昨日の昼 花を見上げて きれいだなと思う
中原の国が 朝鮮半島の歴史をある程度わかったのは
正始六年(245年)、幽州刺史の毋丘倹が高句麗を討伐した後
前漢の武帝の4郡設置の頃より資料が多い
つまり 鴨緑江右岸にあった丸都城(古の玄兎郡城 今の中国の集安市)を壊滅させ
高句麗古代の王の墓を暴き 敗走する高句麗を追撃した将軍王頎による伝聞記録によるものに始まる
三国志魏書馬韓条 侯 準 既 僭號稱王為 燕亡人 衛滿所攻奪
魏略曰 昔 箕子之後 朝鮮侯見周衰 燕 自尊為王 欲 東略地
朝鮮侯 亦 自稱為王 欲 興兵 逆撃 燕 以 尊周室 其大夫禮諫之乃止使禮西説燕
燕 止之 不攻
後 子孫 稍驕虐 燕乃遣將秦開 攻其西方 取地二千餘里 至滿番汗為界
朝鮮 遂弱
是によると 周代 中国東北地方及び北朝鮮にまたがっていた箕氏朝鮮の西半分遼東及び満州は燕によって取られた事になる
三国志魏書馬韓条 準與滿戰不敵也・・・將其左右宮人走入海居韓地、自號韓王
魏略曰 其子及親留在國者 因冒姓韓氏 準王海中 不與朝鮮相往來
BC195年 燕人 衛満によって朝鮮国が満州に建てられ
後漢書弁辰条 弁辰與辰韓 雜居 城郭 衣服 皆 同言語 風俗有異・・・
初 朝鮮王準 為 衛滿所破乃將 其餘衆數千人 走 入海 攻馬韓 破之 自立為 韓王
三国志魏書倭人条 從郡至倭 循海岸 水行 歴韓國 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
始度一海 千餘里 至 對馬國
其 大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶島 方可四百餘里
土地 山險多深林 道路 如禽鹿徑 有 千餘戸 無良田 食海物 自活乖船 南北市糴
準後滅絶 馬韓人 復 自立為辰王
三国志魏書馬韓条 其後 絶滅 今 韓人 猶有 奉其祭祀者
漢時(BC108年以降)屬樂浪郡四時朝謁
魏略曰 初 右渠 未破時 朝鮮 相歴谿卿 以 諫右渠 不用 東之辰國時民隨出居者二千餘戸
亦 與朝鮮 貢蕃 不相往來
箕氏朝鮮の流れの朝鮮王準は 南 辰国へ逃げ 辰国の一つの馬韓を破り韓王となったが
箕氏朝鮮の血は何時の間にか途切れ消滅する そして土着の馬韓人から王が選ばれる事になった
侵略による衛満朝鮮も 血統による箕氏朝鮮もここに終わる
又 遼東及び北朝鮮の領域の衛満朝鮮は漢に滅ぼされ
漢は衛満朝鮮の地を 楽浪 玄兎 眞番 臨屯の郡に分かつ
衛満朝鮮王右渠は国人によって殺され血統は途絶える
これによって朝鮮は歴史から消え 伝説としての朝鮮が伝えられるのみである
後の朝鮮半島における朝鮮は 箕氏朝鮮とも衛満朝鮮とも全く関係のない国である
古代の辰国 馬韓弁韓辰韓の 東胡 中国の亡人 そして倭人の流れが今の朝鮮半島人であり
古朝鮮は今とは別の民族である
シンの音を国名にするのは東胡 狭義の満州族の風習である 意味は金
羅(ら、や) 或いは 奴(な)は倭種の言葉で地域場所を意味する
新羅は 東胡と倭種の混合したものが国名となっている
高句麗の後の渤海は当初辰国と称した
後の金 更に最後の中国王朝 清 愛新覚羅(アイシンギョロ)が王族の姓であるが
意味は「金の如く高貴かつ神聖なる覚羅一族」である
清滅亡後 満州族ほとんどが「金」姓を名乗る
中国東北部における金氏はほとんど満州族 女直の末である
百済の王は姓を扶余と言う そのまんまの満州族である
古代 満州は蒙州と呼ぶ
遼東の平野を 蒙州紫蒙の野と尊んだ
高句麗の朱蒙の名は紫蒙から来ている
朝鮮半島における 支配階級は満州族であった
さて 倭人の痕跡は何処にあるだろうか
現在の韓国のハプロタイプの分布は
日本人と共有のo2倭種が4割 中国のo3が4割 ツングースの古いc3が約1割 チベットのd1その他が1割
倭種が半島から南下したとも考えられるが 中国東北部満州にはその痕跡がない
とすると 揚子江から直接韓国そして北九州も考えられる
しかし米のジャポニカの一つの遺伝子が韓国にない また揚子江の鵜飼の風習もない
また 稗粟から米が主食になったのは百済時代とも言われる
嘘か真かわからぬが 伊勢神宮では 米は天照大御神が「斉」の御田からもたらしたと言う伝説があると言う
もし事実であれば 斉の国から 彼らは来た のだろうか?
発掘人骨から考えても山東半島から直接北九州に来たのが弥生人と考えるのが妥当だろう
中国の古代の東夷の一部族が直接日本に来たのかな
つまりBC1000年頃から倭種は北九州で営みを始め
紀元前後には 出雲 北九州 南韓を含める環玄界灘文化圏みたいな広がりを始めたのだろう
素戔男尊は、新羅の曽尸茂梨(そしもり)を嫌い出雲へ来たと書記の異伝にある
加羅の一族 倭から韓半島へ行き 加羅を建て戻って来た一族
遠い昔だ 文献もなく 推定の世界
亀旨峰は現地ではキジムルと読む 加羅の金首露王が天下った所だそうだ
宮崎のくしふる岳の天孫降臨と似たような伝説である はて?
三国志魏書馬韓条 韓 在 帶方之南 東西以海為限 南與倭接 方可四千里
有三種 一曰馬韓 二曰辰韓 三曰弁韓 辰韓者 古之辰國也
馬韓 在 西 其民土著種 植知蠶桑 作綿布 各有長帥 大者自名為臣智 其次為邑借 散 在 山海間 無城郭
後漢書馬韓条 韓有三種 一曰馬韓 二曰辰韓 三曰弁辰
馬韓 在 西 有 五十四國 其北 與樂浪 南 與倭接
辰韓 在 東 十有二國 其北 與穢拍接 弁辰 在 辰韓之南 亦十有二國 其南 亦與倭接
凡七十八國
伯濟 是其一國焉 大者萬餘戸 小者數千家 各在 山海 地合 方四千餘里 東西以海為限
皆 古之辰國也
馬韓弁韓辰韓は東西海を持って限りと為す 南は倭と接すとある 後漢書も同じだ
この時点で 百済はあるが新羅はまだない 新羅は後に百済の亡将が起こした国だ
倭人の条では 倭の北岸狗邪韓國とある 後の加羅国である
狗邪は書記読みでは くや 或いは かや
現地音に中国人は漢字を当てた 表記方法がないのだから漢字を当てるのは当然
だから ひみこ に 卑弥呼なんてへんてこな漢字を割り振られてしまう
つまり 全羅道 慶州道の南部分の加羅も倭種であった 狗邪韓國を倭の一国と記述している
倭の属国ではない 倭を構成する諸国の一つが加羅と言う事だ 出雲国や吉備国のように
そして初めて一海(玄界灘)を渡り対馬へ 大官は日子(彦) 副官は鄙守(ひなもり)と言うらしい
当時 倭国と言う 軍事力による中央集権国家はまだない
倭の各諸国から推戴され統一の象徴としての指導者となったのが卑弥呼(日御子)
倭の各国の部族連合の象徴としての おおきみが 日の巫女 卑弥呼だと思う
狗邪韓國も倭の一国 戦国時代の武田氏 織田氏 徳川氏 豊臣氏みたいなもんだな
沢山の倭国の中から 大和国が 倭を纏めて行く
日本を号したのは天武年間からだ それまでは 倭(やまと)が国名であった
奈良飛鳥時代は まだ 倭(やまと) 聖徳太子もまだ倭人であった
大和は地方名である
日本の名前の由来を考える
いろんな説があるが 当時 東の蝦夷の国を 日の下 とか 日高見の国とか言っていた
案外単純に ひのもと の音に 日本の字があてられたんじゃないかな
戦前の皇国史観 戦後の自虐史観も
右翼と左翼による 初めに結論ありきの手段としての歴史観だと自分は思う
自分は楽しみとして歴史を拾っている
知りたいのは 事実はどうであったか 何が真実であったかで 思想や思惑など無用のものと思う
だから知りたいのは 誰かの意見や仮説ではなく 金石文 考古学上の遺物 物理的年代測定 信頼に足る文献資料だけだ
そして 科学者の発見した事実を 素人なりに ああでもない こうでもないとなぞ解きを楽しむだけだ
日本人のハプロタイプの分布
ウィグル チベットのc1が数% 縄文のd2が3割 中国のo3約2割 o2倭種が3割 ツングースがアイヌと九州に1割
やはり日本人は昔の遺伝子を持つ 辺境の民である
だが やはり最も変化できるのは日本人かもしれない などと淡い期待を持つ
追記
歴史などに思いをはせても日常に役にたつわけじゃないのに
自分がこうしてボーっと出来るのも 遠いご先祖様がいたからだ
昔の人々の日常生活を調べるのは楽しい作業だ
昔のご先祖様の苦労を思うと 昔がよかったなんて簡単には言えない
昔の偉大な人々に憧れた事もあった 力のある大国がいいなどと思った事もあった
しかし貴族に生まれようと庶民に生まれようと武士に生まれようと
その日々の 日常の煩瑣な苦労を思うと 生死をかけた生き残りを思うと
今は 昔に生まれたいなどとは思わない
今が最高の時代かと問うと そうでもない
いいか悪いかは 個人個人が感じる事であって
普遍的な 時代を超えて 誰にとっても素晴らしい世の中なんてないのがわかった
人々は あれがいい いやこっちが凄いなどと 背比べをしている
それも成長の為にはいいのかもしれないが 自分にはもう関係のない概念だ
余命いくばくかのじじいが 誰の世話にもならず この日本でひっそり生きて行く事が出来る時代
若い頃は時代に不満だらけだったが 過ぎ去ってみれば 終わった事
最近 自分は野原にはえた草だなと思う
運が悪ければ踏まれたり 災害にあったりして消えていたかも知れない
雨風に叩かれたり 日照りで青菜に塩になったりしても 時代と言う環境はどうする事も出来ない
だから とりあえず生存していれば それでいいと思うようになった
世間様には いいとか 悪いとか 客観的物差しなどない事がわかった
物差しは仮想現実にしか過ぎない
だったら ひっそりと 置かれた環境でのんびり個を小さく楽しむのが自分には合っている
また何時か嵐に会う事もあるかもしれないが そん時はそん時考えればいい
鴨長明の方丈記を何百回も読んでいる
なんとなく 彼の生き様が いいななんて思う
花は素敵だが 自分は草でよかったと思うようになった
さて一週間が始まる