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古代 奈良は シルクロードの終点であり 絹の始発点でもあったのか

2020-09-11 08:53:34 | 現代史観察日記
遣唐使の旅費 
朝貢の品を見ると
中国と並ぶ絹の輸出国であった

遣唐使の旅費の内訳が反物であった



日本の朝貢品を見ると 黄色の糸がある
中国皇帝の色だ 相手の喜ぶ事を考えていたようだ
火打ち石 火打金具の最上品を用意している
唐の習俗を充分分析していたように思う

遣唐使達は 皇帝の下賜品を売り
中国の市中の書籍を買い集めた 
当時の日本にとって 財物より先進情報の入手がとても大事であった
知識を必要としていた

唐は 昔の倭人と違って 日本は態度が尊大であると記している
服装も振る舞いも 以前と違うのを感じていたのだろう

同じ倭人なのかと 唐の官僚が戸惑っている

科挙に受かった阿倍仲麻呂は安南都護にまでになった 
唐の六都護府の一つ 安東都護府ではないが ベトナム都護である
異邦人がここまで重用される 昔の中国は懐が深かった
逆に言えば 昔の唐は開かれた社会であった

日本は倭を併合して大きくなった と 言う

嘗ての 環玄界灘連合の倭人は俺達に恭順であったが
こいつら なんか違う こいつら本当に倭人か? と 言うことだろう

後の 安倍氏 藤原氏は 祖先は中央貴族ではあったが 東国の蝦夷に基盤を置く
ヤマトは縄文と倭の連合集団であった

ヤマト連合は 以前の倭国とは内容が異なっていた
鈴鹿山系以東の国々が とても重要だ
縄文人と倭人や漢人の共存は 今の所うまくいっている
と 言うより 当たり前過ぎて 現代では意味はないな


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