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「表現の自由は自分の気分を害しても受け入れなければならない」?

2020-11-22 10:09:03 | 現代史観察日記

仇討ちや正義の復讐は庶民の好む所である
徳川幕府は仇討ちを規制し許可性にした
野放図な復讐は 理由いかんに問わず禁止した
悪人や敵でも 死ねば仏として扱い 罪は類には及ぼさない
韓国はまだ中世以前の華夷秩序観や儒教的道徳観から脱していない

観察するに 韓国はますます全体主義国家に移行しつつある
我々は 彼らを偏向していると考えるが
彼らから見れば 偏向しているのは我々 と 見えるだろう

我々には 双方に是々非々はあっても「韓国は悪」と言う前提はないが
彼らの大前提は「日本は悪」 
そこから全ての論理が始まっている
人々にとって「日本は悪」が神の存在や普遍の真理のように 
疑問を挟む余地のない絶対的真実になっている

彼らにとって 日本人は悪人や犯罪者或は下位人種なのだ
だから 自己の優越性や無辜の被害者であることを主張し続ける
優れた自分達が不当に蔑まれ 
劣等人種に支配され被害者になってしまった事が許せないのだ

この様な場合 良い悪いの議論は無意味だ それぞれが決める事
無用の対立や争いを避けるため 互いの接触は極力控えるべきだろう
初めから嫌悪や憎悪を向ける人に友好を説くのは意味がないし
人の関係が上下しかなく 対等や平等の概念を理解できない人に 
融和的姿勢は従属と勘違いさせ増長させるだけである

中国や北朝鮮のような独裁国家であれば 指導者の考え方次第で変革も可能だが
庶民が主導権を握った場合 方向の修正はとても困難である

戦乱や難民続出の国であっても 国民がその国を作っている
国民にそのような国しか作る能力がないからそのような国が出来る
程度の差はあれ能力は全ての人に平等に与えられている
自立のためには長い苦労と経験と努力が必要だろう

思うに 良くも悪くも
国民が国の動向を決める
多数意見が国の流れを作るのは事実

で 自由だが
自由は 自然界の動植物にしか無い
大自然には人間を保護する法律も社会もない
現代人は 石器時代の人々の生存能力には遠く及ばない
文明の保護がなくなれば 集団の一員でなくなれば
大自然にたった一人 間違いなく野垂れ死ぬ
殺し殺され 弱肉強食 適者生存 それが自由
だから 人は集団生活で多少の不自由は我慢する

今日の集計
いよいよ医療現場が逼迫してきたようだ
どうなるのだろう



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