人の働くこと、トラバーユ【travail:仏】は痛み、労苦、苦悩を意味します。

フランス人の社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは日本人の仕事に対する考え方、特に地方の民芸、職人の創造性のある仕事に興味を持ち

日本の仕事をtravailと訳せないと語っていました。




日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために芸術があります。意思、意図、意識、意味を見いだせる芸術。生き続けている意が様々なものたちを救ってきました。創造性は芸術世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮すると考えています。




世界の中で、日本人は絵が上手い民族。

日本文学も俳句もビジュアル的な言語。

生け花も茶道もビジュアル的な文化。

日本の文化は映像文化。

日本人はビジュアル人間。

ビジュアルを巧みに操る民族。




だから日本アニメや漫画は世界から支持されています。

そのDNAをもっと日々の生活、教育や仕事に活かせるのです。




こんな時だからこそ

紙の上をペンで自由に動き回ってみてください。

驚くほど心が開かれて脳がスッキリします。

直線や曲線を描くだけでいいんです。

こんな時だからこそ、

絵を描いて伸びやかな世界を感じてください。







絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。

絵の描き方を習うということは、

じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。

よく観て繰り返し絵を描くことで、本当のことに気づいていけます。




芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、

凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。

また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは

空、樹木、人間、花、動物がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか

自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。

絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。




普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。

絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。




絵を描くことで、知らなかったことに気づくので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。




読み書きを学ぶ国語の授業は、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。

数学も歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も

絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。




絵が描けないのではなく、描く楽しさを忘れているだけ。

子供の頃、漫画や落書きでワクワクしていたことを思い出して絵を描けば、子供の頃のように創造力が湧いてきて、再び成長を続けます。



戦いではなく共生

2020年04月19日 10時41分10秒 | 日記
戦いではなく共生


疲弊する心に、活力と開放感を与えられる芸術

文化は、贅沢とは違う。

文化は人生に必要不可欠なもので

ビルに例えると窓や灯り、屋上のようなもの。

生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても

窓や灯り、屋上のないビルの中で生活していると人は

閉塞感にさいなまれ、人生が貧しく荒んだものになってしまう。

https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00282/00013/


日常に隠れている奇跡を発信する。

日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために芸術がある。

意思、意図、意識、意味を見いだせる芸術。

生き続けている意が様々なものたちを救ってきた。

強い思いがあって大切なことに気づき、掘り当てた情報の新鮮な組み合わせで、不快が快に変わる新しい価値を生み出してきた芸術がある。

価値返還や創造性は芸術世界だけではなく、繰り返される日常、実生活の中でこそ

その効用を発揮する。





『アート思考の基本レッスン』

2020年03月26日 23時44分15秒 | 日記
『アート思考の基本レッスン』

アートの基本は「思考の具現化」。
絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。
絵の描き方を習うということは、
じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。
よく観て繰り返し絵を描くことで、本当のことに気づいていけます。

芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。
また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは
空、樹木、人間、花、動物がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか
自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。
絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。











読み書きを学ぶ国語の授業は、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。
数学も歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も
絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。

普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。
絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。
絵を描くことで、知らなかったことに気づくので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。

世界の中で、日本人は絵が上手い民族。
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。
生け花も茶道もビジュアル的な文化。
日本の文化は映像文化。
日本人はビジュアル人間。
ビジュアルを巧みに操る民族。
だから日本アニメや漫画は世界から支持されています。
そのDNAをもっと教育や仕事に活かせるのです。



Lesson1「何故石膏像を描くのか」

■「石膏デッサン」解説と「写実とリアリズム」の話

まずは、石膏像をよく観て正確に計って写実的に描きますが、そのまま写そうとする作業とは違います。
表面的な「現象」に合わせるのではなく、モチーフについて多角的な視点から知ること、特徴を理解し「印象・らしさ」を捉えることが大切です。
日本での写実主義の絵画は、楽器や壷などの静物や人物を「細密描写」で描くといった印象がありますが、西洋では「生と死」(リアリズム)をテーマとした骨や腐りかけた果実などのモチーフを描くといった概念の違いがあることを理解しましょう。
写真のように写し描くことが写実ではないのです。
写真では伝達できない情報を人は五感で収集して脳で認識しています。
写実絵画は記録と記憶のハイブリットによって生まれます。
様々な記録情報、対象物に関する記憶がブレンドされて描かれたものが写実絵画なのです。

絵は五感を使って描きます。
対象をただ写し描くことが写実ではなく、光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要です。その視野の広さ、視座の高さで伝わるリアリティが違ってくるのです。

また、画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光と影など
周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力です。

よく観えるということは気づくということで、詳細まで理解できていることと同時に
俯瞰して全体が観えているということで、この観察力が生活すべてにおいて大切なのです。
この対応力は、絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。







西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけないで薄明り、夕暮れ時を楽しむ習慣があります。
薄明りの中で過ごす時間が多いほど、明暗の感度が敏感になるのです。
そんな西洋人は光と影にこだわり、明暗法が発展しました。

また、なぜ像を描くのか?その像とはどういったもの(存在)なのか?を理解しながら描いていきます。
以前に石膏デッサンを経験された方もいらっしゃるとは思いますが、今回の石膏デッサンの制作の視点は、これまでと一味違いますので皆さんと一緒に追及していきたいと思います。

デッサンレッスンで描かれる石膏像は、古代ギリシャ像をかたどったものが多くあります。



どの時代も人の考え、思いを伝えています。
古代ギリシャ彫刻の顔の表情があまりありません。これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくものです。



これから古代ギリシャ以降につくられた“美の象徴”を描いていく訳ですが、石膏像の原型は、大理石像やブロンズ像でした(ギリシャ人が造ったものはほとんど残されていない。ヘレニズム期のミロのヴィーナスくらい)。現在ある石膏像はすばらしいレプリカであるとはいえません。



オリジナルの像は、ギリシャ文化を象徴するとてもすばらしいものでしたが、破壊や盗難などにより実在せず、以後は想像からつくられてきました。



それでも、長い歴史の中で数知れない量がコピーされ、今もなお描き続けられる理由は、ギリシャ彫刻の美しさが普遍的で永遠の宝物だったからです。
そのすばらしさを理解するために彫像やアートの歴史的背景にも触れていきたいと思います。



☆石膏像と言うものは、明治政府が西洋の文化を取り入れて日本の近代化をはかっていた時代に美術においても同じく外国から先生を招いて、イタリアから招聘されたフォンタネージやラグーザなど古典派の画家や彫刻家が教材の一つとして持ちこんで石膏デッサンを始めたのが最初のようです。
☆石膏デッサンをすることの意味には、手の訓練、目の訓練と言ったことで絵画の基礎段階で行われるのでしょうが、西洋美術(古典主義の)では古代ギリシャ、ローマ美術が出発点となっていますから単に手と目の訓練と言うだけの目的ではなくヒューマニズム(人文科学)の美術そのものの勉強であったとも言えます。
※美の定義をビジュアルとしてお手本になるものが他にない。強いて挙げれば「巨匠の作品模写、裸婦」がモチーフとして伝統的に使われている。
※石膏デッサン、裸婦、模写すべて”解釈(美術そのものの勉強)“が大切。

☆古代ギリシャ時代の初期、中期では崇高美、調和美が追求され神様の像が作られていましたがヘレニズム期には次第に表現が人間臭くなっていったと言われています。   
ローマ時代ではギリシャ時代に完成された彫刻美の摸刻が盛んにされるのですが、肖像彫刻においては優れた個性の表現がされるようになったと言う事です。
☆ヘレニズム期にいたるまでに、美術が古くから保っていた魔術や宗教との関係をおおかた失ってしまった、ということがあるのだろう。彫刻家たちの関心は、職人技そのものの優劣に向けられるようになり、このような劇的な闘いの場面を、その動きや表情や緊張感を含めてどう表現するのか、それが彼らの腕の見せどころになっていた。ラオコーンの運命の道徳的な善悪のことなど、彫刻家の脳裏には浮かびもしなかっただろう。
こういう空気の中で、裕福な人びとが美術品を収集するようになった。彼らは原作が手に入らない有名作品はコピーを作らせた他し、原作が入手可能なものには法外な金をつぎこんだ。著述家たちが美術に関心を向けはじめ、芸術家たちの生涯について書き、その奇人ぶりを示す逸話を集め、旅行者向けのガイドブックを編纂した。
名を馳せた巨匠は彫刻家よりも画家の方が多かった。当時の画家たちの関心も、彫刻家たちと同様、宗教的な目的に奉仕するよりも、職人としての専門的な技巧の問題にむけられていた。

■西洋美術の”ゆりかご“「地中海」

西洋美術の歴史をヨーロッパの風土、時代背景とともに古代エジプト~ルネサンスの美術史を紹介します。
文明文化、美術の発祥地からどんなルートをたどって発展してきたのか位置関係がわかった方がイメージしやすいので地図を参照してください。



これは地中海とその隣国の地図ですが、西洋美術はこの地中海を”ゆりかご“として育っていきました。この地図を見ると色んなストーリーが想像できます。
・古代エジプトでは、理解することで表現している。文明文化、美術の発祥地。
・古代ギリシャでは、観察することで表現している。”美(理想美)“の基本、定義ができる(まぐさ式構造、エンタシス、高さ・奥行と間口の関係が調和のとれた比例によって設計)。
・中世(キリスト教美術)時代は感情(愛情、罪、罰、苦悩など)を表現している。                              
・現代におよぶ理解・観察・感情(テーマ)による表現が、ルネサンスで理論的にまとめられた(美術解剖学、パース理論)。

☆代表的な石膏像の解説 
■青年マルス(アレス) 軍神、戦争の神 乱暴、残忍、冷血

紀元前5世紀に、古代ギリシャのアルカメネスという作家の作ったブロンズ彫刻が、ローマ時代にコピーされたもの。

■古代ヴィーナス(ヒュギエイアの頭) 健康の女神

紀元前340年頃のも。アテネの神殿にあったその像の頭部とされているもので発掘当時から顔面に損傷が多くあり、俗にアバタのヴィーナスと呼ばれている。

■ブルータス 政治家 学者肌、人に感化され利用されがちな性格

古代ローマで圧制者(シーザー)暗殺を成し遂げたブルータスの彫刻
ミケランジェロがこのブルータス像を作ったのは1539年頃。60歳の頃の作品とされています。実際にミケランジェロが作ったのは頭部のみで、衣服のほとんどは弟子のカルカーニという人物がつくりました。
きっちりとローマ風に作りこまれた衣服の部分とは対照的に、頭部の髪は未完成のまま。あまりに多忙だったミケランジェロは途中で投げ出してしまったようです。カルカーニが師匠の作った頭部に手を加えなかったのは非常に賢明な行動でした。おかげでミケランジェロのタッチがそのまま残されました。

私たち皆にとって最大の危機は、
高きを目指し失敗することではなく
低きを目指して達成することである。
やる価値のあることは何であれ、
初めは下手でも、やる価値がある。
些細なことから、完璧が産まれる。
しかし、完璧は些細なことではない。
余分な贅肉が削ぎ落とされて、彫像は成長する。
神よ、どうか、私を、お許しください。
いつも、創造を越えて、想像することを。
by ミケランジェロ

•かっとなりやすい性格のため若い頃はけんかも多く、あるとき顔を殴られて鼻が曲がってしまった。このためもあって容姿にコンプレックスを持ち、自画像を残さず、さらに気難しい性格になってしまった。
•仕事に取り掛かるのは遅いが、いざ始めると周囲が驚くほどの速度で仕上げたといわれる。
•彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた。
•制作初期の段階でユリウス教皇に「完成はいつ頃になるのだ」と聞かれたところ、連日の制作に疲れていたミケランジェロは苛立ち、「私が『出来た』と言った時です」と返答した。これに対し、気の荒いことで知られた教皇は「早く完成させないと足場から突き落とすぞ」と言い返したという。

ミケランジェロが制作した 見上げさせるための彫刻

ダヴィデ像。見上げる位置にセッティングすることを考え、
胴体に対して顔を大きく首を長く制作し下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造られている。
遠近法は絵画だけの技法ではない。








【Lesson2】「エジプト文化とその芸術Ⅰ」
古代エジプト:紀元前3000年

① 死の文化(死者の書)。



・エジプトの宗教では、人間の魂を永続させるために遺体と肖像を保存。





・エジプトで生まれたアートは、エジプト人の死生観(永遠なる命)
※社会的構図(王、聖職者、軍人)から存在するものです。



② エジプトの王は神と親戚関係(エジプト絵画は「神に見せるためのもの」であった)にあり、王の権力が絶対であり絶大でした。
当時のしきたりとして、王の死には廻りの者達が生け煮えになるという慣習がありました。その慣習に代わり、アート(埋葬品として)が成立。多くの美術品が生まれました。



恐ろしい習慣に美術が救い手としてあらわれた。



③ エジプションアートが西洋美術のルーツ。
・美術は地球上どこにでも存在するが、約5000年前のナイル川流域の美術は現代の美術に繋がっている。
・ナイルに発する伝統は、師匠⇒弟子、崇拝者、模倣者⇒ギリシャの名匠(エジプト美術の学校に通学)⇒現代(そのギリシャ人の生徒と言える)。
・極めてベーシックな独裁社会に対してベーシックなコミュニケーションシステムが要求された。

④ エジプトといえば、誇大な大地に建つピラミットです。


・ピラミッドを築いたのは王のミイラのためであり、王の遺体は石棺に納められその中央に安置された。壁全体にまじないや呪文が書かれた。



・遺体だけではなく、王の肖像(風化しにくい御影石)も一緒に残せば確実に生きつづける。墓のなかではまじないが働き、肖像を通して魂は生きつづける。
・彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた。
・あの世での生活の準備として納める。

⑤ エジプト全域は遺跡だらけで歴史が浸透していた地域です。
 しかし、現在その歴史的なモニュメント(世界遺産)は、内乱による破壊や盗難、地球温暖化などにより、未来へ残して行くこと困難な時代となっています。




【Lesson3】「エジプト文化とその芸術Ⅱ」

① 3000年も変わらずに存続した文化。
・規則をすべて習得してしまえば、徒弟修業はそれで終わり、これ以上の目新しい物や「独創的」なものなどまったく要求されることがなかった。
・3000年以上ものあいだ、ほとんど変化することなくすぐれたものと見なされ続けた。



② 価値あるスタイルの確立。
・作者は人物を美化しようとはしていない。たまたまとらえた瞬間の表情を残そうとしたわけでもない。肝心なところだけで重要ではない細部は省いている。基本的な形、幾何学的といってもいいほどの硬さ。
・理解するための表現(knowledge=art)
・幾何学性が強い
・ディテールへのこだわり
・正確性(動物など描かれているものを現代の学者が見ればその種類を識別できる)
・規則性(パターン化)
・自然観察と秩序感覚、このバランスがみごと。
・彫像は、生きているようでいて同時に時を超えた永遠の存在として、私たちの心を打つ。
・幾何学的な調和と鋭い自然科学の目、この二つを兼ね備えているのがエジプト美術の特徴である。
・画工の専門学校をつくって厳格な描画作法を規定し指導していた事実も示されており、技術的に稚拙だったというよりも、あえてそのステージに技術的発展を留めることで、逆に宗教性を高めようとしていた意図が窺えます。

美の追求ではなかった古代エジプトの伝える絵

一見、稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、生息を証明する重要な資料になっています。
古代から絵を描くことは日常的な伝達手段、記録手段として活用されていたのです。



③ 知識に頼る表現で、多面的なアングルからひとつの真意を表現する(百科事典的な表現であるといえる)
・縦横上下、多面的なアングルを幾何学的な模様として網羅。これら特有な表現は3000 年も続きます。
一見、いろいろなアングルを一枚の絵にするという技法がぎこちなく見えますが、その反面、重々しく、何ともいえない神秘的なオーラに満ちています。
3000 年続いたエジプトアートはひとつの「スタイル」を確立します。
つくられる全てのものは、王や神に通じているものであり、中途半端な表現では許されませんでした。
※現代に通じるものとしてエルメスのスカーフが上げられます。

④ 絵を描く事「もの」の定義をするということである。
・その特徴がもっともよくわかるような角度から描いた。
・ある瞬間どう見えたかではなく、ある人物や場面についての知識で描かれている。
・ピクトグラム(Pictogram、ピクトグラフPictographとも)は、一般に「絵文字」「絵単語」などと呼ばれ、何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号(サイン)の一つである。地と図に明度差のある2色を用いて、表したい概念を単純な図として表現する技法が用いられる。



・主なルール
•頭や胴体、足は一定の比率で描く。
•地位の高い人物は、より大きく描く。
•顔は横顔とするが、目は正面を向いて描く。
•肩、胸、腕は正面を向けて描くが胴体と足は横向きとする。
•足は左右の区別が付くように描き分けない。土踏まずを描く場合には、両足に描く。
•遠近法を使わないが、集団を描くときには上下左右にずらして、少しずつ重ねて描く。
•横向きの顏でありながら、目は正面をむく。



⑤ エジプト人は「人の目」を通したもの、また、「人の意見」を通した表現を全く受け入れることがありませんでした。
それらは神への冒涜を表すことになるからです。

⑥ エジプト、メソポタミア、クレタは西洋美術の祖先といえる。
・紀元前2000年のクレタ島には、自由で優雅な様式が開発。同じ様式の作品がギリシャ本土でも発見されている。
・エジプト美術の開放は、ツタンカーメン(父は第18王朝 アクエンアテン)の治世には続かなかった。
・メソポタミヤ(シュメール人)では、王が死ぬと家中のしもべがいっしょに埋葬された。まだ像(イメージ)の魔力に対する古い信仰が生きていた。後世の誇大宣伝やプロパガンダ芸術は、もうこの時代に十分発達していた。
・迷信による原始的な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえます。



【Lesson4】「ギリシャ分化とギリシャ美術Ⅰ」
古代ギリシャ:紀元前800年~

①地域性、社会構造
・海(地中海)を渡ってたくさんの文明が芽生えました。ギリシャや小アジアはエジプトと違い、偉大なひとりの王の存在によって時代が動いた訳ではありません。

②飛躍的な発展を遂げた背景にある様々な要素
・アドベンチャーを求める海賊王たちによって、ギリシャの入り江(地理的に好条件)が隠れ見のとなり、発展をしていきます。



③人に重点が置かれた文化、美術が形成された。
・クレタ島がメインの発信地であり、多くのアート(レリック:遺物)が発見されました。
それらのアートは、楽しそうで生き生きしたもので、本土にも移行していきます。





④大きな建物がなく、小寺院(神や宿る寺)がたくさん出来小さな都市国家が誕生します。



⑤支配関係はなく、独立心強く、争い事が絶えない時代でした。
その頃の建物はエジプトと違い、人間のために人間がつくる建物でフレンドリーな感はありましたが、エジプトに匹敵するような威厳はなくなりました。しかし、この時代の木と石でできた建物を見ると、柱の上下部を意図的に削り取りとったフォルム(エンタシス)が見て取れます。
シンプルな中にも工夫が施され、エレガンスな表現が試みられています。
大げさではない工夫は、プロポーションの美しさと機能を備えてすばらしいデザインセンスといえます。
※日本のタンスの蹴込みに通じるところがあります。

⑥ ギリシャの最初の彫刻家は、エジプトを手本に彫像をつくりましたが、その彫像は人体区分(黄金対比)を吟味しながらつくられた彫像でした。



後に、ギリシャ人は観察力を重視し、古めかしいルールを破ることになります。
「全て見せる必要はない」という概念が美術革命を起こします。
※エジプトの彫像は硬直したものが多く、ぎこちなさをぬぐいきれないものでした。時代背景としては、エジプト人は知識と表現が手に手を取っていたといえます。よって、「全て見せなければならない」という厳格なルールに則ったアートでした。



⑦ ギリシャでは、科学、哲学、数学、あらゆる事に対して前向きに考える人々が登場。

⑧ ギリシャ神話の神々は、限りなく人間に近い存在であり人間と同様、長所短所を持っていました。










【Lesson5】「ギリシャ分化とギリシャ美術Ⅱ」
古代ギリシャ:紀元前500年~

ソクラテス曰く 
「精神がどのように人間の人体の動きに影響するか課題である」


① 「美の追求」を積極的に始める。
・ 洗練された肉体(筋肉、骨、柔らかい肌)滑らかで、艶と張り
のある彫像が多くつくられました。(ディスコボロス:円盤投げ)



彫刻家は空間と動きを100%理解できるようになりました。
②都市国家であるアテネは栄え、パルテノン宮殿のような古典建築が誕生。



・アテネの最盛期を築き上げたペリクレスは、30年間もの平和を保ち、パルテノン神殿の建立を実現しました。
③その中には多くの彫刻、レリーフなどが飾られた。
・それらが切っ掛けとなり、たくさんの彫像が注文されることになります。
④彫刻やレリーフのモチーフは躍動感溢れるギリシャの神々やオリンピアの勝利者などだった。
・当時の彫像は顏に表情をつけることはありませんでした。普遍的な顏が神に一番近いとされていました。感情は身体で見せる(人間の魂を表している)ものと思われていたので、アクションが伴った彫像が多く見られました。その多くは、オリンピックの聖地オリンピアで台座のみというかたちで近代に発掘されています。当時オリンピックは良家の人たちだけが出場でき、勝者は神に引き立てられた人、勝利の暁には自分の彫像をつくってもらうことができました。
・その中には、吟遊詩人ホメロスが書いた作品がモチーフになっているものも数多くあります。ギリシャの神々は、人間のたくましさを持ちながらも、愚かさも持ちえている存在でした。そして、神であっても、人間同様、運命に左右されるのでした。
例:ローマ神話の酒神 バッカス
よって、それら彫像には人間の感じるペーソスが表現されています。プラトンら多くの哲学者がこの地に集まり、思想会派も生まれます。
⑦ その後、ギリシャは多くの戦争を繰り返すが西洋美術の基礎となるこの地の芸術は人々の精神の中に絶えず生き続けた。






【Lesson6】「ローマ帝国の繁栄から衰退まで」
マケドニアの支配:紀元前200年頃~

①ギリシャはアレクサンドロス大王によって制覇されます。
※アレキサンダー大王


マケドニアの若き王、アレクサンドロスは、ペルシア遠征の前に身の周りのすべてのものを友人に分け与えた。
「これじゃ、あなたには何も残らないじゃないか」 と心配した友人に 「私には未来がある」 と答えた。
アレクサンドロス王の先生は ギリシア人の大哲学者アリストテレス。



王に招かれたアリストテレスが「家庭教師」となる。弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。都ペラから離れた「ミエザの学園」で、紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えた。こうして、王と共にギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友」たちは、のちに大王を支える将軍となった。大王の要請でアリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送ったといわれる。

アリストテレスは、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の住人と見做され、又その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学に多大な影響を与えた。
そればかりではなく、東方遠征により、小アジア、エジプト、そしてインドまで領土を広げていきます。
これがギリシャ文化に偉大な影響を与えることになります。
何故ならば、制覇した幅広い地域にへレニズム文化を広めていくことになるからです。
アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。
ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。
これによって、ギリシャ美術は一大帝国の美術に発展します。
文化的にはギリシャに制覇されてしまうことになります。
ヘレニズム彫像はギリシャ初期彫像と違い、ゴージャスで強烈、熱烈、激しい彫刻といえます。
例:ラオコーン



ギリシア神話でのラオコーンは、槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとした後に殺される。女神アテナによって遣わされた
海蛇がラオコーンを襲ったことによりトロイ人たちが、この木馬が聖なるものであると信じ込んだためである。
ラオコーンとふたりの息子が海蛇に締めつけられる様子はあがきながら生死をさまようすざましい姿である
ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始り、領土を拡大して地中海の全域を支配する世界帝国になった国家です。
ローマのアーティストは主にギリシャ人でした。
ギリシャ人には軍事力がありましたが、小さな都市国家間のこぜり合いが多く、軍事的、政治的にも統一をはかることができませんでした。
よって、組織的なローマ人に制覇されていくことになります。
聖職者の代わりに哲学者が誕生。その存在はギリシャの発展に大きく結びついていきます。
※哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で、宣教者でもあり科学者でもある
また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だったので多くの発展が見られたともいえます。
ルールはあるもののその中にも限りなく自由があります。
これがその後のアーティストに大きな影響を与えることになります。
シアター(演劇活動)が始まるのもこの時代です。



【Lesson7】「キリスト教の派生」
中世:紀元311年

①ビザンチン芸術を紹介する。
②中世は暗黒時代ともいわれたが、その中で光をもたらしたのがキリストへの思いを抱く人々だった。
③キリスト教は世の乱れを制するのに有効であり、コンスタンチン大王の国の行政管理のためにもキリスト教を用いた。
④多くの民族が混じり合っていた故に社会的ルールが必要であった。
⑤多くの教会が建てられ、キリスト教をわかりやすく布教していくコミュニケーションツールを職人が追及した。
⑥奉り事をわかりやすくするための数多くの彫刻や絵画が作られるが、ギリシャに於ける美の追求、「見たもの」を描くという試みが失われていく。


■「キリスト教美術」

・各地に国家が建国される。
・カラドラル(聖堂)の時代。

        社会の主体     アート
エジプト     ファラオ     知る (理解する)
ギリシャ     人間       見る (観察する)
キリスト教    教会       感じる(感情)

『ビザンチン美術』を紹介し、これまでの古代エジプト美術、古代ギリシャ美術と比較しながら“その時代のアート”を確認する。


■「キリスト教からルネサンスへの移行期」
・イタリアが眠りから覚める。

■「暗黒時代の夜明け」

ジョット・ディ・ボンドーネ


■「ルネサンスの始まり」
マサッチオ(Masaccio, 1401年12月21日 - 1428年)は、ルネサンス期のイタリアの画家。

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれ。
本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ(Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)













日常にアートを活かす『アイデア・発想:スピードスケッチ講義』

2020年03月26日 23時44分15秒 | 日記
日常にアートを活かす『アイデア・発想:スピードスケッチ講義』

皆さんは、頭に浮かんだアイデアやイメージを絵に描く。
さらには他者に理解してもらうために
絵を短時間でサラサラ描けるようになれたらな~っと考えたことはありませんか。

絵に描くと実現に近づくので、心が折れにくくなります。
サムネイルやアイデアスケッチは漠然とした「夢」を具現化するというより、
内なる欲求を吐き出す作業といえます。
目的やアイデアが視覚化されると具体的な行動に移せます。

絵を描くことは、脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいい。体を動かした方が喋りやすかったり、考えがまとまったりします。
絵を描くことで手先と脳とが連動して活発に機能していき、 新鮮な発想が浮かぶ脳のストレッチになります。







僕は「スピードスケッチ」とも呼びますが、皆さんは何のためにどんなときに必要でしょうか?
スピードスケッチとは短時間に端的な線でイメージを伝える作業です。



テーマは”伝わる絵“です。
皆さんはサラサラと描きたいと思いますが、訓練が必要となるスケッチと“観方”を理解することで比較的短時間で描ける方法があります。
最初に基本的な観方を伝えていきたいと思います。いわゆる描くコツというやつです。
うまくなるには訓練が必要ですが、まずは“伝わる絵”を描くことを意識してください。

魚屋さんは、魚の特徴を知っているので正確に描けます。







絵はイメージできれば誰でも描くことができるのです。逆に頭の中で具体的にビジュアルが思い浮かべられないと描けません。
苦手と思い込み描けないのは、絵が下手なわけではなく、的確な情報を捉えていないだけ、自分が好きで思い浮かべられるものから描いてみるといいでしょう。
では早速、1分間ほどで「目」を描いてみましょう。
“伝える絵”を描くコツは、まず対象物の構造を観ることです。
[目]でしたら、人のまぶたは上についています。
下についたら地をはっている爬虫類の目になります。
目じりは鼻に引っ張られるようなかたちになり、まつげの方向も眼球の形に沿っている。とか
よく見直してみましょう。
では、もう一度「目」をサラサラと描いてみましょう。
次に1分間ほどで「木」を描いてみましょう。
思いえがいている木は様々だと思いますが、
みているようでみていないのが“構造”です。
“このー木なんの木、気になるになる木””ハイジのもみの木“など木の構造を描いてみる。
では、好きなかたちの木を一度描いてみましょう。
皆さんは描くときにどのようなことを考えますか?
絵を描く“コツ”とは、日常生活で皆さんが工夫をしていることと同様なことです。
例えば、片付けや皿洗いを自己流で工夫してみることと同じ感覚で、絵を描いてみてください。
繰り返し何度もやっていることでも見直せば、何かに気づきがあります。
それが、それぞれ皆さんにしっくりとくる”コツ”といえます。
「観方」を意識されてことはありますか?
対象物は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物(文章)を「見る」のでは意味がなく「読む」「理解」する感覚と似ています。
「理解」する「観方」と「テーマ」に沿った「観方」があります。
モチーフを「写す」といった「見方」ではなく、
「理解」する「テーマ」のある「観方」
を意識してみましょう。
また、「観方」でも”構造”を捉えることと”特徴“を捉えるといったことがあげられます。
まずは、”構造“を理解する大切さを体験していきましょう。
近代の作家が[世の中の物は、単純な幾何形体(球、円柱、円すい、直方体)で全てあらわすことができる。]と実証してきたようにどんなに複雑な形態も単純形態に置き換えることができます。
では、ボーリングのピンみたいなかたちはどうのように描いたらよいでしょうか?
1分ほどで描いてみて下さい。
今、体験したように円柱や直方体などを描くことができればぐっと絵は伝わりやすくなりますし、パースペクティブ(遠近法)を理解すれば飛躍的に絵が変わってきます。
こういったパースペクティブは風景だけではなく、人や植物など全ての野々の捉え方に当てはまります。
「洋ナシ体系になった旦那は“ヨウナシ“だ」なんて言いながら、
洋ナシを描くことも洋ナシ体系の人物を描くことも同じだということを実感できると
目からウロコの絵を描くレッスンになるのです。

伝えたいこと(テーマ)によって表現が変わります。
働きものの温かい手、たくましい手、優しく抱きかかえる手、祈りの手。
上手くみせるのではなく、何を伝えるかが問題なのです。









デッサン力があるということは絵の上手い下手の違いではなく
情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力(プランニング)。
頭の中のイメージを絵に描き出す感覚を磨くことが日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。


『身につくデザイン&アートの基本:ドローイング講義』

2020年03月23日 14時31分55秒 | 日記
『身につくデザイン&アートの基本:ドローイング講義』
                                                 
アートの巨匠たちのドローイング作品、表現の魅力や実践的に役立つデッサンを紹介します。
様々なアーティストの視点(ドローイング)に触れていきましょう。

芸術家は好奇心が強く、疑い深く、しつこく、なかなか諦めません。
基本的にジコチュウで、
結果的に名作を残してたくさんの人々に作品が愛されたとしても
本人が納得しなければ嬉しくないのです。
自分が新しい価値観を見つけて満足しなければ意味がないのです。

「ドローイング」とは何でしょうか?
皆さんは、どんなイメージでとらえていましたか?
これまで、絵画表現やスキルアップのためにデッサンを描いてきた人でも
”ドローイング”や”デッサン”の意味や目的、”クロッキー”や”スケッチ”の違いなど漠然としていると思います。
今日は違った視点から、アート表現の基本について確認していきましょう。

さて、英語である「ドローイング:drawing」という言葉は、
「素描」の意味での外来語として日本で最初に定着していたフランス語の「デッサン: dessin」に対し
1960年代に入ってから割り込んできて、一般的に使われるようになりました。
これは世界中の新進気鋭のアーティストが集まっていたフランス パリから、
第2次世界大戦後の1950年代ころ前衛アートシーンの中心がアメリカのニューヨークに移ってきたことに影響していると思われます。
余談ですが
この頃、フランスの「アンフォルメル」に対してのアメリカの「抽象表現主義」「アクションペインティング」に代表されるような主導権争いがはじまっていました。
しかし、パリのポンピドーセンターで紹介されているアート年表では、アメリカの「アクションペインティング」などの活動は単なるローカルアートとしてしか紹介されておらず、「アートの王道はヨーロッパから動かない」と言わんばかりの解説にパリのプライドを感じました。
現在は「クール ジャパン」と言われアートバブルが起こり、日本のアーティストが世界で注目されています。

日頃、皆さんはデッサン、スケッチ、クロッキーと様々なアート用語を使っていますがスケッチとクロッキーの違いなど漠然としていると思います。
また、先ほどの「ドローイング」という言葉の概念が、50年代から60年代にかけて大きく変わりました。
その他にも
エスキース、エチュード(習作)、下絵などの美術用語とその制作の目的を知っていると美術館での作品タイトル(習作など)や
画集をみるときにもタイトルの意味を理解することで見方も変わりますし、何かと役に立つと思いますので、少しそんな話からしたいと思います。

では、最初に何枚かアーティストのドローイング作品を観ながらその作品の目的や作家のことを想像してみて下さい。まずは
1、 エゴン・シ―レのドローイングです





つまりこのシーレのドローイング作品は、絵画への準備的な制約からそれを解放して、作品として独立しうるものになっています。
それまでの「下絵、習作」としての意味から、それだけの表現として完結した世界を持つ「自立するドローイング」作品となっているのです。

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチなど聖母をテーマとした絵画作品のために手や顔の表情の何枚もの習作(エチュード)を残しています。



絵画で、エチュード【 étude】が「習作」と訳されていることで練習することのように認識されていますが、本来は「研究し探る」ことです。
ダ・ヴィンチのエチュードへのこだわりを観るとその違いが分かります。
西洋文化がなだれ込んだ明治時代の間違った認識と和訳のまま教育されていることが多々あるのです。



2、 現代の作家であるロバート・ロンゴのドローイング作品です。
これは画用紙に鉛筆とチャコールで描かれています。これはどんなポーズ、何をしているところだと思いますか?



これはトランポリンを使い、モデルが空中で静止した瞬間を捉えたポーズを描いたものです。

3、 ワイズ・バッシュです。









この人は銅版画での表現などドローイング作家と言えるアーティストで、オーケストラの演奏者など動きのあるものをモチーフとしています。
僕はクロッキー制作の参考にしました。

ちなみにスケッチとクロッキーの違いは、短時間にその特徴を捉え描くことは同じですが、
人物や動物など‘動き’のあるものを描く場合は「クロッキー」、
眼に写ったかたちやアイデアなどを鉛筆やペンなどでごく簡単に記録する絵を「スケッチ」と呼びます。
クロッキーはデッサン力の基礎(手と頭の連動)といった絵画の訓練的な意味合いが強く、スケッチは制作のための記録や他者に作品のイメージや計画を伝えるため(エスキース、アイデアスケッチなどとして)用いられることがあります。なので、
皆さんは、デザイン&アートの初歩段階として、まずデッサンを制作をしていますが、実はこのクロッキー力やスケッチ力を意識して
短時間制作を繰り返し訓練していくと実践的に使えます。

4、 フランシスコ・ベーコンの油彩ドローイングです。



これはロックグループ ローリング・ストーンズのミック・ジャガーらメンバーを描いたものです。
このように油絵や水彩作品やイブ・クライン「炎の絵画」のように火で銅版に焼き付けた痕跡などもドローイング作品として紹介されています。

5、 これがイブ・クライン「炎の絵画」です。



現代になるともはや画材や表現の枠はなくなってきています。
では、本来デッサンでいわれていたエスキース、下絵、習作(エチュード)とはどういったものかを紹介していきます。

6、 これは彫刻家ヘンリー・ムーワのクロッキー



とアイデアスケッチです。











アーティスとは作品制作するために取材としてクロッキーやスケッチを大量に描きます。その後、完成イメージとしてエスキースや下絵を具体的に描いていきます。これらをまとめて「デッサン(計画、設計図の意味があります)」といいます。

さらに人物画では手や顔などのディテール(部分)を具体的に描いていった絵を「習作(エチュード)」といいます。

7、 これがミケランジェロの習作です。





ミケランジェロはホモセクシャルだったので、女性像の作品でも男性モデルのデッサンをもとに制作していたと聞いています。そのためミケランジェロの女神をテーマにした作品は筋肉質でたくましく感じられます。









ロダンの制作する柔らかでしなやかな女性像と比較すると面白い発見があります。
8、 ロダンの彫刻作品とデッサンをみてみましょう。デッサンをみてもその作家の視点がみえてきます。







女性を肉感的にとらえ、とてもやわらかくしなやかに表現しています。ミケランジェロとは女性に対する感じかたがだいぶ違ったことが分かります。

9、 ジャコメッティです。











彼は彫刻作品だけではなく絵画作品も多数描いています。






そもそも画家、彫刻科、版画家と分けるのは日本特有で、海外ではジャンル関係なしに表現の幅をひろげ活躍しているアーティストが少なくありません。先ほど空中で静止した瞬間のドローイング作品を紹介したロバート・ロンゴもドローイングから立体、インスタレーション、映画まで制作したりしています(ビートたけしが出演したキアヌ・リーブス主演「JM」)。
ジャコメッティに話を戻しますと表現が細長いデフォルメが特徴で、どんどん作品が晩年になればなるほど細長くなっていきました。



油彩作品では構造や空間性を意識していることがわかります。



再び、余談ですが
「油彩」とか[油絵]とか芸大では「油画専攻」なんていったりします。
「油絵」といういい方はどこか「絵描き」や「画家さん」をイメージしませんか?
欧米から入ってきた技法を「洋画」と呼んでいた芸大でも「日本画」に対して日本の「油画」という意味があるようです。
なので「油彩」という言い方は、そのジャンルや職業を示すのではなく、その画材や技法を用いるといった意味で使うことが多いのです。
たとえば版画を主に制作している作家が「先日の水彩スケッチを今回は油彩でやってみた。」といった感じで使います。         
世界のアーティストは、その扱っている画材や技法でジャンルを分けるのではなく、テーマや目的によって表現手段(メディア)を多用しています。
大学では彫刻を専攻し、卒業後は写真作品を発表している人がいますが、絵画(平面)畑出身の作家とは違った視点でファインダーを覗いていることが分かります。

10、次はアンドリュー・ワイエスです。




この人は息子のジェイムズ・ワイエス、父親のNC.ワイエスと親子3代続く絵描きバカ一家です。
アンドリューが最も有名で、その作品も繊細で達者です。91歳の今もメイン州で絵を描いているようです。絵描きバカです。





この人の油絵もそのためのエスキースや下絵となる水彩スケッチもドローイング作品として展覧会が行われ、自立した作品として売買されています。





11、では、島田ショウゾウのドローイングの展開を紹介します。初期の作品は写実的にものを捉えていたのが、視点がはっきりとし始め、デフォルメした表現になっていきます。最終的には島田ショウゾウの画風が生まれてきます。











この様な人物表現の展開だけではなく、構図や空間設定も枚数を重ねるごとに研究され、総合的にひとつの画風として構築されていきます。

12、これは安井曽太郎(東京美術学校 教授)のドローイング作品です。
日本では浅井忠に師事し、同時期の海老原龍三郎らと関西で洋画を学んでいた。その後、フランスに渡りアカデミー・ジュリアンで学ぶ(以前の作は焼き捨てたとのことで、彼の初期作品はほとんど現存していない)。フランス滞在の7年間の間にイギリス、イタリア、スペインなどへも旅行している。
最初はフランスでの作品、







そのあとの数枚は渡欧前のデッサンです。





木綿問屋の坊ちゃんの曽太郎は家の使用人らをモデルに素描していたようですが、これらの素描の変化がわかりますか?
関西の洋画研究所で学んでいた時期と渡欧して、何を学び吸収したのか少し想像してみてください。

写実と描写を意識した素描から、空間性や人体への視点、表現テーマが生まれ、人体の躍動感や空間の臨場感がダイナミックに描かれたデッサンになっています。また、対象物を見たまま写し取っていた初期作品と比較すると見上げた視線の動きを考えた構成になっています。
                                     
これら作家の作品展開をみるとドローイングの上達は、単に技術的なスキルアップだけではなく、対象物の捉え方や環境の変化、自分の視点(テーマ)も大きく影響してくることが分かります。
対象物の捉え方、見方や描き方、制作のテーマは様々で、作家のキャラクターや生き方、表現手段などの数だけ「画風」があるといってもいいでしょう。           
では様々な作品をみて見ましょう。
13、ロートレック、







キタイ、


岩崎ちひろ、




ホルスト・ヤンセン、






ジム・ダイン、




マッタ、


ゲルハルト・リヒター、


小磯良平、




大友克洋、



モンキーパンチ、



デビュッフェ、


タピエス、




シグマ・ボルグ


14、シド・ミード



のスケッチはパース画ですが、
現在のパースの原型をまとめたのはレオナルド・ダ・ヴィンチです。それ以前のパース技法を使った作品を少し観てみましょう。







次回へ、つづく