昨日 一日かかって ubuntu14.04 64bit をHDにインストールした
フラッシュメモリーにOSは落としてあるので
それで起動し インストールを試みる
自分のノートは スペック Ram8Gb HD750Gb Cpuは初期のi7クワッドコア
この人のサイトを参考にさせてもらってやってみる
Cドライブを圧縮して空き領域を作ったのはいいが
空き領域利用不可でインストール断念
一旦シャットダウンして 7を起動
ディスク管理で パーティションを見る
自分のHDはプライマリー3個拡張が1個しか作れないタイプだった
しょうが無いので Dドライブを削除 論理ドライブになったので更に削除
ようやくDドライブが空き領域になった
で 7をシャットダウンして ubuntuを起動
インストールを試みる
「UbuntuをWindowsとは別にインストール」の項目が表示された めでたし
インストール完了後 動かなくなった
で もう一回再起動
まだ不十分でランチャーが開かない?
点けたり 消したり 7に戻って 弄ってみる
あちこちいじりまわしている内に
拡張パーティションに ubuntuがマウントできた
何故そうなったのか? わからないが 結果良ければそれでよし
下手すれば 7とubuntu どちらも立ち上がらなくなるところだった
知識不足を実感する
最近 直感を大事にするようになった
人の自我など ただの命令システム 要するに 司令官にしか過ぎない
直感は 言語機能を持たない中脳小脳海馬視床下部の知能だ
これら無数の非言語能力が 人間の生命維持や運動能力判断能力を支えている
言ってみれば 自分の自我を支えてくれる有能な同僚であり協力者達だ
広い戦場で 兵隊なしに 指揮官一人が喚いていても 敵に撃たれて死ぬのが落ちだ
指揮官というものは 命令 管理能力しかない
部下がいなければ ただの口の達者な スピーカーである
言語論理だけで何でも出来ればいいとは思うが
神が「大地あれ」といえば 大地が現れると言う
馬鹿馬鹿しい とは 思う
そんな事が出来れば 億年単位の地球の歴史に一人くらいそんな人がいてもいいはず
人の夢や希望 欲望や妄念が長い時間をかけて
いわゆる 神仏が主人公の大河小説を作り上げたのだと思う
宗教や思想は 人間が作った高度なフィクション小説である
これだけ 作品に感情移入している人が多いのだから 優れた戯曲ではあるだろう
超能力や奇跡を行う能力があれば
警察官や 消防署員 救急隊員になってほしい
ドラマのスーパーマンやウルトラマンのように どれだけの人達を救えることか
立派な社会人が 何故 現実離れした このような荒唐無稽の事を奇跡などと崇めるのだろう
わからない
思想 宗教に 説かれてる事は概ね社会規範にかなっている
問題は
これらを
自己利益のため人を操る武器として使うか
他社利益のため人を救う道具として使うかの違いだ
包丁は武器にも道具にもなる
使う人間の資質の違いだ
これも最近思うのだが
神仏や思想を説く人たちは 想像力が逞しすぎて 訳がわからなくなっているのではないか?
と
小さく危惧するようになってしまった
まるで 幼児が想像や妄想に囚われ 幽霊とか妖精とかを幻視幻聴するように
現実と想像の区別のつかない心の世界にいるのではないのかと
自然や神仏は尊い
が
自然や神仏を説く人間は信ずるに値しない
と 思う
言葉が有効なのは 相手の感情に訴え 感動させるからである
言葉は武器にもなり 道具にもなる
人を煽り 人を誑かす武器に使用してる人が多くなった
今後数十年 価値観の変動期に入る
何万年かかっても 人の基本はあまり変わらない
同じことを 飽きもせず繰り返す
進化とは 途方もない年月を要するものだな
社会は人々の関わりあい
幸いにも 現代の社会では 働く健康さへあれば多分一人でも暮らせる
老人が人との関わりを外しても経済的になんとか生きて行ける
衣食住最低限の生活は努力すればなんとかなる
邯鄲の夢 生活とはそんなものだ
それ以上でも それ以下でもないな
大地から生まれ 大地の恵みで生活し 大地に戻る
動かず生きることを選んだ植物
動くことで生きる事を選んだ動物
こつこつと現実の日常を積み重ねる
良い事もあれば よく無い事もある
自我の主観が 良い悪いを分別している
現実にあるのは ただの日常の偶然の変化にしか過ぎない
分別も 無用だな
ubuntu
このOSも 金にもならない事を 続けてくれる人がいればこそ
ありがたい事だ
使わせてもらう
フラッシュメモリーにOSは落としてあるので
それで起動し インストールを試みる
自分のノートは スペック Ram8Gb HD750Gb Cpuは初期のi7クワッドコア
この人のサイトを参考にさせてもらってやってみる
Cドライブを圧縮して空き領域を作ったのはいいが
空き領域利用不可でインストール断念
一旦シャットダウンして 7を起動
ディスク管理で パーティションを見る
自分のHDはプライマリー3個拡張が1個しか作れないタイプだった
しょうが無いので Dドライブを削除 論理ドライブになったので更に削除
ようやくDドライブが空き領域になった
で 7をシャットダウンして ubuntuを起動
インストールを試みる
「UbuntuをWindowsとは別にインストール」の項目が表示された めでたし
インストール完了後 動かなくなった
で もう一回再起動
まだ不十分でランチャーが開かない?
点けたり 消したり 7に戻って 弄ってみる
あちこちいじりまわしている内に
拡張パーティションに ubuntuがマウントできた
何故そうなったのか? わからないが 結果良ければそれでよし
下手すれば 7とubuntu どちらも立ち上がらなくなるところだった
知識不足を実感する
最近 直感を大事にするようになった
人の自我など ただの命令システム 要するに 司令官にしか過ぎない
直感は 言語機能を持たない中脳小脳海馬視床下部の知能だ
これら無数の非言語能力が 人間の生命維持や運動能力判断能力を支えている
言ってみれば 自分の自我を支えてくれる有能な同僚であり協力者達だ
広い戦場で 兵隊なしに 指揮官一人が喚いていても 敵に撃たれて死ぬのが落ちだ
指揮官というものは 命令 管理能力しかない
部下がいなければ ただの口の達者な スピーカーである
言語論理だけで何でも出来ればいいとは思うが
神が「大地あれ」といえば 大地が現れると言う
馬鹿馬鹿しい とは 思う
そんな事が出来れば 億年単位の地球の歴史に一人くらいそんな人がいてもいいはず
人の夢や希望 欲望や妄念が長い時間をかけて
いわゆる 神仏が主人公の大河小説を作り上げたのだと思う
宗教や思想は 人間が作った高度なフィクション小説である
これだけ 作品に感情移入している人が多いのだから 優れた戯曲ではあるだろう
超能力や奇跡を行う能力があれば
警察官や 消防署員 救急隊員になってほしい
ドラマのスーパーマンやウルトラマンのように どれだけの人達を救えることか
立派な社会人が 何故 現実離れした このような荒唐無稽の事を奇跡などと崇めるのだろう
わからない
思想 宗教に 説かれてる事は概ね社会規範にかなっている
問題は
これらを
自己利益のため人を操る武器として使うか
他社利益のため人を救う道具として使うかの違いだ
包丁は武器にも道具にもなる
使う人間の資質の違いだ
これも最近思うのだが
神仏や思想を説く人たちは 想像力が逞しすぎて 訳がわからなくなっているのではないか?
と
小さく危惧するようになってしまった
まるで 幼児が想像や妄想に囚われ 幽霊とか妖精とかを幻視幻聴するように
現実と想像の区別のつかない心の世界にいるのではないのかと
自然や神仏は尊い
が
自然や神仏を説く人間は信ずるに値しない
と 思う
言葉が有効なのは 相手の感情に訴え 感動させるからである
言葉は武器にもなり 道具にもなる
人を煽り 人を誑かす武器に使用してる人が多くなった
今後数十年 価値観の変動期に入る
何万年かかっても 人の基本はあまり変わらない
同じことを 飽きもせず繰り返す
進化とは 途方もない年月を要するものだな
社会は人々の関わりあい
幸いにも 現代の社会では 働く健康さへあれば多分一人でも暮らせる
老人が人との関わりを外しても経済的になんとか生きて行ける
衣食住最低限の生活は努力すればなんとかなる
邯鄲の夢 生活とはそんなものだ
それ以上でも それ以下でもないな
大地から生まれ 大地の恵みで生活し 大地に戻る
動かず生きることを選んだ植物
動くことで生きる事を選んだ動物
こつこつと現実の日常を積み重ねる
良い事もあれば よく無い事もある
自我の主観が 良い悪いを分別している
現実にあるのは ただの日常の偶然の変化にしか過ぎない
分別も 無用だな
ubuntu
このOSも 金にもならない事を 続けてくれる人がいればこそ
ありがたい事だ
使わせてもらう