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遠いたび14 くしふる岳

2007-04-08 17:07:25 | 極東古史考

出来事は長い間語り継がれてきた
漢字による記録はせいぜい3、400年頃からだろう

行き交う車 日本の社会は長い変遷を重ねてきた

断片的しか捕らえられない遠い過去
ある説によれば 韓国語と日本語の分かれた年代は2000年以上前とも言う
あるいは 4500年前とも
逆に言うと それ以前共通した部分のある言語だったとも言える

また 漢文の不思議さもある 
司馬遷の史記 
時代も遠く離れ 中国の発音もまったくわからない現代日本人である自分が
完全ではないが 書かれている内容がある程度理解できる

他の 表音文字の世界ではありえないことだ 読むことすら出来ないのが普通だ

日本が 漢字文化圏に属する 多分アジアでも残り少ない国の一つ
ましてや日本が使用しているのは 2000年近く前の漢の字だ
漢字はヒエログリフのように象形文字である

また日本で作られた 漢字の語彙も多い 和製漢語と言われる
民族 資本主義 国家 民主主義 意識 右翼 運動 左翼 階級 
共産主義 共和 経済 失恋 社会主義 進化 唯物論などがあるそうだ
これらは 日本製であるが 現代中国で当たり前のように使われている 

漢字1個で ある概念を表す 中国では発音記号でもある
広東方言 北京方言 言葉ではまったく通じあえないが 文字にしてしまえば
どちらに住んでる人でも 内容だけは共通理解できる

だからお隣の国のハングルは完全にお手上げだが
新羅の「三国史記」でも「三国遺事」でも漢文で書かれている限り理解できる
また 万葉仮名のように 当時の発音の音標としても使用できる

「古事記」

「日本書紀」「古事記」の神代記にある ニニギの尊の天孫降臨の神話
久士布流多気 クシフルタケと読む
宮崎県の高千穂とも 鹿児島の霧島の高千穂とも言われる
虚国 空国(むなくに)である韓国(からくに)を通り筑紫の日向に居す

「日本書紀」




「三国史記」
金官加羅の初代首露(シロ)王 亀旨峰(クシボル あるいは クシポン))に天降る
素戔嗚尊(スサノオノミコト)に比定する人もいるがわからない

新羅の初代朴赫居世(パルクヌイ)卵から生まれた 
瓢を腰につけ海を渡ってやってきた倭人を瓢公として重用する
昔 古朝鮮の亡人からなる辰人は 瓢(ひょうたん)を朴と呼ぶので 彼は朴を姓とした

新羅4代昔脱解(トヘ) 
金官国の海岸に流れ着いた箱の中にあった卵から生まれた
2代南解(ナヘ)王の娘婿、3代儒理王の重臣 4代目王となる

金閼智(キム アルチあるいはオルチ)  新羅 金氏の祖
脱解王のとき、樹上にあった黄金の入れ物から瓢公が見つける

「三国遺事」
新羅4代昔脱解
元多婆那国人 その国は 倭の東北一千里の地にある

ウラルアルタイ語族の天降り神話と倭族と言われるアジア南方の卵生神話が混在している

朴氏 1朴赫居世(パルクヌイ) 2南解(ナヘ) 3儒理(ユリ) 4脱解(トヘ)
昔氏 9伐休[発暉](ボルキ) 10奈解(ナヘ)11助墳    12沽解(コヘ)

高句麗8代新太王 伯句(165~179年)
伊夷模 9代故国川王(179~197)は更に新国を作り 今の高句麗(丸都)はこれである
王になれなかった 長男抜奇は 公孫庚へ3万余口を持って降り 又戻って沸流水に住んだ

この「抜奇」(ボルキ)に近い音が出てくる
朴氏 昔氏 の神話と関係あるのだろうか?

「北史 新羅伝」
或いは称す 魏将母丘儉(かんきゅうけん)高麗を討ち これを破る 奔 沃沮 其の後故国に復帰した
留まる者あり 遂に為す新羅 亦曰く斯盧 其の人雑あり 華夏(中国人) 高麗 百済の属である
兼ねてあり沃沮 不耐 韓 濊の地 その王 本百済人 海より新羅に逃げ入り
遂に其の国の王となる(246年)以降の出来事だ

扶余は姓 解氏 百済にも解氏がある 海より新羅に逃げ入り遂に其の国の王となったのは解氏だろうか

「三国志 魏書」 扶余王 自らを亡人と言う

周の太王の子 太白 自ら文身(入れ墨)し 呉となる
呉の19代寿夢の子 諸はん その子 闔閭 と 夫差
(高句麗百済の祖 朱蒙と音が重なる)

闔閭の弟 夫概 自ら呉王を名乗る
闔閭 戦地より戻り 夫概を討つ(BC505年) 夫概 楚へ逃げる
夫概に子あり 扶余を氏とす 百済はその扶余氏の後裔であると謂う
(闔閭は句麗と音が近い) 

扶余は東夷と共に 江南 山東 遼寧 吉林 そして朝鮮半島へと移動した

周の武王2年 BC1148年 箕子を朝鮮に封ず
奇岩聳え立つ 聖山である医巫閭(イフロ)山麓 古の鮮(xian)水から音を取り
險濆(xian-du)王險(wan-xian)城 箕子朝鮮はここに始まる

遼寧省北鎮県
「後漢書」に謂う 遼東郡無慮県 医無慮山
「漢書」に謂う 遼東郡無慮県 医巫閭

医巫閭(イフロ)の名が先なのか 初代解慕漱(ジェムス ヘムス)が
自らの出自である夫概の子の扶余氏を国号としたのかはわからない


扶余はフロ フル フレとも発音する
沸流(フル)国 沸流(フル)水 紇升骨(クシフル)城などにその音は残る

天孫降臨の伝説は 扶余 東扶余 百済 高句麗 金官加羅 倭へと続く
その元 医巫閭山 地名人名は万葉仮名のように音を拾う
古代 国に厳密な国境などは無い よき場所を求めて 人は移動する
人と共に 渡り住む土地へ 言葉は運ばれる

倭は東夷であり 東胡ではないと思われる
遼東遼西は古朝鮮の地
この国名の地の人たちは 現代の朝鮮半島の人たちとは多少違う

古朝鮮は 旧満州 「清」の故地でもある

東夷 東胡 粛真
医巫閭山の麓
東夷の共立した殷の流れの箕子を中心とした部族連合国家だった

古すぎて 文献もまばら 口伝が中心で文字が伝わらない
音だけが残っている

殷 東夷 呉 越 濊 倭 扶余(ここから東胡と混じり) 高句麗 百済 渤海
(ウェイであり イである 今のヴェトナム(大越)も越人である)

夏 山戎 東胡 匈奴 鮮卑 契丹
(クである カタイ キタイ クヌ フンヌ シャンヌ キタイは鉄を意味する
想像すれば ヒッタイト[ハッティとも言うが]は こちらでは キッタイ カタイとも発音できるが?
BC2000年ころトルコ東北部のいた鉄器集団ハッティは中東の歴史からいつの間にか消えてしまった)

粛真 邑婁 靺鞨 女直 女真 蒙古 金 清
(マンジ メンジ メング ジン シン 「周礼」に謂う古の粛真氏である
満州[メンチュウ]の名は これによる)

北狄 赤狄 白狄 高車 丁零 鉄勒 突厥 ウィグル(9姓鉄勒)
(トルコ族 戦車を使用したので高車と呼ばれた 連なる音はチュルクである
後 現在のトルコ民族のひとつになった)

遼東 満州 蒙古平原 ロシアのバイカルから インドから トルコまでその移動は果てしない
中国北部 東北部 南部は中原を 追われた人 民族の集まりだ

人は何もないところに 突然発生するわけではなく
また同一民族が 何万年にわたって同一場所にいるわけではない

古代は 辺境に残る
極東 日本列島の東は 大海 
もう移動先はない 文明 文化の坩堝だ

行ったことのない満州平野やモンゴル高原の風景を見ると
自分は日本人なのに何故か憧れる

カラ 同族という意味
「腹から」 という言葉で日本語に残る




追記20111103

「北扶餘古記云。前漢書宣帝神爵三年壬戌四月八日。天帝降于訖升骨城(在大遼醫州界)

乘五龍車。立都稱王。國號北扶餘。自稱名解慕漱。生子名扶婁。以解為氏焉。」三国遺事

日本で言えば 鎌倉年代に書かれた本である 日本で言えば古事記にあたる

1145年の三国史記は日本書紀に当たる

日本書紀が720年であるので そのはるか後に編纂されたものである

古い逸文が集められた形跡もないので その記述は定かではない

高句麗以前の古伝に こんな記述があった 漢籍から引用したものかもしれないが

訖升骨 くしふるだ

ツングースである高句麗に伝わらず遥か後世の加羅の始祖伝説に伝わる

そして九州に この古朝鮮の古名が伝わっている

 


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