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大正15年 南京の人口 39万2千人

2012-12-23 17:53:03 | 極東古史考

これも日記に記録しよう

過去の真実などそう簡単にわかるわけではない
昔 公衆浴場で 戦争から帰還したおじさんたちがいた

胸は点で 背中の蜘蛛の巣のように見える 貫通銃創の傷跡を誇らしげに
腹を撃たれ 杭に自分の腸をひっかけ 38式を撃ちながら死んでいった戦友を語った
片足をふっとばされて 腕を失い でも 帰還できただけ彼らは幸運だった
今はそう思う 今彼らはもういない

戦争とは人を殺すことだ 同時に 相手を殺さなければ 自分が殺される
それが戦争 殺し合いが目的だからだ
でも 無益には人は殺さない人たちもいた
中国人の子供に慕われた軍人もいたことも事実だ
普通の人間であれば 武器を持たない無抵抗の人を殺せない
狂気の人間もいたかもしれないが 兵と言えども人間だ

中国人とて自分の民族同胞がむざむざ殺されてゆくのを
黙って見ていたとは思えない 決死の抵抗を日本軍に対して行ったと信じたい
黙って 日本軍を傍観していたのか?
軍であり 兵であったはずだ
勝てないとしても 無辜の民を守るべきであろう

命を惜しまず徹底抗戦していれば 被害は少なかっただろう
中国軍は かけがえのない自国の人民を守ろうとしたのか?
作戦と称して 民を見殺しにしたのか? 逃げたのか?
全滅しようと 自らの誇りの為 何故徹底抗戦しなかった?
それが面従腹背の奥義なのか?
そうならば 我々とは 正義の概念が180度異なる

何もしなかったから 被害者と称して
自国民を守らなかった罪を免れようとしているのだろうか?

そうでなければ そうでなかったと言う理由を彼らに聞きたい
定かではない
資料が少ない

列国国勢要覧. 大正15年
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/987280


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