美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

twitterフォロワー50,000人。つぶやき140字では伝えきれないことをこのブログに残していきます。

美の追求ではなかった古代エジプトの壁画

2019年03月08日 15時20分32秒 | 日記
エジプト美術は美の追求ではなく、死後よみがえるための道具でした。当初は王が死ぬと、死後の世界で働くためにその奴隷たちまでもが生き埋めにされていました。その代用品として、奴隷に見立て
てつくられたシャブティ像が生まれます。
また絵画は一見、稚拙な表現にみえますが、この時代の絵は神に見せる厳かなもので絵師に義務付けられたルールがありました。このルールは「人(手足の長さなど)」や「身分」などの情報を正しく記録し伝えるための絵画法といえます。決められたルール以外で描かれた新しい創作的な絵は虚偽とみなされて神への冒涜に値し、死罪になりました。3000 年間もの間、エジプト絵画が変化しなかったのもそのためです。

①最も小さく描かれているのは子供ではなく奴隷、古代エジプト壁画では、
 地位、身分が高い人物ほど大きく描かなくてはいけない 
②顔は横顔とする、目は正面を向く 
③肩、胸、腕は正面を向け胴体と足は横向き 
④足は左右を描き分けない・土踏まずを描く場合には、両足に描く 
⑤集団は上下左右にずらし重ねて描く 
など



時代の「原因と結果」を知る

2019年03月08日 15時07分50秒 | 日記
 19 世紀フランス パリでは、若き芸術家たちがモンマルトルの丘のバトー・ラヴォワール(洗濯船)を憧れ愛し、引き寄せられるように集まり、お互いをリスペクトし切磋琢磨していました。そんな街の小さな一角から世界を大きく変える芸術作品(新しい価値観)が次々と生み出されていきました。
産業革命が起こったイギリスでもそれまでの芸術を引き継ぐ保守的な新古典主義とその頃、時代を台頭した革新的なロマン主義の芸術家たちが、それぞれの信じる表現を主張し対立しながらも創造性を高めていき、サイエンス、アート、思想、世界の経済までも大きく揺るがす爆発的なパワーを発信していたのです。
14 世紀のイタリアのルネサンス期では、お互いの考え方や気づきと技術をぶつけ合いながら研究を繰り返し、数千年前の古代ギリシア人は自由を愛し身体と精神を調和させ、古代エジプト人は、誰も観たことのない死の世界を書に綴り想像力を覚醒させていきました。
数万年前、最初の芸術家( 古代人) が、天敵であるライオンの頭をもつ人型の彫像を象牙から造り、日常の記録、思考、伝達手段として洞窟に絵を描き、アートで飛躍的な進化をしたのです。

 このような時代背景からアートの成り立ちや発展の「原因と結果」が読み取れるのです。

数万年のアートのロジック

2019年03月08日 15時03分37秒 | 日記
美術館や画集で世界的な名画を鑑賞してもよく分からないのは、絵心や感性、才能の問題ではありません。言葉や文化が違う異国の書籍や映画を翻訳や字幕なしに眺めているようなものなのです。絵には、制作された成り立ちや題材の意図、技法の発展、画材の発明、画家の師弟関係やライバル、パトロン、影響を与えた人物や社会背景があります。私たちはこれらを分かりやすく翻訳することを「アートのロジック」と名づけました。
古代人が絵を描きはじめてから現代まで4万年ほどのアート ヒストリーがあります。そんなアートの歴史はヒトの進化の歴史ともいえます。古代では木の実などの樹液や土、血液などを混ぜて作った絵具と木の枝や動物の毛を画材として使い、中世ではモザイク画やフレスコ画などの技法が開発され、ルネサンス期以降、絵画技法の発展や油絵が発明されてから現代までの数百年に社会の変化に伴って絵画様式もその役割も変わっていきました。アートとサイエンスの発展によって、ヒトや社会の成長が促進されたともいえるのです。